木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。
木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。【マタイによる福音書12-33】
SNSという魔法の箱の中で出会えた人間は……
腹の中に蝮を飼っている者がいる。膝を突き合わせて話しをしてみれば口から臭ってくる生臭さや言葉使いで危険な空気が漂う。理屈じゃなく体が拒絶反応を起こす。こいつと距離を取れ、すぐに離れろと。
この便利で綺麗でイケてる魔法の箱を通してしまうと無味無臭となり気楽に自分の中へ取り込んでしまえる。簡単に飲みこめる飴みたいだ。
時間をかけず箱を通じて親交を深めていく。急激に通じ合っている錯覚が生まれる。錯覚を真実と見誤る。誤った自分を否定することが出来なくなる。身近な人の助言は聞こえなくなる。
一歩引いたところで聞けばすぐに分かることも判断つかない。
一万人のフォロワーという記号がある。
30万人のフォロワーという「確かなしるし」がある。
心配ない問題ない・・・・・・
「目に映っていることは本当のことなのだ」「あるから映っているのだ」
自分はこういうことに慣れているのだ。使いこなせているのだと。
だいたい誰もが使っているじゃないかと。
でもなにか引っ掛かる。自前のアンテナが立つ。
でもアンテナなんかすぐに折りたたんで無かったことにする。
なぜなら自分の判断は間違っているかもしれないとは思いたくない。
でも怖いことは払拭できない。
ちょっと私のはなしを聞いてくれる?
と相談が舞い込む。