人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー 王子神社( 戸塚区柏尾町)ーー

2018-12-12 16:52:47 | 日記

横浜市戸塚区柏尾町に王子神社はあります。大塔宮護良親王が祀られており、本殿の下には護良親王の御首が埋められていると伝えられています。国道1号線のポーラ化粧品の工場の前、かっぱ寿司のわき道を登っていくのですが、氏子の方がいつも境内を浄められており、鎮守の森の境内にいると清々しい気持ちになります。

護良親王といえば鎌倉宮が有名で、お墓も理智光寺跡の小高い丘の上にも、大町の妙法寺には日叡により祀られたお墓もあります。御存じの通り、護良親王は建武七年(1335)の中先代の乱(北条高時の遺児、時行の反乱)の最中、非業の死をとげたといわれています。その護良親王の首が埋められているとの伝承が残っていれば、地元の方はその伝承を子子孫孫まで伝えていくのではないでしょうか。門外漢がその伝承はあり得ない否定するのは容易いのですが、わが身に災難が降りかかるかもしれない当事者はそうはいきません。それがこの神社が大切に護られてきた理由ではないかと思います。

写真は、境内に安置されている護良親王が撫でたとされる狛犬に似た石ですが、奈良県五條市大塔村からいただいたものだそうです。そういわれれば不思議に狛犬に見えてくるもので、有難く撫でさせていただきました。

最後になりますが、自説ですが、護良親王は足利直義の家来である淵野辺義博に殺されたのは事実かと思いいますが、後世に伝わっているほど酷い殺され方をしたかと言えばそうではなく、近世になってかなり脚色されたのではないかと考えていますが、いかがでしょう?これも妄想かもしれません。

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鎌倉を知る ーー 横浜市の「中ノ道」を歩く ーー

2018-12-12 12:53:24 | 日記

中世の鎌倉には「上ノ道」、「中ノ道」、「下ノ道」がありますが、先日、その中の「中ノ道」を歩く機会に恵まれました。実際にそこに道があったかの確固たる証拠はないのですが、地元の郷土史家の皆さんの努力により、たぶんこのあたりかなという道筋を歩くことができます。今回は戸塚区の下永谷駅の近くにある「芙蓉苑」という施設の近くから出発して、下永谷市民の森を過ぎ、国道1号線の山崎製パンの工場前に下るコースでその昔は鎌倉郡舞岡といわれたところから柏尾にいたる範囲になります。

文永五年(1189)の奥州合戦では源頼朝が数万の兵を引き連れ意気軒昂に行軍した道でもあります。ご存知の通り奥州合戦は平泉の地で源義経が自害し果てた後、後鳥羽上皇の反対を押し切って藤原泰衡を攻め滅ぼした戦いです。なにからなにまで源頼朝の先祖である源頼義の前九年の役のやり方を踏襲して戦ったことで知られています。それは頼朝が河内源氏の嫡流・棟梁であることを名実ともに示す大事な戦でした。

歩いた「中ノ道」は左手に富士山を中心として伊豆の天城山、箱根山系、大山と丹沢の山々、遠く南アルプスまで望めるという眺望抜群の道です。写真は下永谷市民の森から富士山を撮ったものですが、確かに眼前に素晴らしい景色が広がっていました。この景色をみれば、源頼朝は絶対にこの道を選び行軍し、苦節20年の歳月を思い出し、感涙に咽んだに違いありません。

おっと、いけない。これは想像の域を越え妄想になってしまいました。ただ、だれも傷つきませんから、歴史を楽しんでください・・・・。

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