阿仏尼は弘安二年(1279)に子供である藤原為相の訴訟のために鎌倉に下向しています。その時の旅日記がご存じの『十六夜日記』です。その中に《小夜の中山》を書いた行があります。
二十四日、ひるになりて、小夜の中山をこゆ。ことのままというやしろのほど、もみぢいとおもしろし。山かげにて、あらしもおよばぬなめり。ふかく入るままに、をちこちのみねつづき、こと山に似ず。心ぼそくあはれなり。ふもとのさと、菊川といふところにとどまる。
雲かかるさやの中山こえぬとはみやこにつげよ有明の月
前日の二十三日は見付に泊りました。見付からこの小夜の中山までは30㎞近くあります。昼になって越えたとありますので、よほどに朝早くに見付を発ったと思われます。季節は晩秋。ご婦人の足ながら実に健脚ですね。30キロ弱歩いて音を上げている私とは大違いでした。また紅葉の様子を書き、山かげで嵐も及ばないので、たいそう綺麗だと言ってます。こう言った細かな表現がいいです。
さて写真は阿仏尼の歌碑がある場所から鎌倉方面を見たもの。遠くの山の向こうに大井川があります。この川越えについて阿仏尼は、
二十五日、菊川を出でて、けふは大井河といふ川をわたる。水いとあせて、ききしにはたがひて、わづらひなし。河原幾里とかや、いとはるかなり。水のいでたらむおもかげ、おしはからる。
季節も水の少ない時期のようですが、阿仏尼の思いがよく表現されています。