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人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー新居山 円応寺と十王信仰ーー

2021-11-28 17:00:10 | 日記

鎌倉山内建長寺前の新居山円応寺。鎌倉時代はここではなく、江戸時代に由比ガ浜近くの新居閻魔堂が移されました。さらに遡れば由比郷見越岩(長谷の見越ケ嶽か?)にあったようです。閻魔堂の初江王像が建長三年(1251)に造立されたようなので閻魔堂の創建もその頃だと思われます。さてこのブログは円応寺の舞台とした十王信仰を説明することが目的です。

たぶん初七日とか四十九日、一周忌、三回忌など言葉は聞いたことがありますが、それにどんな意味があるのか殆ど知らないと思います。円応寺を参拝すると丁寧な説明書きがありますので読んで見てください。中国伝来の十王信仰に基づいて、故人の生前の罪を裁き、死後に六道輪廻のどの世界に送り込むかというかなり手の込んだ審判の仕組が描かれています。

最初は死んでから2週間くらいの審判。人の左右の肩には倶生神という生きていいる間の善悪を記録する神様がのっています。その神様は人が死にますと、初七日に《秦広王》へ故人の一生の善悪の罪科を報告します。ここでのポイントは殺生をしたかどうか。その罪の軽重にによって三途の川の渡り方が区別され、当然に人殺しのような重罪犯は深い川を渡ることになります。やっと三途の川を渡ってもその先には奪衣婆が控え、名前の通り着ている衣服の剝ぎ取って木にかけ、その軽重を閻魔帳に記録して次の《初江王》に報告。それを二七日(初江王=窃盗・不倫の罪)、三七日(宋帝王=邪淫の罪)、四七日(五官王=身口の七罪)と時間をかけ調べ閻魔帳に記録。そして五七日(閻魔大王)のもとに来た時に閻魔大王は、閻魔帳の記録、浄頗離の鏡に映った過去の再現ビデオ、倶生神の証言、人頭杖という善悪判断ツールなどを用い慎重に故人の六道輪廻の行き先を審判します。さらに六・七日に変成王が六道の内容を決め、七・七日(四十九日)にはそれぞれの行き先に地獄から旅立つわけです。

現代の裁判と異なるのは、黙秘権がないことでしょうか。「お天道様はみているぞ!!」という言葉の通り、白を切ることは出来ません。さらに閻魔大王は、冤罪を防ぐために、人を審判すると毎日、煮えたぎった銅を飲まされ、正確な審判をすることを求められます。

昔の人がこの話をどこまで信じたか分かりませんが、『往生要集』や『今昔物語』などの説話集で散々地獄の世界を擦り込まれた身にとっては、多少は不倫などの抑止効果はあったと思われます。

写真は円応寺門前にある新居閻魔堂の石柱です。

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