
中世の鎌倉には「上ノ道」、「中ノ道」、「下ノ道」がありますが、先日、その中の「中ノ道」を歩く機会に恵まれました。実際にそこに道があったかの確固たる証拠はないのですが、地元の郷土史家の皆さんの努力により、たぶんこのあたりかなという道筋を歩くことができます。今回は戸塚区の下永谷駅の近くにある「芙蓉苑」という施設の近くから出発して、下永谷市民の森を過ぎ、国道1号線の山崎製パンの工場前に下るコースでその昔は鎌倉郡舞岡といわれたところから柏尾にいたる範囲になります。
文永五年(1189)の奥州合戦では源頼朝が数万の兵を引き連れ意気軒昂に行軍した道でもあります。ご存知の通り奥州合戦は平泉の地で源義経が自害し果てた後、後鳥羽上皇の反対を押し切って藤原泰衡を攻め滅ぼした戦いです。なにからなにまで源頼朝の先祖である源頼義の前九年の役のやり方を踏襲して戦ったことで知られています。それは頼朝が河内源氏の嫡流・棟梁であることを名実ともに示す大事な戦でした。
歩いた「中ノ道」は左手に富士山を中心として伊豆の天城山、箱根山系、大山と丹沢の山々、遠く南アルプスまで望めるという眺望抜群の道です。写真は下永谷市民の森から富士山を撮ったものですが、確かに眼前に素晴らしい景色が広がっていました。この景色をみれば、源頼朝は絶対にこの道を選び行軍し、苦節20年の歳月を思い出し、感涙に咽んだに違いありません。
おっと、いけない。これは想像の域を越え妄想になってしまいました。ただ、だれも傷つきませんから、歴史を楽しんでください・・・・。
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