
鎌倉とカツオというと、え!なにと思われるかもしれません。吉田兼好の徒然草第百十九段に鎌倉のカツオを書いたくだりがあります。
『鎌倉の海に、かつをといふ魚は、かの境ひには、そうなきものにて、このごろもてなすものなり。それも、鎌倉の年よりの申し侍りしは、「この魚、おのれら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること侍らざりき。頭は下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。』
徒然草は1330年ころに書かれていますが、兼好も金沢(横浜市)に滞在した記録がありますので、その時見聞したことを書いたものようです。
そして江戸時代になると、鎌倉のカツオは人気商品であり、山口素堂の『目には青葉山ほととぎすはつ松魚(がつお)』や、松尾芭蕉の『鎌倉を生きて出でけむ初鰹』などの句でも知られています。また山本一力の「いすゞ鳴る」という伊勢神宮詣での御師の事を書いた小説にも
、鎌倉から江戸に初鰹を運ぶ八丁櫓船のことがでています。
『鎌倉の海に、かつをといふ魚は、かの境ひには、そうなきものにて、このごろもてなすものなり。それも、鎌倉の年よりの申し侍りしは、「この魚、おのれら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること侍らざりき。頭は下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。』
徒然草は1330年ころに書かれていますが、兼好も金沢(横浜市)に滞在した記録がありますので、その時見聞したことを書いたものようです。
そして江戸時代になると、鎌倉のカツオは人気商品であり、山口素堂の『目には青葉山ほととぎすはつ松魚(がつお)』や、松尾芭蕉の『鎌倉を生きて出でけむ初鰹』などの句でも知られています。また山本一力の「いすゞ鳴る」という伊勢神宮詣での御師の事を書いた小説にも
、鎌倉から江戸に初鰹を運ぶ八丁櫓船のことがでています。
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