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人生悠遊

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実朝を識る --『名残の星月夜』(坪内逍遥)--

2020-08-01 08:29:14 | 日記

『吾妻鑑』によれば建久三年(1192)八月九日。天晴れ風静かなり。早旦以後、御台所御産の気あり。巳の尅、男子御産なり。源実朝の誕生です。鶴岡八幡宮では毎年8月9日を「実朝祭」とし、その威徳を顕彰しています。これまでもこのブログで源実朝を取り上げ、その生涯を振り返っていますが、「実朝祭」も近づいてきましたので、いくつかの題材をもとにその人となりを偲びたいと思います。

今回は坪内逍遥の戯曲『名残の星月夜』を取り上げます。大正九年(1920)5月初演の歌舞伎の演目で5代目中村歌右衛門が実朝を演じています。偶然でしょうか、今年は初演から100年目の年ですね。新型コロナ禍で世界中が大混乱している最中、なんとも不思議なご縁です。作者の坪内逍遥(1859-1935)は文学者で早稲田大学教授でもありました。昭和10年に亡くなっていますので、今の若者と同じ戦争を知らない世代です。なぜに戦争に拘るかというと、実朝論や実朝にまつわる小説を書いてる太宰治、小林秀雄、吉本隆明、大佛次郎らと、実朝の人物像、渡宋計画の評価、公暁による暗殺の黒幕などの描き方が、同じ『吾妻鑑』を資料として参考にしても、違うのではないか?これは私の妄想ですが、第二次世界大戦という未曽有の出来事を体験し、死を身近に感じた作家たちが、実朝の生きざまに自分を重ね合わせ、どう描いたのか・・・?さてどうでしょうか?

坪内逍遥の書いたこの戯曲では、実朝の渡宋計画は、『金槐和歌集』の661・662・663の後鳥羽上皇に捧げた3首の歌にかけ合わせています。宋に渡るのは名目で、上皇方と組んで北条一家を討滅せんとする陰謀があるのではないか?この戯曲の第三幕第二場(唐船の甲板)で尼御台が実朝の渡宋計画を思いとどまらせようする場面は圧巻ですね。本物の歌舞伎を見ていませんが、目に浮かぶようです。尼御台はもし説得に応じなければ、死ぬ覚悟で臨んでいます。船おろしまでして明日は海に浮かぶだけという夜の出来事ですが、実朝は母の思いをくんで進水をあきらめます。

『吾妻鑑』のこの記事を参考に歴史家や作家などがいろいろ書いていますが、どれを読んでも好きになれません。この戯曲を読むかぎり、坪内逍遥は相当に丹念な取材をして書いているようです。坪内逍遥が生きた時代でしょうか。こういう見方もあるのかなと考えさせられました。

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