「下らない」という言葉がある。
江戸時代は京都が首都であったから、関東から関西へ行くのが上りで、関西から関東へ行くのが下りであった。
この時、江戸は大消費地にはなってはいたが、高級品はまだ関東では作れず、関西から来る「下りもの」は高級品であった。
関西から送られてこないものは、当然「下りもの」ではなく、「下らないもの」であった。
これが「下らない」の語源である。
下るもの、下らないもの、と二分化され特にブランドイメージが強力だったもののひとつに酒(日本酒)がある。
江戸時代は貧しかったようなイメージがあるが、実際のところ元禄時代(17世紀末~18世紀初)には、江戸の人々は年間ひとりあたり54リットルの酒を飲んでいたという。今の日本人の年間消費量は70リットルだそうで、現代は飲んでいるお酒がビールあり、ウイスキーありと、お酒の度数が違うので単純比較はできないが、元禄の江戸庶民は現代人と比較しても遜色ない量のアルコールを飲んでいたことになる。
話が横道にそれたが、高級酒の製造元は関西に独占されていた。
関西でも初期の生産の中心地は摂津の伊丹や池田であったが、のちには灘五郷と呼ばれる兵庫県西宮から神戸へかけての地区へ移行していく。
この背景には阪神タイガース応援歌で有名になった六甲おろしと呼ばれる寒気と、夙川を中心とした川の流れを利用した24時間利用可能な水力による搗米のイノベーションがあった。
ところで、当時のお酒はいくらくらいだったのだろう?
淡野史良氏は著書の中で志賀理斎の「三省録」を引用して、慶安期(1648~1652)の酒の価格を表している。
それによると、各1升で、
関東並酒 二十文(600円)
関東上酒 四二文(1260円)
大坂上酒 六四文(1920円)
西宮上酒 七二文(2160円)
伊丹西宮上酒 八十文(2400円)
池田極上酒 百文 (3000円)
となっている。
醤油が銚子物で六十文(1800円)、そばが十六文(480円)としている。
淡野史良氏は一文=30円としてレート換算している。
この手の物価計算の整合性としてはよくかけそば一杯の価格が引き合いに出されるが、今風に言うとラーメンの価格と言った方が通りがいいかも知れない。
すなわち、この例でいうと、ラーメン一杯=480円が妥当かどうかである。
私は妥当だと思う。
すると、潤沢な消費量を前にして、米文化であった江戸時代の日本酒は意外なほど安かったのかも知れない。
1.8L 600円とはどんな酒かと思うけれど。それにしても酒のなかでも下り物とそうでない酒の価格差は凄い。
それだけ、ブランド品は儲かったということにもなるのだろう。実際、灘の造り酒屋は今でも大金持ちである。
現代では、どうか。
インターネットで調べてみると、売れ筋の久保田が万寿で9380円、千寿が2880円。関西だと灘の黒松白鹿特別本醸造が2380円、剣菱で3055円。価格差はないようにも見えるが、実際には楽天の売れ筋ランキングベスト30位内にかつてのブランド灘の酒の名前は一つも入っていない。白鹿の中にも高価格のものは存在するが、価格的には逆転してしまったと見るのが妥当だろう。
かつてはブランド品であった関西の日本酒メーカーが、新潟あたりの日本酒にブランド力を奪われ、今は大衆酒を中心に造っており、そのブランド品である関西以外の酒米に兵庫県産の山田錦が多く使われているというのはアイロニーには違いない。
最後に、時代劇の間違い指摘をひとつ。
よく居酒屋などで客が現代の徳利を使って酒を飲んでいるが、あれは間違い。
このころは、ちろり、という錫でできた酒器を使っていた。
今でもおでんの屋台などに行くとたまに見かける容器である。
縄暖簾(居酒屋)では、惣菜が酒一合の値段より安かった。現代でも生ビールは料理より高いケースが多いのでそれは同じかもしれない。
その点でも江戸時代は、非常に現代と近似している気がしてならない。
大江戸番付づくし 石川英輔 実業之日本社
町屋と町人の暮らし 平井聖 学研
数字で読むおもしろ日本史 淡野史良 日本文芸社
日本酒造組合中央会 http://www.japansake.or.jp/sake/
ちろり http://allabout.co.jp/gourmet/sake/closeup/CU20041210A/↓ よろしかったら、クリックお願いします
江戸時代は京都が首都であったから、関東から関西へ行くのが上りで、関西から関東へ行くのが下りであった。
この時、江戸は大消費地にはなってはいたが、高級品はまだ関東では作れず、関西から来る「下りもの」は高級品であった。
関西から送られてこないものは、当然「下りもの」ではなく、「下らないもの」であった。
これが「下らない」の語源である。
下るもの、下らないもの、と二分化され特にブランドイメージが強力だったもののひとつに酒(日本酒)がある。
江戸時代は貧しかったようなイメージがあるが、実際のところ元禄時代(17世紀末~18世紀初)には、江戸の人々は年間ひとりあたり54リットルの酒を飲んでいたという。今の日本人の年間消費量は70リットルだそうで、現代は飲んでいるお酒がビールあり、ウイスキーありと、お酒の度数が違うので単純比較はできないが、元禄の江戸庶民は現代人と比較しても遜色ない量のアルコールを飲んでいたことになる。
話が横道にそれたが、高級酒の製造元は関西に独占されていた。
関西でも初期の生産の中心地は摂津の伊丹や池田であったが、のちには灘五郷と呼ばれる兵庫県西宮から神戸へかけての地区へ移行していく。
この背景には阪神タイガース応援歌で有名になった六甲おろしと呼ばれる寒気と、夙川を中心とした川の流れを利用した24時間利用可能な水力による搗米のイノベーションがあった。
ところで、当時のお酒はいくらくらいだったのだろう?
淡野史良氏は著書の中で志賀理斎の「三省録」を引用して、慶安期(1648~1652)の酒の価格を表している。
それによると、各1升で、
関東並酒 二十文(600円)
関東上酒 四二文(1260円)
大坂上酒 六四文(1920円)
西宮上酒 七二文(2160円)
伊丹西宮上酒 八十文(2400円)
池田極上酒 百文 (3000円)
となっている。
醤油が銚子物で六十文(1800円)、そばが十六文(480円)としている。
淡野史良氏は一文=30円としてレート換算している。
この手の物価計算の整合性としてはよくかけそば一杯の価格が引き合いに出されるが、今風に言うとラーメンの価格と言った方が通りがいいかも知れない。
すなわち、この例でいうと、ラーメン一杯=480円が妥当かどうかである。
私は妥当だと思う。
すると、潤沢な消費量を前にして、米文化であった江戸時代の日本酒は意外なほど安かったのかも知れない。
1.8L 600円とはどんな酒かと思うけれど。それにしても酒のなかでも下り物とそうでない酒の価格差は凄い。
それだけ、ブランド品は儲かったということにもなるのだろう。実際、灘の造り酒屋は今でも大金持ちである。
現代では、どうか。
インターネットで調べてみると、売れ筋の久保田が万寿で9380円、千寿が2880円。関西だと灘の黒松白鹿特別本醸造が2380円、剣菱で3055円。価格差はないようにも見えるが、実際には楽天の売れ筋ランキングベスト30位内にかつてのブランド灘の酒の名前は一つも入っていない。白鹿の中にも高価格のものは存在するが、価格的には逆転してしまったと見るのが妥当だろう。
かつてはブランド品であった関西の日本酒メーカーが、新潟あたりの日本酒にブランド力を奪われ、今は大衆酒を中心に造っており、そのブランド品である関西以外の酒米に兵庫県産の山田錦が多く使われているというのはアイロニーには違いない。
最後に、時代劇の間違い指摘をひとつ。
よく居酒屋などで客が現代の徳利を使って酒を飲んでいるが、あれは間違い。
このころは、ちろり、という錫でできた酒器を使っていた。
今でもおでんの屋台などに行くとたまに見かける容器である。
縄暖簾(居酒屋)では、惣菜が酒一合の値段より安かった。現代でも生ビールは料理より高いケースが多いのでそれは同じかもしれない。
その点でも江戸時代は、非常に現代と近似している気がしてならない。
大江戸番付づくし 石川英輔 実業之日本社
町屋と町人の暮らし 平井聖 学研
数字で読むおもしろ日本史 淡野史良 日本文芸社
日本酒造組合中央会 http://www.japansake.or.jp/sake/
ちろり http://allabout.co.jp/gourmet/sake/closeup/CU20041210A/↓ よろしかったら、クリックお願いします
ところで、HN「メロンになれないトマト」面白いですね。僕は静岡県掛川のトマトが大好きです。