花魁(おいらん)というのは間違いやすい言葉だ。
花魁とは最高ランクの遊女の格を表す言葉として捉えがちであるが、この言葉は正式なものではない。
もともと妹女郎が「おいらの姉さん」のように使用したのが始まりとされ、上位の遊女を表す総称である。
大河ドラマで活躍の瀬川の正式な格は「花魁」ではなく「呼出」という名称が正しい。
この遊女の正式なランクの呼び方は、何回も変わっているので、ややこしい。
順を追ってみてみることにする。
吉原は、移転しているので、移転する前を元吉原、移転後を新吉原(または単に吉原)と区別するが、元吉原が出来上がった当時は
①端(はし)女郎 → 格子(こうし)女郎 → 太夫
という格付けであった。
それが、元吉原後期には、
②切見世(きりみせ) → 端女郎 → 局(つぼね)女郎 → 格子女郎 → 太夫
の5段階となる。
移転後の格付けは、
③切見世 → 局 → 散茶 → 格子 → 太夫
となり、さらに、
④切見世 → 局 → 梅茶 → 散茶 → 格子 → 太夫
となる。
この中の散茶というのは、振らないでも出る挽いた茶のことであり、「客を振らない」に引っ掛けた言葉である。
さらに、挽茶を薄めたという洒落から「梅茶」なる格も生まれた。
ここまで続いた最高位の太夫とは、もとは舞台芸人の統領の呼び名であったが、時代が下ると吉原でも用いられるようになった。
吉原が移転した際には、20~30名ほどの太夫がいたとされるが、安永九年(1780年)に太夫格の女郎はいなくなった。
これは、吉原の上客が武士階層から商人層に移行したという理由もある。いかにも武士が好みそうな格式のある名称が敬遠されたのであろう。
太夫がいなくなってからの格はそれまでのものとは、かなり変わる。
⑤切見世 → 部屋持 → 座敷持 → 附廻 → 昼三 → 呼出
太夫に代わり最高位となった呼出は、客の呼び出しがあるまで自分の部屋で待機し、呼び出しがかかると客の待っている茶屋まで行く遊女である。
昼三は、昼でも夜でも、揚げ代が三分かかる遊女。附廻とは、昼二の別名のとおり、揚げ代が二分の遊女。
座敷持ちは居室のほかに座敷、つまり2ルーム持っている遊女で、ここまでが上級とされた。
しかし、客も正式な格の名称では呼ばず、上級の遊女に対しては「花魁」と呼んでいたようである。
(参考文献)
江戸300年 吉原のしきたり 渡辺憲司 青春出版社
吉原入門 永井義男 学研
(参考文献)
江戸300年 吉原のしきたり 渡辺憲司 青春出版社
吉原入門 永井義男 学研

吉原の五十間道。三曲がりの別称のある通り、道をくねらせて、わざと見通しを悪くしている。
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