木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

鬼、河童に濁流の水飲まされるー18

2007年04月25日 | 一九じいさんのつぶやき
 「兄貴、やっぱりでござんした」
 岩徳が貞一の長屋に息切らせて駆け込んできたのは夕方近くになってからのことだった。
 「やっぱりってどのこった?」
 貞一は、桶から水を汲んで、岩徳に渡した。
 「かたじけねえ」 
 岩徳は、貰った水を一気に飲み干すと、
 「船頭の件でさあ」
 と、続けた。
 「まあ、座れ。それで何が分かった?」
 貞一は土間に岩徳を座らせた。
 「はっきりとは言えねえんですが、あん野郎が何か隠し事をしていることは間違いございやせん」
 二人が話しているのは、河童騒動があった日、舟の上からなにやら賑やかにしていた船頭のことである。
 「それじゃ、乗せていた客のことも話さねえんだな」
 「あいつが堅気でなかったら、締め付けてでもなんとしてでも吐かせてやるんだが、まっとうな人間相手に拳もあげられねえ」
 「それでも、その船頭・・・」
 「松次郎といいやす」
 岩徳が付け加えた。
 「その松次郎は、しばらくは羽振りがよかったんじゃねえか」
 「おっしゃる通りで。吉原通いを続けていたらしいです」
 「今はどうだ?」
 「最近はなりを潜めたってことです」
 「そうすると、たいした金じゃねえな」
 「ちょっとした秘密のために松次郎は商人風の旦那に小金を握らされたってことになりやすね」
 「あいつら、なにを隠していやがるんだ。まさか河童を捕まえたわけでもあるまいし。どちらにしろ、その旦那の正体を暴くのが先決だ」
 「兄貴の話とは直接関係しねえが、あの路孝はまだまだ河童に未練一杯らしいですぜ。また、見物に行って、是非自分の目で河童の姿を確かめると息まいているとのことです」
 「三代目はこの前、鬼の平蔵に一泡吹かせたらしいじゃねえか。それが目的で三代目指揮の下、この狂言が組まれたのかもと考えていたが、その線は薄いな」
 貞一は、すすだらけの天井を見上げ、
 「どちらにせよ、あの旦那が何を隠しているかや。河童の出没と旦那の利害を探れば自ずと分かってくるはずや」
 と上方訛りを含ませながら、独り言のように呟いた。
 

鬼、河童に濁流の水飲まされるー17

2007年04月09日 | 一九じいさんのつぶやき
 熱しやすく冷めやすいのが江戸っ子気質だが、河童熱はなかなか冷めなかった。
 先日、実際に河童を見た者は、町中の連中から羨ましがられ、後の見物者の中には鯉が跳ねたのを見て、河童だと思いこむ者も現れた。居酒屋では、河童喧嘩という流行語まで生まれた。酔いにまかせて見たような嘘を言う者と、それを嘘だと決めつける者の間で諍いが起こることだった。
 一月ほど経った頃、河童騒ぎに更に拍車がかかる騒ぎが起こった。
 三代目瀬川菊之丞が、自らの言葉通り河童見物にやってきたのである。
 どこで聞きつけたか、町人娘も菊之丞目当てに繰り出し、河童騒ぎの前はうら寂しかった河原が大盛況の相を呈した。
 火付け盗賊改め長谷川平蔵も自ら姿を現し、騎乗からにらみをきかせた。
「歌舞伎者、今日は見かけは地味だが、中身はご禁制の派手な下着じゃあるめえな」
 平蔵は、わざと荒っぽい口調で菊之丞を威嚇した。
 「いえいえ、お頭、私は見ての通りの河原乞食。そんな余裕はございません。弱い者をいじめないで下さいまし」
 菊之丞が劇中の人物のように言うと、女性見物人の中からどよめきが起こった。
 「千両かせぐ役者が河原乞食なものか。憎いことを言うやつだ。もう一回取り調べてやろうか」
 「あれ、異なことを。ご勘弁下さいましな。長谷川様のお取り調べなどもう一回受けようものなら、菊之丞は怖さのあまり死んでしまいます」
 演劇口調の台詞にまたもやどよめきが起こった。
 見物人を味方につけた菊之丞の顔は言っていることとは逆に余裕があった。
 火付け盗賊改め長官に面と向かって文句を言える者はいなかったが、どよめきは、菊之丞支持のものが圧倒的だったのである。
 機を見るに敏感な平蔵は、またもや自分の名を上げるのに好機とばかりに出張ったが、さすがの平蔵も名女形菊之丞相手の芝居では敵うわけがなかった。不利と見て、後の見張りを部下に託して平蔵は帰って行った。
 それからしばらくは、時がゆるゆると流れていったが、結局、河童は姿を現すことがなかった。菊之丞は、
 「河童がいるなら見てみたいものでごじゃったが、怖い鬼が出てきただけでござりました。残念ですが、また鬼が出る前に去ぬるとしようかえ」
 と、甲高い笑い声を残して、去って行った。
 
 

鬼、河童に濁流の水飲まされるー16

2007年04月03日 | 一九じいさんのつぶやき
 実際、長谷川平蔵が三代目菊之丞を縄に掛けたときも、大奥が松平定信に直接抗議を行ったため、鬼の平蔵の取り調べもなしくずしとなり、菊之丞はおとがめを受けなかった。
 「その路考ですが、近々、河童見物に足を運ぶと噂になっておりやす」
 岩徳が梨園の連中を好ましく思っていないのは、その表情から分かった。
 「やはり怪しい。そんな噂を自ら流すとは、何か企んでいるに違いねぇ。この河童騒ぎ、誰かが操っているとしたら三代目だ」
 佐々木は手を叩いた。
 「ちょっと待って下せえ。自分で言っておいて何だが、例のが河童じゃねえと決めつけると分からねえ点もあります。あの河童もどきは水しぶきも上げねえですっと泳いで行った。おまけにどこにも浮かび上がってこなかった。河童じゃねえとすると、この点が説明できねえ」
 「泳ぎの達人が筒を口にして行きゃ、訳のねえことじゃねえですかい?」
 岩徳がそんなのは不思議でもないという様に口を挟んだ。
 「河童は川上に向かって泳いで行った。川下ならまだしも、川上に行くには随分骨が折れるぜ。それに、屋形舟では船頭が立ちあがって、水の中を注視していた。それで見失うんだから、かなり深いところを泳いでいたんじゃねえか。浅かったら水しぶきが立つし、深けりゃ筒が届かねえ」
 「ええぃ、じれったい。一体、兄貴はあれが本物の河童だと思ってるんですか、それとも偽もんと思ってるんですかい」
 「実はな、わっちにも分からねえ」
 「なんですって」
 貞一がそう言うと、岩徳はがっかりした顔をした。
 顔のつくりこそ悪人面といっていい男だが、表情の変化に富んだ男だ。
 (根は悪人じゃねえな) 
 笑いそうになるのを堪えながら、貞一はそう思った。