木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

アスファルト

2016年10月01日 | 映画レビュー
久しぶりにいい映画を観た。
フランス映画の「アスファルト」。
監督は、サミエル・ベンシェトリ。
「歌え!ジャニス・ジョップリンのように」の監督である。

「ジャニス」でも奇妙なサミエル・ワールドが展開されていたが、「アスファルト」でもその世界は健在だ。
コメディなのだが、イギリス的なブラックジョークではなく、ほのぼのとした笑い。
団地の屋上にいきなりNASAの宇宙船が不時着する不条理さは、サミエル・ワールドでないとさばき切れない。
サミエルにかかれば、NASAの宇宙飛行士もエリートではなく、ただの人間。

キャスティングも魅力的。
宇宙飛行士役にマイケル・ピット。
「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」でトミー・ノーシス役を演じた「あの」俳優である。
高校生役は、ジュール・ペンシェトリ。
監督の息子だ。
母親のマリー・トランティニアンは鬼籍に入ってしまったが、サミエルとの間に生まれた子供がこんなに大きくなっているとは、何だか感慨深い。

ストーリーを重視した映画ではない。
男女二人×3組により、人生の機微のようなものを描き出す。
6人の誰もが、いずれも心に傷か、あるいは寂しさを持っていて(マイケルだけはどうか分からないが)、人と人の関わりによって、少しだけ心が休まる。
舞台設定は奇抜だが、ストーリーは淡々と進んで行く。
いきなり宇宙飛行士が訪問してこられたら、誰もが動揺するだろうが、「アスファルト」の住人は冷静である。
そのギャップがまた面白い。
サミエルの描く映画には、悪人がいないのもいい。

ヴァリア・ブルーニ・テデスキが演じる看護婦役はマリー・トランティニアンにもぴったりだったなあ、と観ていてしみじみ思った。



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太秦ライムライトと福本清三さん

2015年02月01日 | 映画レビュー
「地元を大河ドラマの舞台に」といった活動を行っている地域は少なくない。
「八重の桜」だとか「黒田官兵衛」などのヒットを見ても分かるように、経済効果があるのだろう。
しかし、気がつくと、「水戸黄門」の放映も終わり、NHK以外で時代劇はほんの1本か、2本しか放映していない。
「時代劇ブーム」と言われているのは本当なのだろうか。
自分自身、時代小説を書いていながら、時代劇はあまり観ていなかったので、時代劇衰退の原因はよく分からない。
ただ一つ、勧善懲悪の時代劇において「正義の主人公」を演じることのできる説得力のある俳優が少なくなったことが要因の一つのように思えてならない。

「太秦ライムライト」に主演した福本清三さんは、説得力のある悪役だ。
福本清三さんがにわかに脚光を浴びだすようになったのは、「ラスト・サムライ」に出演した頃からである。
「ラスト・サムライ」は2003年の映画だから、早いものでもう10年以上も前の映画になった。
その頃はまだ、「水戸黄門」も放映されていたのだから、隔世の感がある。

脇役に徹して何十年。
どう斬られれば主役が引き立つか、を考えて稽古する毎日。
福本さんの殺陣の切れは、さすがに一流だ。
斬られたあとで、後ろにエビ反りになりながら倒れるところなど、凄い。
よほど身体が柔らかくないとできない。日頃の精進あっての所作だ。
「どこかで誰かが見ていてくれる」
福本さん自らの著書のタイトルともなった言葉が映画の中にも出て来る。
本当、そうだよなあ。
努力がすぐに認められるとは限らない。
実際は、どんなに努力しても、認められない場合の方が多い。
そんなとき、どうするのか。
諦めてしまうのか。自棄になるのか。
それとも、努力を続けるのか。
努力が、自分の思い描いていた結果を導き出してくれるときばかりではないが、夢があるなら、諦め悪く一歩一歩努力していくしかない。

ところで、映画の中で、殺陣のシーンをCG合成で撮ろうとする監督が出て来るが、本当にそんな日が来るのかもしれない。
そんなものは、時代劇とは呼びたくないが。

アメリカでも西部劇は衰退の一途のような気がするが、福本さんと、ハリウッドの最後の西部劇スター、たとえば、クリント・イーストウッドが、東京で会ってお互いに何かを感じるって映画は作れないかな。


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ハーレイ・ジョエル・オスメントの近況

2013年04月10日 | 映画レビュー
「ペイフォワード」(2000年・アメリカ)という映画があった。
同じころ「K-パックス 光の旅人」という好きな映画があって、主演男優であるケビン・スペイシー繋がりで観たのが「ペイフォワード」だった。
両方ともヒューマンな優れた映画で涙なしには観られない。
「ペイフォワード」の子役として光る演技をしていたのが、ハーレイ・ジョエル・オスメントだ。
ハーレイは有名な「フォレスト・ガンプ」のラストで、トム・ハンクスの子供を演じて、一躍注目を浴びた。
「ペイフォワード」の後も「AI」などに出演して、名演技を見せた。
しかし、名子役の常として成人するにつれ、活躍の場を失い、2006年には飲酒運転、続いてマリファナ所持で保護観察処分に処せられている。
一時はかなりふとったようで、「あの人は今?」状態になっていたが、本人はニューヨーク大学芸術学部を2010年に卒業。
声優を経て、再び映画界にも復活している。
チョイ役が多かったようだが、今年はアメリカのテレビで人気だった「Sex Ed」の映画版にも重要な役(童貞の教師役)で出演する。
大学での勉強が役に立ったようだ。

子役がドロップアウトして行くのを自業自得と捉える人もいるだろうが、周囲の大人の責任も大きい。
子役の人気というのは、努力よりも天性のものだ。才能かというとそうでもない。美人、美男子の基準とも違う、子供独特の可愛らしさが光る瞬間、人気を博す。
時が経てば子供は大人になる。子供としての可愛らしさも失われていく。それは当然のことなのに、人気もなくなっていくのでは、何か大人になるのが悪いことのように思ったとしても不思議ではない。
子役として成功した人間は少ないが、古くはシャーリー・テンプル、リズ・テーラー、少し最近だとジュディ・フォスター、あるいは変わり種として子役から監督に転じたロン・ハワードらがいる。成人後も成功した子役を見ると、本人の努力はもちろんだが、運というものの不思議さを感ぜずにはいられない。

ハーレイも間違いを人生の教訓として、味わい深い俳優になってもらいたい。
今日、4月10日はハーレイの25歳の誕生日。


2012年の「Sassy Pants」でのハーレイ

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アルバート氏の人生

2013年02月14日 | 映画レビュー
「アルバート氏の人生」。
現題は「アルバート・ノッブス」。
いかにも日本的なタイトルの付け方である。
キャストからも予告を観ても分かるし、冒頭で明かされるので先に書いてしまうとアルバート氏は女性である。
女優グレン・クローズのライフワークといってもいいこの映画は、グレンの思い入れが満ちている。
映画の中ほどまでは抑えた演技をしているのだが、段々感情が溢れ出して来る。
そして、最後は感情が爆発する。
グレンの演技は素晴らしいと思う。
けれども、ストーリーに必然性がない。
いつの間にか、ラブストーリーになっていくのだが、いくら何でも無理がある関係。
アルバート氏が本当の男性であっても無理に近いのに、ましてや女性なのだから、今後どうして行こうと考えていたのか。
そんな計算ができないところがアルバート氏の無邪気というか、いいところなのかも知れないのだが、観ているほう(特に男性は?)そいつは無理だよ、と思ってしまうのではないだろうか。
相手がアルバート氏を「いい人」だが「恋愛対象」としては見ていなかったとか、何か伏線が張られていれば納得もできたのだろうが、ストーリーに突然が多過ぎる、という感は否めない。
多分、突然すぎるストーリーもグレンに言わせればすべて必然の結果なのだろうけれど、観ているほう(少なくとも私)にはついていけない部分が多かった。
それでも最後まで引っ張って行かれるのは、グレンをはじめ、スタッフやキャストがこの映画にほれ込んでいるという気持ちが伝わってくるからだ。
この映画を観終わったときに抱く感想は人さまざまだと思う。
多くのハリウッド映画は観終わった後、スカっとするが、ドリンク剤を飲んだ後のようなもので、すぐに忘れてしまう。
この映画は、観終わった人を無条件に幸福にはしない。
後味が悪いと思う人もいるだろう。
でも、それが映画。
かつてのアバンギャルドなフランス映画やバブルな日本映画のような映画(フランス映画や日本映画のすべてではなくごく一部だし、個人的感想に過ぎないが)ではない。
人生って不公平だよな、でも死ぬ際に自分の人生をどう思うかは本人次第だ、と思ったのが、私の感想である。
蛇足ではあるが、この映画にはもうひとつサプライズがあった。
それは書かないで置く。
えー、本当、と思ったことしきりであった。

蛇足1:共演のミア・ワシコウスカは「アリスインワンダーダンド」のアリス役。可愛い。
蛇足2:「人生はときに辛いけど、人との絆が奇跡を起こす」という予告編の言葉は納得できない。
蛇足3:主題歌「Lay youra head down」はとてもいい。シネイド・オコナーはかなり波乱万丈の人生を送っている。

お勧め度★★★(60%・ヅカジェンヌは95%)



アルバート氏の人生HP


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When the Load closes a door,somewhere He opens a window.

2012年08月31日 | 映画レビュー
「ドはドーナッツのド、レはレモンのレ」、と言ったら今の若い人でも聞いたことはあるだろうが、それは「サウンド・オブ・ミュージック」で歌われていた「ドレミの歌」だよ、と言ったら、どれだけの人が分かるだろうか。
「サウンド・オブ・ミュージック」は娯楽映画ながら、「反戦」というテーマを強く持った骨太の映画である。

昔、映画の名文句を集めた本があって、「サウンド・オブ・ミュージック」の中の文句も紹介されていた。
自分の中では、「神様が全てのドアをお閉めになったときは、どこかの窓を開けていて下さる」といった文句だと思っていた。

先日、Amazonで映画の名文句を集めた中古の本をオーダ―したら、昔読んだ本であった。
その中では「サウンド・オブ・ミュージック」の台詞も収録されている。

私が記憶していた台詞の原文は、

When the Load closes a door,
somewhere He opens a window.


であり、著者の荒井良雄先生により

神様が扉を閉ざしたときには、どこかで窓を開けておいて下さる

との訳が付いている。
あながち私の記憶は間違っていなかった。

この台詞は、ジュリー・アンドリュース演じる主役のマリアが修道女をクビにされるときに、修道長から言われる言葉だった。

自分にはこの道しかない、と思っていたが、むごくも跳ね返された時。
自分にはこの人しかいない、と思っていたが、跳ね返されたとき。

対象を替えるのか、ルートを替えるのか。

行き止まりは、決して終点ではない。
一度、行き止まったなら、もう一回、他の道を探してみるのが良い。

Follow every rainbow, till you find your dream
A dream that will need, all the love you can give
Everyday of your life, for as long as you live.


久しぶりに「サウンド・オブ・ミュージック」を観てみたくなった。

サウンド・オブ・ミュージック~音楽集

参考:シネマ名言集(荒井良雄)芳賀書店

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プロムナイト2~ハロー メリー・ルー

2012年05月14日 | 映画レビュー
しばらく封印していたB級ホラー映画を久しぶりに観た。
久しぶりの悪友に再会したような気がして、記事を書く気になった。
観たのは、「プロムナイトⅡ」(原題・Hello Mary Lou Prom Night Ⅱ)という1987年のカナダ映画である。
主演のヒロインを演じるのはウエンデイ・ライオンという女優で、なかなかホラーっぽい名演技をみせている。
B級なので、ストーリー的にも破たんが多い。特に、メリー・ルーを殺した犯人(ビル)が逮捕されずに、校長になっているなどというのは、何が何でもストーリー的に無理だと思うし、連続殺人が起きているのに、何事もなくプロムが主催されるのもどうかと思う。
実際には37歳のマイケル・アイアンサイドが回想シーンとはいえ高校生を演じるのもかなり無理がある。
それでもなかなか優れた作品だと感じた。過度の期待を持って観るといけないが、ポップコーンとコーラを持って観るにはいい映画だ。
カナダ映画界というのは商業的に厳しいらしく、その後、主役のウエンディ他、共演のリサ・シュレージ、リチャード・モレッテ、ジャスティン・ルイスなどもほとんど映画には出演することなく、カナダのテレビドラマへと活躍の場を移して行く。
唯一の例外は、かなり無理があった高校生役をも演じたマイケル・アイアンサイドで、この映画の3年後には「トータル・リコール」でアーノルド・シュワルツネッガーを追い詰める敵役として存在感を見せ、その後も多くのハリウッド映画に出演を果たしている。もっとも、アイアンサイドは1981年には「スキャーナーズ」1986年には「トップガン」(教官のジェエスター役)にも出演しており、「プロムナイトⅡ」の頃にはハリウッド俳優としての地位を確立していた。いかに主演級とはいえ、「プロムナイトⅡ」のようなB級ホラーに出演したのは、やはり母国カナダへの思い入れがあったのだろう。

お勧め度
★★★☆(70%)

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プロムナイトYOUTUBE版



オレンジと太陽(Oranges and Sunshine)

2012年05月02日 | 映画レビュー
先進国と言われているイギリスでは、19世紀から1970年代に至るまで、13万人もの幼い子供がオーストラリアに送られていた。福祉施設に送られる孤児という名目で、何等かの理由で親から手放された子供であるケースが多かったが、中には通常の子育てが不可能と判断され、行政的に無理やり引き離された親もいた。
もう一度、子供の顔を見たいと思っても「子供は裕福な里親に渡され、幸せに過ごしている」と虚偽の報告されると、確かめる術もなく、泣く泣く諦めざるを得ない親がほとんどだった。
オーストラリアに子供を送っていたのは英国政府で、受け入れたのはオーストラリア政府であり、政府間の了承の上に行われた。
アジアからの侵略の脅威を感じていたオーストラリアが白人の増加を国策としていた点、低賃金労働力を求めていた点などが理由として挙げられる。送られた子供は、決して「裕福な里親」などには渡されず、孤児院とは名ばかりの劣悪な環境下でこき使われた。
移民が13万人もいて何十年もこの事実が知られていなかったのは、非常に不思議だが、オーストラリアに送られた子供たちは教育も受けられず、単に肉体労働を提供するだけだったので、成人しても社会的に成功する人間があまりいなかった点も大きい。
親側も子供を引き離される何らかの理由があった訳で、富裕層の人間が少なかったと思われる。
実在の人物であるソーシャルワーカー、マーガレット・ハンフリーズは偶然この件について知ったのであるが、そこから彼女は真相解明に本腰を入れる。
オーストラリアとイギリスを何回も往復し、オーストラリアでもオフィスを設けてもらい、精力的に調査を進める。
その結果、数多くの親子が対面を果たす。
2009年11月にオーストラリア首相、2011年2月にイギリス首相が公式謝罪を行った。

日本というのはつくづく平等社会である、とこの映画を観て思った。
日本でも貧富の差はあれ、10万人を越える子供がどこかへ移民に出されていたら、必ずその情報は流出するのではないか。
この「事件」が永らく漏えいしなかったのは、英国社会が抱える格差社会が根底にあるように思う。

また、子供たちに虐待と呼んでも過言ではない作業を行わせた教会施設があったのにも驚く。
反抗心を殺ぐためなのか、徹底した過酷な作業。
成人後に課せられたこれまでの「生活費」と呼ばれる借金。
陰で行われた牧師による男色活動。
果たしてこれが真実なのか、と疑ってしまうような「聖職者」による数々の神を冒涜する背信行為。

マーガレットの活躍の裏には、夫マーヴィンの理解と手助けもあった。
単身、長期に亘ってオーストラリアに滞在した妻のサポートは並々ならぬものだったはずだ。

この手の実話を元にした映画は、感情を抑えて淡々と進められることが多く、この映画も例外ではない。
淡々と進められる中にも、どこか一か所はほろりと来る場面があって、この映画では反抗的だったレンが、ついに心開く場面であったり、シャーロットと母親が二人で感謝を述べに現れる場面であったりするのだが、大きなヤマはなかった。
タイトルは、「ある日、男の人が来てこう言った。君のママは死んだんだ。だから海の向こうの美しい国へ行くんだよ。そこでは毎日、太陽が輝き、そして毎朝、オレンジをもいで食べるんだ」というセリフからとっているが、この場面もあまり感動はなかったような・・・・。

それにしても、「ロード・オブ・ザ・リング」のデイビット・ウェナムとヒューゴ・ウィーヴィングがこのような社会的映画で共演するのは何だか感慨深いものがある。
ヒューゴは今年公開の「ホビット」にも出演するのだが、ふたりでどんな話をしたのだろう。

お勧め度 ★★★(60%)

「オレンジと太陽」公式HP

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幸せの太鼓を響かせて

2011年06月15日 | 映画レビュー
幸せの太鼓を響かせて~INCLUSION」を観る。

知的障がい者によるプロの和太鼓集団「瑞宝太鼓」を追ったドキュメンタリーである。
かなり感動的な題材を扱っているのであるが、カメラはむしろ淡々とメンバーの日常を追う。
メンバーも気負いもせず、ただただ、太鼓の毎日に没頭しているように見える。
ただし、プロというからには、観客からお金を取れるような演奏をしないといけない。
プロで暮らしている太鼓集団は少ない。
果たして大丈夫だろうかと見ていたのだが、心配は杞憂だったようだ。
「瑞宝太鼓」は、プロとして活動し始めたのが、2001年からだ。10年以上の活動歴は伊達ではない。
本来の意味での独立プロではなく、就労継続機関A型事業所「瑞宝太鼓」に勤務して給与を貰っているようなのだが、プロに変わりはない。
テクニックがアマチュア並みだったら、ここまで継続できてはいない。

この映画を観て印象的だったのはメンバーの演奏時の楽しそうな表情である。
演奏も、単に生活の糧を得るため、とだけ考えたら、どれだけ詰まらないだろう。
翻って、仕事を心から楽しんでいる人たちというのは、どれだけいるのだろう。
今回の震災で、プロ野球開催の時期が議論されたとき、どこかの選手が「僕たちを観て、元気が出るようなプレーがしたい」と言っていた。元気が出るようなプレーってどんなプレーだろう。
プロの選手は一生懸命やるのは絶対条件であって、それだけでは観る人は感動しない。
「瑞宝太鼓」のメンバーが演奏時に見せる輝くような表情は、損得とか、計算などを超越している。
くしくもリーダーの岩本さんがMCで話す「僕たちは計算するとか、ものを数えるということは得意ではありませんが、太鼓を一生懸命に叩きます」と言っていたのは、その通りだと思う。
瑞宝太鼓のメンバーはプロといっても、豪邸に住めるほどの報酬を貰っているわけではない。むしろ、逆である。だけれども、幸せというのは収入の多寡だとか、地位だとか名声だとか、そんな世俗的なものに必ずしも比例しないのだということを教えられたように思う。

観終わった後に、リーダーの岩本さんだとか、副リーダーの高倉さんたちと古くからの友人であるかのような錯覚に陥った。

劇場で販売されているサントラ盤「INCLUSION」もお勧め。収録時間は短いが、時勝矢一路さんの手になる音楽はやさしく、ピアノと太鼓の音が心に沁みる。

お勧め度★★★★(★5つが満点)

「幸せの太鼓を響かせて」HP
瑞宝太鼓HP
瑞宝太鼓の演奏YOUTUBE
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戦火のナージャ

2011年06月02日 | 映画レビュー
ロシアのニキータ・ミハルコフ監督・主演の「戦火のナージャ」を観た。
冒頭の収容所の場面、巧みなカメラワークにより映画に惹き付けられる。
しかし、次のスターリンが出てくる場面になると、何が何だか分からなくなる。
このモヤモヤ感は、映画最後まで、ずっとつきまとうことになるのだが、とにかくストーリーが分かりにくい。
それもそのはずで、この映画は「太陽に灼かれて」の続編で、前編を観ていることを前提に作られているようだ。
主人公のコトフ大佐の境遇も全く説明されることなく進められていくし、ストーリーは分かりにくい、というよりも、全く分からない、といった方が近い。

配給会社は「お父さん生きていますか?」のコピーとともに、「スターリン大粛正から、第二次大戦へ。激動の時代、広大なロシアの草原を、ナージャは生き別れた父を捜す旅に出る」と案内しているが、このコピーを期待して映画を観ると、肩透かしを食う。かなり、配給会社も苦しかったのだと思う。

次々にエピソードが挿入されて、ちっともナージャが父探しの旅の場面が描かれない。
「早く探せよ。時間がなくなるぞ」と観ているこちらがハラハラするほどである。
そんな中、途中から気が付いたのであるが、この映画は父親探しという大筋を借りて、戦争中に起こる理不尽な事柄を描いているのだと思った。悲惨なエピソードも監督独自のユーモアセンスを交えて描かれる。
2時間30分の長編で、ストーリーが分からないのに、退屈せずに観られたのは、この映画がメインストーリーよりも、数々の短いエピソードから成り立っているからである。
赤十字の船に向かって戦闘機から大便を落とそうとするパイロットとか、身長180cm以上の役に立たないロシアエリート集団だとか、笑ってしまう。
ストーリーに関して言えば、実の娘を出演させるために、父親探しという粗筋を作ったに過ぎないとすら思える。

とにかく、この映画は「太陽に灼かれて」を観ていないことには、話にならない。「戦火のナージャ」は3部作の真ん中ということだが、前作が16年前。一体、映画が完結するには何年かかることやら。


オススメ度 ★★(満点は★5つ)
*前作を観ていると評価はかなり違うでしょう。



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ハーブ&ドロシー

2011年01月20日 | 映画レビュー
映画「ハーブ&ドロシー」を観た。
ドキュメンタリー映画である。
ハーブは元郵便局員の夫、ドロシーは元図書館司書の妻。
ふたりの趣味は現代アートを集めること。
普通の勤め人であるふたりは妻の給料を生活費に充て、夫の給料を全額アート購入に使った。
いつの間にかそのコレクションは2000点以上。
ふたりとともに年を取ったアーティスト達も大御所となり、アートの金額も上がった。
特にバブルの頃は、うなぎ登りに値段が上がったが、ふたりはアートを売らない。
投機目的にアートを収集した者のなかには豪邸の他、スイスや各国に別荘まで購入した人間がいるというのに、ハーブ&ドロシーは1LDKのマンションに住み続ける。
家が狭すぎて、買ったアートを飾る場所もないというのに。
老境を迎えたふたりが選択したのはアートを売るのではなく、永久保存してくれる国立美術館に寄付すること。
無償提供するという申し出に、美術館側の人間のほうが心配して、生活資金を渡すのだが、ふたりはそのお金をまたまたアート購入に費やしてしまう。
中毒にも近い感じだが、情熱を必要とする中毒である。
継続していくことの大切さを教えられた映画でもあった。
あそこまで生活のほとんどを犠牲にして、ひとつの事柄に集中するのは、すごいことだと思う。
自分自身は、生活を極度に一方向にしたいか、と言ったら答えはNOなのだが、感銘を受けた。
個人的には現代アートというもののよさがちっとも分からないので、なぜ高価なのか理解に苦しみ、アート紹介の場面などは正直退屈だったが、これは趣味の問題。
ただ、映画的手法が使えないくらい、ふたりの生き方がユニーク過ぎるのも難点だろう。
日本人の女性監督・佐々木芽生の作品であるのも注目どころ。

オススメ度★★☆(50)
*現代アート好きな方にはかなりオススメ!

ハーブ&ドロシーHP



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