二宮尊徳は「経済なき道徳は寝言である」と言った。
金原明善は「汚ない金もきれいなことに使えばきれいな金だ。きれいな金も汚ないことに使えば汚ない金だ」と喝破した。
ヴォーリズはメンソレータムで儲けた金を私欲のためには使わなかった。
サナトリウムを建て、学校を建て、社会活動に使った。
聖書の一説、
わたしたちは何も持たずに生まれ、世を去るときは何も持っていくことができない。食べるものと着る物があればわたしたちはそれで満足すべきです。金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根源です。
(テモテⅠ 六・・・六~一〇)
をヴォーリズは忠実に実践したと言う。その考えは当時の近江兄弟社の給料制度にもよく現れている。
岩崎侑氏の「青い目の近江商人」を引用する。
管理職と雑役の従業員との給料に差はない。給料は相対的能力によるものではなく、相対的必要性によって決まる。例えば、独身者は十人の家族を抱える人物ほどには金を必要とはしない。(中略)給料を個人や家族のニーズに合わせるということだ。
個人の固有財産を持つことは禁じられていないものの、認められてはいない。
ヴォーリズ夫妻は衣類以外には何も持っていない。彼らは銀行に1ドルたりとも持っていない。彼らのサラリーは残ったら分配される。実際、近江兄弟社のメンバーはすべてこの上なく幸福で、無一文の状態なのである。
こうして書くと、なんだかカルト宗教のような印象を持つ人もいるかも知れないが、近江兄弟社は宗教団体ではない。
ただし、若き日のヴォーリズが雷に打たれたように感じとった使命(キリスト教の伝道)からすると、宗教団体っぽくなるのは当然の帰結である。
近江兄弟社の社綱領の第一条には、
近江兄弟社は近江の国において教派に関係なく、基督の福音を宣伝実践する事をもって、目的とする。
と明言している。
また、社綱領の第六条には、
近江兄弟社は、禁酒、禁煙、貞潔、思想の向上、冠婚葬祭・慣習の合理化実践、体育衛生・社会文化の向上進歩に努力し、青少年教育、社会風致の改善に従事する。
とあり、社員は禁酒、禁煙を求められる。
何かやはり固い印象を持つが、近江兄弟社が今も統一理念を「信仰と事業の両立による社会奉仕活動の実践」としている以上、当然なのであろう。
大事業を成し得ても、禁酒、禁煙、資産もなしという生き方を窮屈なものと捉える人もいるだろうが、何かを得るためには、何かを手放さなければならない。
幸福とは、何を手放し、何を得るか、の取捨選択に掛かっていると言っても過言ではない。
ヴォーリズが手放したものは多かったが、得たものはもっと多かったに違いない。
ただし、ヴォーリズがただの慈善家、「ひとのいいおじさん」だったかというと、そうではない。
ヴォーリズは、ときには厳しい商人でもあった。
ヴォーリズは語っている。
ビジネスは商人にとって教育や医療や伝道などの活動と同じように、社会奉仕であり、公共の利益のために取引者相互が尽くすべき一つの信頼であって、自己の利益を得るための戦いではない。
良心的で優れた仕事を成したあとには、正当な報酬を得なければならない。冒頭の二宮尊徳や金原明善にも繋がる考え方である。
理想の前には、しっかりとした暮らしがなくてはならない。
暮らしを支えるのは、しっかりとした仕事である。
熱心な基督信者であったヴォーリズが熱心な商人であったのは、ちっとも矛盾しなかったのである。
今津のヴォーリズ資料館に行くと、昼にはカレーライスが食べられる。
価格は、なんと300円。
肉は使わず、地元野菜を使った優しい味で、米は黒米(炊くと桜色になる)を選ぶこともできる(黒米の場合は330円)。
また、ヴォーリズセット300円もある。こちらはライスに漬物と野菜のみそ汁というシンプルなセットだが、この味噌汁が野菜たっぷりで素晴らしい。
どちらも、「御馳走」というよりは寺で頂く精進料理のような感じで、ほっとする味だ。
また調べていると、同志社大学のカレッジソングはヴォーリズが詩を付けたという文に出くわした。
意外なところで意外な事実があるものだ。
ヴォーリズ資料館:滋賀県高島市今津町今津175番地 0740-22-0981
休館日:月曜、年始年末
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参考資料
青い目の近江商人~ヴォーリズ外伝(文芸社)岩原侑
金原明善は「汚ない金もきれいなことに使えばきれいな金だ。きれいな金も汚ないことに使えば汚ない金だ」と喝破した。
ヴォーリズはメンソレータムで儲けた金を私欲のためには使わなかった。
サナトリウムを建て、学校を建て、社会活動に使った。
聖書の一説、
わたしたちは何も持たずに生まれ、世を去るときは何も持っていくことができない。食べるものと着る物があればわたしたちはそれで満足すべきです。金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根源です。
(テモテⅠ 六・・・六~一〇)
をヴォーリズは忠実に実践したと言う。その考えは当時の近江兄弟社の給料制度にもよく現れている。
岩崎侑氏の「青い目の近江商人」を引用する。
管理職と雑役の従業員との給料に差はない。給料は相対的能力によるものではなく、相対的必要性によって決まる。例えば、独身者は十人の家族を抱える人物ほどには金を必要とはしない。(中略)給料を個人や家族のニーズに合わせるということだ。
個人の固有財産を持つことは禁じられていないものの、認められてはいない。
ヴォーリズ夫妻は衣類以外には何も持っていない。彼らは銀行に1ドルたりとも持っていない。彼らのサラリーは残ったら分配される。実際、近江兄弟社のメンバーはすべてこの上なく幸福で、無一文の状態なのである。
こうして書くと、なんだかカルト宗教のような印象を持つ人もいるかも知れないが、近江兄弟社は宗教団体ではない。
ただし、若き日のヴォーリズが雷に打たれたように感じとった使命(キリスト教の伝道)からすると、宗教団体っぽくなるのは当然の帰結である。
近江兄弟社の社綱領の第一条には、
近江兄弟社は近江の国において教派に関係なく、基督の福音を宣伝実践する事をもって、目的とする。
と明言している。
また、社綱領の第六条には、
近江兄弟社は、禁酒、禁煙、貞潔、思想の向上、冠婚葬祭・慣習の合理化実践、体育衛生・社会文化の向上進歩に努力し、青少年教育、社会風致の改善に従事する。
とあり、社員は禁酒、禁煙を求められる。
何かやはり固い印象を持つが、近江兄弟社が今も統一理念を「信仰と事業の両立による社会奉仕活動の実践」としている以上、当然なのであろう。
大事業を成し得ても、禁酒、禁煙、資産もなしという生き方を窮屈なものと捉える人もいるだろうが、何かを得るためには、何かを手放さなければならない。
幸福とは、何を手放し、何を得るか、の取捨選択に掛かっていると言っても過言ではない。
ヴォーリズが手放したものは多かったが、得たものはもっと多かったに違いない。
ただし、ヴォーリズがただの慈善家、「ひとのいいおじさん」だったかというと、そうではない。
ヴォーリズは、ときには厳しい商人でもあった。
ヴォーリズは語っている。
ビジネスは商人にとって教育や医療や伝道などの活動と同じように、社会奉仕であり、公共の利益のために取引者相互が尽くすべき一つの信頼であって、自己の利益を得るための戦いではない。
良心的で優れた仕事を成したあとには、正当な報酬を得なければならない。冒頭の二宮尊徳や金原明善にも繋がる考え方である。
理想の前には、しっかりとした暮らしがなくてはならない。
暮らしを支えるのは、しっかりとした仕事である。
熱心な基督信者であったヴォーリズが熱心な商人であったのは、ちっとも矛盾しなかったのである。
今津のヴォーリズ資料館に行くと、昼にはカレーライスが食べられる。
価格は、なんと300円。
肉は使わず、地元野菜を使った優しい味で、米は黒米(炊くと桜色になる)を選ぶこともできる(黒米の場合は330円)。
また、ヴォーリズセット300円もある。こちらはライスに漬物と野菜のみそ汁というシンプルなセットだが、この味噌汁が野菜たっぷりで素晴らしい。
どちらも、「御馳走」というよりは寺で頂く精進料理のような感じで、ほっとする味だ。
また調べていると、同志社大学のカレッジソングはヴォーリズが詩を付けたという文に出くわした。
意外なところで意外な事実があるものだ。
ヴォーリズ資料館:滋賀県高島市今津町今津175番地 0740-22-0981
休館日:月曜、年始年末
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青い目の近江商人~ヴォーリズ外伝(文芸社)岩原侑