木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

ブルースとジャッキーの接点

2010年07月31日 | 映画レビュー
ブルース・リーを知らない世代も増えて来た。
ジャッキー・チェンにしてもカンフースターだったことを知らない人も多いに違いない。
さらに、この二人に接点があったと知っている人となると、ほとんどいないのではないだろうか。
実はこの二人は格闘シーンで共演している。
リーは1940年生まれ。
チェンは1954年生まれ。
14歳違いの二人は「燃えよドラゴン」で共演(?)している。
カッコで?付きにしたのは、チェンはほんの脇役でしかないだからだ。
ジャッキーはこのとき19歳。
10秒足らずの端役に過ぎないが既にこのときは例のおかっぱのような髪型だったのが興味深い。
ブルースに髪を捕まれるのだが、長髪のジャッキーの髪型は都合がよかったのだろう。

リーの息子のブランドン・リーの存在を知っている人も少数派だろうか。
映画の撮影中に実弾に当たって28歳で死亡してしまったブランドンの当たり役は「クロウ」。
前篇に漂う暗い雰囲気とバックに流れるロックがぴったりとマッチしていた。
ブルース・リーの享年は32歳。
図らずも、ブランドンはブルースよりも早世してしまったことになる。
今頃はあっちの世界で親子仲良くトレーニングしているのだろうか。

燃えよ!ドラゴン

クロウ~飛翔伝説

It can't rain all the time(クロウのエンディングテーマ)

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反本丸

2010年07月28日 | 江戸の味
夏バテ気味である。
特に頭が働かない。
やる気モードも低下していて、少し様子見の状態。

こんなときは食べるに限ると食べ放題に行ったら、翌日はひどく調子が悪かった。
食べ放題とセットだった飲み放題のせいか?

江戸時代は動物性たんぱく質を食生活で摂ることが極端に少なかった時代で、同じように夏バテで悩まされた人も多かったのではないだろうか。
江戸時代の人の労働時間は現代に比べてかなり少なかったので、楽だったかのような表現を見かけるが、今も昔も忙しい人は忙しかったし、責任のある人物にかかるプレッシャーやストレスの度合いも現代と変わらなかったように思う。
名誉を重んじる武士の生活は現代より厳しかったかも知れない。
この時代、動物の肉を食べる人間は少数派であったが、現代でいうジビエのような感覚で一部の好事家には食されていた。
その際は、薬喰い、などと称して、馬を桜、イノシシを牡丹などと呼んだのが、現代の呼び名にも残っている。
徳川慶喜の豚肉好きは有名で、当時から「豚一殿」などと呼ばれていた。
牛は農耕の貴重な動力であり、積極的には食されなかった。
滋賀県彦根では、死んだ牛の皮を加工する職人がいて、彼らは余った肉を食した。
その習慣が、彦根の牛の味噌漬けを生む。
この味噌漬けはグルメ食としてではなく、滋養強壮剤として捉えられていた。
中国の「本草綱目」にヒントを得て「反本丸」(へいほんがん)なる薬も作られた。
彦根博物館に行くと、病気の娘に牛肉の味噌漬けを与えたところ、すぐに快癒したと記す寺社奉行からの令状が飾ってあるが、いったい、どんな病だったのであろう。

この牛肉を貰った人物に意外な人物がいる。
大石内蔵助である。
老齢の堀部弥兵衛におすそわけをしたときの文が残っている。
息子の主税は、若いから却って害になるので食べさせない、などと書いているのが興味深い。

後に宿敵になる水戸の徳川斉昭にも井伊直弼が贈っている。
嘉永元年であるから、安政の大獄の始まる11年も前のことである。
毎年のように所望していた中に、松平丹波守光年という人物がいる。
丹波守は、松本藩の藩主であった。
戊午の密勅は、孝明天皇が幕府を飛ばして、水戸に直接指示を与えたものであり、命令系統を無視したものである。
それだけに、幕府は頭から湯気を立てて怒り、大老の井伊直弼が安政の大獄を始めるきっかけともなった。
この戊午の密勅の仲介を図ったのが、松本藩の名主であった。
皮肉といえば、皮肉な巡り合わせだ。

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スタイタス・クォー

2010年07月23日 | ロックマニア
長く続いているからいい、ということはない。
けれど、継続は力であるというのも事実。
ロック界という浮沈の激しい世界にあっては、特にロックバンドを続けるというのは大変なことではないかと思う。
その中にあって、1962年結成というイギリスのロックバンドがまだ現役で頑張っている。
日本やアメリカでは知名度が低いがイギリスやオーストラリアなどでは、今なお根強い人気を誇る「ステイタス・クォー」というバンドである。
ストーンズが少しトーンダウンしてしまったなか、ステイタス・クォーは現役バリバリで、昔よりかえってよくなってきている。
個人的に僕はブギーというのが合うらしく、このバンドには一目(一耳?)惚れであった。
ツインリード、ツインボーカルのような格好をとっているのだが、ゲーリー・ムーアとプロレスのドリー・ファンクがフロントに立っているような感すら受ける(分かりにくい表現ですみません)。
聴いたこともない人も多いだろうし、趣味でない人も多いかもしれないが、何十年前よりも、今のほうが進化していて、外見はアメリカの退役軍人の老後のような風貌(これも分かりにくくてすみません)であるが、内面は何十年前と全く変わっていないかのような演奏には感動すら受ける。
最近は、気分が沈みがちなときは、彼らのDVDを観ていることが多い。
観ていると元気になるバンドである。
下記にYOUTUBEの画像を埋め込んで置きましたので、昔と今を見比べて貰えれば、ボルテージが下がっていないことに驚くに違いありません。

何十年前のステイタス・クォー

2009年のステイタス・クォー
画像が悪いのが残念ですが、近年の彼らを一番よく捉えています。

ちょっと前のステイタス・クォー

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皮肉と婉曲表現

2010年07月14日 | 日常雑感
「ええなあ、あんたの性格」
「余裕がある人は違うなあ」
「ほんまに、敵わんわ」
皮肉屋の言葉はにはトゲがあり、腹が立つ。皮肉というのは婉曲表現であるから往々にして、こちらも曖昧に言葉を返すことが多い。
だが、相手の皮肉に全く気づかない人がいる。惚けているのかと思うくらいの反応をする人もいて、端にいる者は皮肉屋と鈍感屋の間の会話をハラハラする思いで見ることになる。
皮肉屋の胸の内は、もちろん言っていることと正反対のことを言いたいのだが、そこには一種の羨望があるのも事実。
「ええなあ、あんたの性格」は、「その性格なんとかしろよ」と言う意なのだが、一方でそんなお気楽な性格が羨ましいと思う心もある。
「余裕がある人は違うなあ」は「仕事量が少ないんじゃないか」と思う心があるが、「俺も仕事量を減らして欲しい」という気持ちがあるかも知れない。
へんてこな言い方をしないで、直裁な言い方をすればいいじゃないか、と思うくらい皮肉が嫌味に聞こえる時もある。
ドライブの最中、「喉が渇かない?」と彼女に聞かれたら、それは「私は喉が渇いたのでどこかでお茶したい」という意味であるという。
対人関係を傷つけまいとして、行っているつもりの婉曲表現はかえって、人間関係を阻害することにもなりかねない。婉曲表現に限らず、自分ではよかれ、と思って行っていることが、結局は独りよがりの行動に過ぎないこともある。
自分でも気を付けたいものだ。

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田沼意次の遺言

2010年07月11日 | 江戸の人物
駿河湾からほど遠くない地に相良資料館が建つ。
遠州相良は、かつて田沼意次が領主を務めた土地で、この資料館が建っているのは、相良城の本丸があった場所である。
私の中では、田沼意次というと、いまも田沼町という地名が残る栃木のイメージが強いが、実は静岡のほうが所縁が深い。

意次と忠臣蔵の主要人物、大石内蔵助、吉良上野介には共通点がある。
それは、三人とも製塩業に力を入れていたことである。
赤穂の塩は現在も有名だが、相良や吉良の塩は今は聞かなくなった。
上野介は赤穂の塩に妬みがあった、という説もあるが、赤穂の塩はそれだけ優秀だったのであろうか。

意次は遺言として家訓を残している。
七条から成り、徳川に対する忠誠や、文武の奨励、孝行を行うことなどを説いているが、別枠として書き記している七条は意次の真骨頂である。

勝手元不如意で、貯えなきは、一朝事ある時役に立たない。御軍用にさしつかえ武道を失い、領地頂戴の身の不面目これに過ぎるものはない。

意次に対する悪評は松平定信が悪意を持って流布したというのが現在の定説ではあるが、意次はこのように商人的な考え方を持つ、当時としては異色の武士だったことには変わりがない。
大奥が騒ぐような色男だったとか、誰彼となく気さくに声を掛けたなどという話も伝わっているが真偽はよく分からない。
ただ、田沼の血筋は優秀だったのは紛れもない事実で、定信が執念かけて排斥しようとした田沼家はお家断絶になることもなく、一度は奥州に追いやられたものの、後には相良に復帰している。
そして、幕末には田沼意尊(おきたか)が若年寄まで進んでいる。
この意尊は、天狗党の乱制圧の指揮官であるが、天狗党員をニシン倉に詰め込み、幕末史最大とも言える斬殺を指示した人間である。
だが、政治能力には長けていて、上総小久保藩に転封後も藩知事となり、さらに、女婿である望(のぞみ)は、明治天皇の侍従を務め、貴族院議員となっている。



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神様との対話

2010年07月08日 | 日常雑感
あれもやりたい、これもやりたい。
あそこにも行きたい。
やりたいこと、やるべきと思っていることのあまりの多さにぶつぶつ呟いていると、いつの間にか、神様が自分の後ろに立っていた。
自分の中では、神様の姿は常に自分と同世代である。
今や、中年の姿となった神様は昔通りの長髪であるが、幾分、白髪が交じるようになった。
「そんなに欲張ってはいけないよ」
いつもと同じように穏やかで親しげな口調である。
「でも、秘められた自分の可能性の前にはなかなかやることを絞れないよ」
と私が答えると、
「いったいあと何年生きる積りだい?」
と神様が笑った。
「あと何年、生きられるんですか?」
と私は質問を質問で返してしまった。
神様はしばらく、黙ったまま私を見つめた。
「知りたい?」
私は更に問いかけてくる神様の顔に笑顔が消えていない事実に救いを求めるように、
「まさか、今日、明日ということはないでしょう」
と続けた。
すると、神様の顔からは笑みが消えた。
「それを本当に聞きたいかい?」
ゆっくりと言葉を区切るように問う神様の前に、私は言葉を失った。
「いえ、やめて置きます」
「それがいいのかも知れない」
唸るように答えた私を慰めるように神様が静かに微笑みながら、答えた。
さっきまでは、あんなにやりたいと願っていた数々の事柄、行きたいと思っていた土地などが、今やどうでもいいことに思えた。
「この世の終わりといった顔だな」
「そりゃ、そうでしょう。死刑宣告を受けたばかりだ。それでも笑えるような図太い神経は持ち合わせていない」
「人間は生まれたときが、死刑宣告を言い渡されるときだ」
「そいつは屁理屈だ!」
思わず、私は叫んだ。
「屁理屈を言うのが神様の仕事だよ。もっとも、一流の神は9割が屁理屈なのに、聞く人に屁理屈っぽさを感じさせない。その点、僕はまだまだだな」
「あなたには会う人すべての寿命が見えるんですか」
「まさか。帰ってパソコンのデータベースで調べないと分からないよ。僕の脳には、世界中の人間の寿命を覚えられるほどの容量はない。実を言うと、君の寿命も調べていないんだ」
「そうですか」
私は安堵の吐息を漏らした。絶体絶命のピンチから生還した気分だ。
「だからといって、今日明日に死なないという保証はないよ」
「それは誰も一緒でしょう」
私はからかわれているのかと思って、少しばかり強い口調になる。
「そう、一緒だ。その不確かな時の中で、人は怒り、泣き、笑い、願い、悩む。何かを成すのに時間を要することもあるのは僕も十分に理解できる。だけど、時間には限りがある」
「悩みながら、迷いながら生きるのが人間です」
「企業秘密だけど、神も迷うんだ。ボーナスが出た直後で何でも好きなものが食べられるとしても、君は迷うだろう。好きなことができるからといって、迷いがなくなるわけではない」
「昼飯と人生は違う」
「比喩を理解しないようだね。それとも、僕の比喩が下手くそなのかな」
「そんなことはないよ」
この神様は時折、とても自信のなさそうな表情をする。演技なのであろうか。いずれにせよ、人間が神様を慰めるとは、変な光景には違いない。
「神にも寿命がある。だけど、どの神も自らの寿命を知っている。だから、迷うべき場面、迷うべきでない場面を知っている。そこが人間と違うところかな」
「迷うべき場面……」
「人は誰も使命を持って生まれてきている。争うために生まれてきた者などいないはずなのに、勝手に人は争いを始める。建設的な争いは否定しない。しかし、暴力的な争うを行う者に対しては、敗者だけでなく、勝者にも神は幸せを与えない」
 
そこで目が覚めた。
寝苦しい夜の七夕の夢。

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亀田鵬斎

2010年07月04日 | 江戸の人物
江戸時代に亀田鵬斎という人物がいた。
儒学者で書家として有名だったが、今日的な考えでいけば、「大馬鹿野郎」である。
浅間山噴火の際には私財を投げ打って被災者の救済に当たるし、赤穂浪士の際にはこれまた私財をはたいて泉岳寺に石碑を立てている。
独り身ではなく、家には妻も子もいる身である。
有り余る金ならともかく、使ってしまえば明日からの米にも事欠く大事な金子である。
それを妻子に相談もなく、自分の義と思う事柄にポンポンと使ってしまう。
「いい人」には違いない。
だが、傍からみれば美談でも、当事者では堪らない。

この鵬斎に次のようなエピソードがある。
年末に集金のために越後に行っていた鵬斎は、江戸も間近となった浦和で、泊まった宿が異様に暗い雰囲気に包まれているのを感じ、主人に仔細を問う。
主人は答えて曰く、借金のかたに娘を売る必要がある、と。
借金の額を聞くと、百両とのこと。
このとき、鵬斎の財布にはきっちり百両が入っていた。
鵬斎は、一瞬躊躇したものの、有り金全部を置いて宿を逃げ出すように飛び出す。
家に帰った鵬斎は、妻にもさすがに本当のことは言えずに、布団を被って寝込んだ振りをする。
そこに友人の著名な画家である酒井抱一が来て、問いただすと、さすがの鵬斎も嘘をつけず、本当のこと話す。
すると、抱一は、「さすがは鵬斎である」といって、年末の払いなどをすべて肩代わりししたので、鵬斎はやっと年を越せたそうである。

美談である。
だが、自分が鵬斎の妻の立場だったらどうであろう。
鵬斎が出した百両の金で浦和の宿の一家は助かったが、そのあおりを受けて、鵬斎の一家は飢え死にしてしまうかも知れない。

ただ考えてみると、集金から帰ってきた主人が金も渡さずに黙って寝込んでいる。
それまでの鵬斎の心情を知っている妻からすれば、舌打ちはするが、「またか」と思ったに違いない。
家計費にも困るのは明らかであるのに、夫を詰問して「改宗」させようとしない妻も「馬鹿者」である。

抱一というのも「馬鹿者」である。
貸すのではなく、惜しげもなく自分の金を与える。
利益などあろうはずもないのに、損な行為を続けている。

現代には、ホリエモンなる怪獣もいた。
ホリエモンによると「金こそすべてのパワー」だそうである。
そう考えたら無償で金を提供するなど、自己のパワー低下を招くだけに過ぎない。
きっと、馬鹿だったのであろう。

江戸時代、亀田鵬斎という大馬鹿がいて、妻も大馬鹿で、さらには友人にも酒井抱一という大馬鹿がいたという事実。
現代は利口な者ばかり。
どちらが社会として成熟していて、どちらが幸福なのだろう。
江戸時代をうらやましげな目で見てしまうのは私だけだろうか。

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手帳

2010年07月01日 | 日常雑感
露出し過ぎの感がなきにしもあらずの和民の渡辺社長だが、和民では社員全員が渡辺社長考案の夢手帳を持っているという。
この手帳というのは5年の長期計画(長期の夢)を立て、その計画の達成のために1年間に成すべきこと、一ヶ月に成すべきこと、1週間、1日に成すべきことと細分化して(「落とし込んで」という表現を使っていた)記入していく、というものであった。
参考になったのは、「イメージする」ということである。
手帳に書く、という行為はイメージングのための手助けに過ぎない。
あくまでも主役は「イメージング」。
多くの成功者が口にするイメージングは、すごく難しくてなかなかイメージができないものだ。
それを手帳を使って補佐しようとする技法は多い。

実は、かく言う私も手帳フリークで様々な手帳を使っていた。
10年以上前には、何万円もする「マンダラート」というシステム手帳を無理して買ったこともある。
この手帳は今も手元にあり、一生ものといえば、そうも言えるのだが、無理に買わなくても良かったように思う。
その後も手帳遍歴は続き、一時は、3冊の手帳を持ち歩いたこともあるが、さすがに無理があった。
今は仕事の手帳と、小型の横罫入りのノートを併用している。
手帳というのは案外高く、ちょっとしたものだと3000円以上してしまうものもあるが、今のノートは100円台のものである。
それで十分だということに最近気がついた。
個人用の手帳は記録というよりもイメージングのために使うものだから、ごちゃごちゃに書き込んであったり、切り抜きが貼っていたり、他人が見たらさっぱり分からない。
それでいいのだと思っている。

皆さんはどのような手帳をお使いでしょうか?

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