木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

厨房で会いましょう

2007年09月03日 | 映画レビュー
「厨房で会いましょう」というドイツ映画を観た。
天才シェフ=グレゴアと彼が作る料理に恋してしまった人妻=エデンとの物語である。
グレゴアの作ったプラリネを食べたエデンは、その魔法にかかり、彼の料理の虜となってしまう。
なんとも人妻らしいのは、彼の料理を食べに店に行くのではなく、彼の家に行ってただでご馳走になってしまうところである(店のコース料理は5万円もするのであるが)。
そこには当然打算が働いていて、さらにエデンは、「あなた(グレゴア)はいい友人だわ」としつこいくらいに念を押している。
そして、「官能的」と言われるグレゴアの料理を食べた後、家に帰り、夫と熱い一夜を過ごす。
その結果、永らくできなかった子供ができ、家庭内も円満になる。
グレゴアにすれば、「俺ってあんたの何?」って思わざるを得ないが、その返答は「よき友人」である。
考えようによってはひどい人妻であるが、グレゴアの料理は魔法なのだから仕方ないのかも知れない。
二人の関係はグレゴアの一方的な慕情と、エデンの打算と、はっきり区切られているのだが、段々、この境界線が曖昧になってくる。終盤に近づいて、エデンが「今日は料理はいいわ」と言って、グレゴアの身の上話に耳を傾ける場面がある。「料理」という「魔法の快楽」から恋愛に近づいた象徴的な場面のように思える。そして、ラストまで物語は急速に流れていく。
フランスやアメリカ映画であったら、シュールでありすぎたり、ベタになりすぎたりして、うまく行かなかっただろう演出をドイツ映画は見事な手腕で成し遂げている。
この映画が嫌味にならなかった点として、キャラクターの設定がある。
登場人物はみな弱みを持っており、その弱みを隠そう(あるいは気にしまい)と一生懸命に生きている。
ずうずうしいエデンも十分自分の打算に気が付いており、何らかの形でグレゴアに借りを返したいと思っているし、強さの象徴であるエデンの夫クサヴァーもグレゴアに弱い自分を見せている。
自分に置き換えてみると、私はクサヴァータイプだと思う。弱みを見せまいと強がっているが、絶対の自信があるわけではない。逆に弱いからこそ、強がっている。クサヴァーがグレゴアにドア越しに泣きながら告白する場面はこちらも泣けた。妻に対する愛情表現も、子供に接する態度もよく分からない。そのくせ、他人に対しては優しい。これは国を越えて多くの父親が抱えている問題ではないだろうか。
エデン役シャルロット・ロシュも可愛かったし、クサヴァ役のデービット・シュリトーゾフ、給仕役のマックス・リュートリンガーと言った日本では全く馴染みのないキャストもよかった。もちろん、主役のヨーゼフ・オステンドルフもはまり役で申し分なかった。
いい映画だったと思います。