木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

inspire

2010年12月20日 | 日常雑感
カタカナ英語はあまり好きではないのだが、時折、インスパイアという言葉を耳にする。
何かからヒントを受けたとか、触発されたという意味で使われることが多い。
たとえば、ローリングストーンズにインスパイアされた曲、みたいな感じ。
インスパイアは、名詞形のほうが馴染みがある。
インスピレーションである。
この語は、神様が人間に与えてくださったひらめき、という感じで本来は宗教的な意味合いの強い語である。

冒頭でカタカナ英語は好きではない、と言っておきながら、確かにインスパイアとしか表現できないケースがある。
人と話していて、話の脈略とは全く関係ないところで、重要なことを考えつく時などだ。
気付き、と言ってもいいのかも知れない。

考えて考えて分からないことは、一度忘れたほうがよい。
本当に考え抜いている事柄なら、いつか自然に答えが出るはず。
まだ答えが出ないのだったら、それは機が熟していない証拠。

世の中には人智を超えた力があって、その流れに乗っていけば、必ず正しい場所に辿り着ける、という考えは宗教的過ぎるだろうか。
でも、じたばたするから、かえって深みにはまってしまうことのほうが多いような気がする。
苦しいときほど、じっと耳を澄ます。
そうすると、インスパイアされることが多いはず。

人生は地図を持たないで旅をしているようなもの。
この道の先はどうなっているのか分かれば楽かも知れないが、行き先が初めから分かってしまえば、歩く気も起こらない。
苦しみながら、もがきながらも、行き先の分からない人生を歩んでいくのが自分にはあっている。
道に迷ったときには、インスパイアされた声に従って。


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菊川坂石畳

2010年12月17日 | 江戸の交通
江戸時代の東海道は、区間によっては狭い場所も、険しい場所もあった。
急な坂道には滑りを防止するために石畳が敷かれた。
石畳のほうが滑りそうな気がしてしまうのは現代人の感覚で、実際に歩いてみると、意外なくらい滑らない。
現に金谷の石畳にある地蔵尊は「すべらず地蔵」と呼ばれ、受験生の人気を集めている。
現在、残されている石畳は、後世になって復元されたものが多く、江戸時代の石畳はあまり現存していない。
その中で静岡県菊川市の石畳も数少ない「本物」のひとつ。
全長は600m強だが、大部分は復元されたもので、「本物」は161mに過ぎない。
石畳は何年かすると、すっかり本物らしく古びて見える。
後輩も先輩も同じような顔つきになっているが、同じ石でも、江戸時代からのものと知って歩くと、やはり感慨深い。
この石畳の上を江戸の人間が歩いたのだと思うと、過去と現代が繋がって思える。
十返舎一九も松尾芭蕉も参勤交代の大名も歩いた。
人が文を書いたり、絵を描いたりするのは、未来と繋がりたいと思う心からである。
人が生きてきた道を足跡と表現するが、東海道にあって、昔も今も変わらぬ道の上で、文字通り足跡を合わせると、しばし時間が止まったような錯覚に陥ってしまった。

近くをトラックが行き交うが、この空間だけは時間が止まったよう。それだけに少し分かりにくい場所にある。


江戸時代後期のものとされる石の部分


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