木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

偶然

2010年06月24日 | 日常雑感
よく人との出会いは奇跡みたいな偶然だとか、時の悪戯がなければ歴史は変わっていた、などと表現されることがある。
いつもの電車に乗り遅れたせいで災害に遭わなかったとか、偶然をことさらに強調する声は多い。

だが、私は最近、とみに「世の中で、本当の偶然は少ない」と思うようになってきた。
人は出会うべくして「運命的な人」と出会っているし、災害や事故、僥倖などとの出会いにも必然性がある。
この考えを突き詰めていってしまうと、おまえは運命論者なのか、と言われてしまうかも知れない。
答えは、部分的にYES、部分的にNOである。
全ての物事が必然的に決められているとしたら、この世はあまりに受動的過ぎる。

たとえば、ある人が「車を持つ運命にある」とされても、どのような車を持つかはずいぶんと幅がある。
野球選手になることが運命づけられていたとしても、その時点で生涯打率までが定められているわけではないと思う。
野球選手になったことで満足してしまうのと、そこからさらに精進していくのでは、将来大きな差が生じる。
そういった意味では、運命といってその幅は広いものと言える。
この差は、決して運命ではないと思う。
運命はスタート地点までは導いてくれるが、ゴールまでは一緒に走ってくれはしない。

人は予想もしなかったような不幸に見舞われたり、突然の災害に見舞われることもある。
あるいはその逆に思いがけないラッキーチャンスを掴むこともある。
これらを一概に「運命」の一語で片づけていいとは思わない。
起こった現象だけでなく、その意味を考えられるようになったら、人生は更に深いものになる気がする。

「必然」は時として「偶然」の仮面を被って、わたしたちの前に現れる。
ぼおっとしていると「ただの偶然」と思ってしまうような中に、案外、真実が含まれるのかも知れない。



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堀江鍬次郎~講演会

2010年06月23日 | 江戸の写真
6月19日、津のセンターパレスにおいて、「堀江鍬次郎と上野彦馬」と題した講演会が行われた。
講師は鍬次郎についてが日本大学芸術学部の田中里実先生、彦馬担当が長崎大学環境科学部の姫野順一先生であった。
両先生のお話とも示唆に富み、大変参考になった。
公演後、田中先生とお話をさせていただき、鍬次郎に関する資料はほとんど残っておらず、苦労されている旨をお聞かせいただいた。全く同感である。

鍬次郎は長崎海軍伝習所の2期生でもあり、当時、津藩のエリートであった。
だが、伝習所への派遣がどれだけ評価対象になったかについては、疑問も残る。
というのは、伝習所に派遣されたのは、おおむね下級武士が中心だったこと、伝習所での学問が武士としてのキャリアに直接プラスにならなかった点が挙げられる。
同じ津の伝習所同期生としては、測量の父とも呼ばれる柳楢悦が今や一番、後世に名を残している。
他には、すでに数学者として有名だった村田佐十郎や明治天皇から祭祀料を賜った吉村長兵衛などがいるが、鍬次郎と同じように化学に優秀だった市川清之助などは名が残っていない。

これには、化学という今ではれっきとした学問が当時は認められていなかった状況が大きい。
日本薬学の父と呼ばれる長井長義は、徳島藩医の息子であった。長義は長崎の医学校である精得館に学びに出たが、本心では新しい学問である化学を学びたいと思っていた。
長義は彦馬の下に住み込み、彦馬から化学を習うが、化学に熱心なあまり、精得館は休みがちであった。
それを役人に咎められ、「自分は化学を学びたいから、精得館は休むのだ」と抗弁したが、役人は化学など学問だと思っていないから、理解せず、「だったら、病気で休むということにしておけ」と伝える。それを聞いて、長義は「何と先見の明のない人間だろう」と発言するが、この当時は長義のような人間のほうが少数派であった。
この時期、G・ワグネルなど非常に優秀な化学家たちが来日したが、招聘した日本側では一部の者を除いては、「腕のいい職人」のように捉えていた節がある。

幕末、津藩は京都時習館の蘭学者・広瀬元恭を三顧の礼をもって招いているが、碌は二十四石に過ぎない。
それも「築城新法」などを表した元恭の西洋砲術の知識が欲しかったからである。

鍬次郎は早世しなかったら、同じ槍と遣い手でもあり、中央政府、後には財界に食い込んだ吉村長兵衛の引きなどもあったであろうし、後世に名をとどめた可能性大である。
だが、まだ時代は鍬次郎の名を留めるまでには熟成していなかったといえる。


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人は何かを失わずに、何か得ることはできない

2010年06月15日 | 日常雑感
アルコールを全くたしなまない奥さんが、酒のみの旦那さんが開ける缶ビールの音を聞いて、「100円玉が落ちていく」と感じたという話があった。

酒好きの人は、水だったら無理と思える量を飲む人も多い。
酒のみは、酒を飲むことによって、色々な楽しみを得ている。
だが、お金が掛ったり、健康上での懸念が発生したり、デメリットもある。
一方のお酒を飲まない人にとっては、酒につぎ込む金や時間を別のところに使ったほうがいいと思う。

これは、決して両立できない相反する事柄である。
確か「夏の日の恋」という映画だったように思うが、「人は何かを失わずに、何か得ることはできない」というセリフがあった。
ごくまれに芸能人でありながら、普通の人が多く出入りするような飲食店に入ってまで、偉そうに振る舞い問題になる人物がいる。
この人たちは芸能税とでもいうべき、代償を払うことを要求されているから、普通では得られないようなギャラを得ている。
有名な芸能人になったときから「普通の人」というキャラは同時に消失する。

何も失わないためには、何も得なければいい。
中庸という言葉があるが、何事もほどほどにしておけば、得るものも少ない代わりに、失うものも少ない。
でも、それでいいのかなあ。
色々と思ってしまう今日この頃である。

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個室にご用心!

2010年06月14日 | 日常雑感
おとといの昼下がりのできごと。

八事の付近を車で走っていた私は赤信号で止まった。
ふと、バックミラーに目をやると、後ろの車には妙齢の女性がハンドルを握っている。

その女性の右手が耳の穴に。
ひとしきり耳をほじほじすると、じっと指先に目を落としている。
「えっ」と驚く私の視線など気づくわけもなく、さらに、もう一回、同じことを。
ほじほじしていたのが、鼻でなかったのが、せめてもの救い。
車の中は個室には違いないが、見晴らしのいい個室であることも忘れてはならないようだ。


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オーケストラ

2010年06月10日 | 映画レビュー
ロシア映画「オーケストラ」。

共産主義下のソビエト。
ユダヤ人の排斥を拒んだ主人公はオーケストラを追放されてしまう。
それから30年後。
ふとしたきっかけから、主人公の指揮者はパリで復活を遂げる。
ハリウッド映画だったら「ロッキー」のようなサクセスストーリーにするところをロシアの映画はコメディタッチに仕上げた。

この映画のどこがよかったのか考えていると取りとめもなく、理屈っぽくなってしまった。
この映画の最大のポイントは理屈とは対極にあるのに。

主人公の指揮者と話をしていて、若い女性ソリストは嫌悪感に近い反感を抱いてしまう。
説得され、同じ舞台に上がったものの、挑発的な演奏を始めるソリスト。
その演奏が段々と指揮者に同化していく。
ばらばらだった楽団も、それにつれて至上のハーモニーを奏でる。

最後の場面のチャイコン(チャイコフスキーのバイオリン協奏曲=世界一美しい旋律)では、不覚にも泣いてしまった。
主人公が言葉を尽くしても説得できなかった人たちが、指揮を通じて主人公を完全に理解した。
昔「それがしという人間は、それがしの剣が説明してくれる」と語った武士がいたが、この映画では指揮棒を振ることで団員がみな主人公を理解した。
主人公の生き方が本物だったからである。

この映画のキャッチコピーでは、「寄せ集め楽団が奏でる奇跡のシンフォニー」(協奏曲だからシンフォニー=交響曲ではないと思うのだが)、主人公を天才指揮者と表現している。
そうだろうか。
奇跡と言うと、どんな不思議、偶然も正当化されてしまうので、安易に使いすぎだ。
奇跡とは、本人にとっては必然と思っていることに、ほんの少しの偶然が重なったものを他人が評価したに過ぎない。
天才とは、最後まで諦めの悪い人の総称に過ぎない。

華やかだった過去を懐かしみながら背筋を丸めて歩くという選択も主人公にはあった。
だが、この主人公はどこかで背筋を伸ばしながら生きて来たのだろう。
人生のどの時点で問いかけられても答えられるだけの生き方をしていたいものだと思った。

名古屋では新栄の名演小劇場にて上演中。

オススメ度★★★★★(クラシック好きな方)
       ★★★★ (クラシック好きでない方) ★5つが満点





オーケストラHP

名演小劇場HP

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俺のボトル

2010年06月08日 | 日常雑感
人づてに聞いた話。

ある人のよく行く飲み屋のマスターが再入院した。
すい臓癌の再発である。
かなりの難病であるし、飲み屋さんのほうの継続は難しそうだった。
その話を聞いた常連の一人が叫んだ。
「俺のキープしたボトルはどうなる!」

聞くと、会社の部長クラスの人の叫びだったそうであるが、ひどい話だ。
他山の石としたい。


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美しい国

2010年06月06日 | 江戸の幕末
黒船の来航に、日本政府は慌てふためいて、成す術もなく右往左往していたのであろうか。
開国すれば、鎖国という国策を放棄しなければならなく、攘夷をスローガンにしている幕府にしてみれば、矛盾を含んだ問題であった。
江戸時代は徳川の独裁政治であったと思う人も多いかもしれないが、決してそのようなことはなく、現在でいえば、超有力な一政党が徳川であったという表現のほうがよい。
海外から交渉に来るのは、プチャーチン、ペリー、ハリスなど有能な人物ばかりである。
上からの方針は、はっきりしない。
そのようなジレンマの中、外渉に当たった人物の苦労には頭が下がる思いがする。
川路正路、岩瀬忠震、永井尚志などである。
隣の清国では侵略・略奪を繰り返した諸外国が日本に対しては、きわめて紳士的に振舞っている。
これは交渉に当たった日本側の人的な努力が大きい。
だが、もうひとつ大きいのは日本の持つ風土である。
日英修好条約を結びに来たイギリス使節エルギン卿とともに来日して『エルギン卿遣日使節録』を表したローレンス・オリファントが両親に充てた手紙の中に日本の感想が述べられている。

「日本人は私がこれまで会った中で、もっとも好感のもてる国民で、日本は、貧しさや物乞いのまったくいない唯一の国です。わたしはどんな地位であろうともシナへ行くのはごめんですが、日本なら喜んで出かけます。もしかりに私がその国の総領事に任命されたならば、お母さんもパパもきっと喜ぶでしょう」

日本を美しい国であるといった首相がいたのは随分前のことのような気がするが、実際に日本は美しい国であった。
沖縄問題くらいで揺れ動き、「国民が耳を傾けなくなった」と首相が政権を放棄してしまう今の日本。
責任を転嫁する積もりではないが、大丈夫だろうかと思ってしまうのは、わたしひとりではあるまい。


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