木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

こだわりのラーメン屋

2007年07月26日 | 日常雑感
名古屋の千種駅の周辺にラーメン屋ができた。
味噌ラーメンの店だ。
その店の前の張り紙を見てびっくり。
いわく、
濃い化粧の人は駄目、騒ぐ人は駄目、ラーメンの写真を撮る人は駄目、雑誌を読む人は駄目、領収書は発行しません、水はセルフサービス、御意見無用
と、駄目の連続である。
不都合なこと甚だしいとも思ったのだが、考えてみると当たり前のことを言ってるようにも思える。
料理は自分の子供、それを味わって食べて欲しいと考えるのが店主たるものだ。
先日もランチに寿司屋へ行ったら、携帯の画面を見ながら、寿司を食べている女性がいた。
食べ終わってからも今度は電話を掛けだした。
店主にしたら腹立たしい限りだろう。
でも、なかなか注意ができない。
さきほどのラーメン屋などは、自信のほどがうかがわれる。
しかし。
窮屈だ。
私はもう行かない。
バランス感覚という言葉があるが、店の希望だけを客に押しつけるのもどうかと思う。
失礼な客がいる。
だからと言って、失礼な客を張り紙で追い出そうとするのも、何だか失礼な話である。
失礼と失礼の張り合いのような気がしてならない。
まあ、私のように、嫌な人は行かなければいいだけなのだが。

福本清三さん

2007年07月25日 | 武士道の話
久々にハリウッド映画「ラスト・サムライ」を観た。
その理由は福本清三という人の書「おちおち死んでられまへん」という本を読んだからだ。
福本さんは脇役、というか脇役の脇役、エキストラ専門の俳優である。役柄は斬られ役がほとんどだと言う。
その本を読んでいて面白かったのは、福本さんはフリーの俳優ではなく、東映の契約社員で、月給制であり、定年もある、ということである。
俳優というと華やかなものを想像しがちであるが、大部屋付と呼ばれる福本さんのような存在なしには、映画も成り立たないのが事実である。
さすがに豊富な経験の持ち主だけあって、面白いエピソードがたくさんあるのだが、主役俳優について絶対に悪口を言わないところなど、さすがである。
新幹線に置いてある雑誌の「エッジ」に掲載されていたのだが、昔の俳優は色男でも顔が大きかった。現在、小顔の俳優がもてはやされるのは、求められる俳優に可愛らしさ、少年性が求められるからだという。本書にも、北大路斤也の父親である市川右太衛門について述べている部分がある。この御大も例に漏れず、顔が大きかったと言う。旗本退屈男の撮影の時である。そのビッグフェイスに白いドーランを塗りたくり、つけまつげをして、額に三日月傷の市川御大に斬りかかろうとする若かりし頃の福本氏。「ぬぬっ」とにらみつける御大。「その顔の大きいこと!」、あまりの怖さに斬り込めず、「斬り込み方が遅い!」と御大に叱られてしまったそうである。異形とも言えるような大げさなメイクのビッグフェイスに至近距離から睨まれては、確かに迫力満点で怖かったのでないかと思う。その点では、今どきの小顔ベビーフェイスで睨まれても迫力はありゃしない。
その福本さんが、「ラスト・サムライ」に出演することとなる。
トム・クルーズ演じるオールグレン大尉の見張り役兼警護役(サイレント・サムライ)という設定で出演。
福本さんは、この映画では、変なあごひげと月代をしっかり作っているせいか、猿っぽい顔になってしまっているが、浪人の髪型にすれば、痩せ形と相まって表情次第では残忍にさえ見える人なのだが。
アメリカへ入国する時のエピソードが面白い。
映画は全て地毛で行くでいくという前提で、頭の両側の髪を長いまま残し、トップをばっさりとカットした福本氏。逆モヒカン刈の様相である。そのままではさすがに不審がられるだろうと、野球帽を被って入国審査へ。パスポート所得時はパンチパーマ。野球帽を取るように言われ、指示に従うと、見たこともないような異様な髪型が・・・。さすがに自由の国アメリカでも仰天したらしい。ヤクザではないかと疑われた福本氏はなかなか入国できなかったと言う。
五百人のエキストラを使い、準備と撮影で三ヶ月の期間を要したというハリウッド映画。
永らく日本映画の内部を見て来た福本さんをうならせるのに十分。
最初にこの映画を観た時は、どうしても時代考証に気が行きがちで、「あそこは違うな」「ここも違うな」などとチェックしてしまったが、福本さんに言わせるとスタッフは、「どうやってこんなに調べたかと思うほど資料をあたったみたいだ」とし、「見事な時代考証だ」と言わしめている。
考えてみれば、日本の時代劇だっておかしなものだ。
「ひとぉつ、人の生き血をすすり、ふたぁつ、不埒な鬼を」なんて言ってる間に斬りかかってきけばいいわけだし、どういう訳だか主人公の背後に回った敵もひとりひとししか斬りかからない。おまけに斬った死体もいつの間にかなくなっている。人を斬った時の「ぶしゅ」などという効果音もおかしなものだ。
背景にしても、奉行所の門にわざわざ「南町奉行所」と書かれていたり、居酒屋などの設定もメチャメチャである。
それから考えてみれば、「ラスト・サムライ」の間違いを責めてもいられない。
DVDの付録として、背景を作った人たちのインタビューも収められているが、このインタビューも興味深い。
リリーなんとかという女性なのだが、1876年と1877年の差異にこだわっていて、1877年には電話線が架設されていたというこで、電話線のある明治の東京の風景が描写されている。この場面は、前近代と近代が交わるところとして、必要性を感じていたのだろう。1877年には西郷隆盛の西南の役が起こっているので、この映画のモデルがその辺りにあることも分かる。そして確かに日本で最初に電話が通じたのが1877年であるから、しっかりした時代考証ということになる。
ただし、日本人としては桜と藤が同時期に咲いていたり、黄色のピーマンが農家に植えられていたり、ともっと気になるがいくらでもあるのだが。
この映画の振り付けは「グラディエーター」の振り付け師が行ったということで見応えがある。ただ、回転技しながら敵を斬るなどというのは、長い日本刀向けでないような。
あと、これは日本の時代劇にも言えることだが、刀を鞘から抜くときに金属音がするが、あれは気になります。鞘は木製であるから、金属音はしません。細かいことですが・・・。

おまけですが、効果音についてこんなHPを見つけました。興味がある方はどうぞ。

「おちおち死んでられまへん」 福本清三 小田豊二 集英社文庫


雑感 ~運について

2007年07月23日 | 日常雑感
最近、運とは思考の一種ではないだろうか、とよく思うようになった。
世の中には幸福も不幸もない。
考え方でどうにでもなるものだ

という名言を残したのはシェイクスピアであるが、この言葉の持つ意味は深い。
最初は単に今は不遇な環境にあっても、考え方を変えれば、不遇な環境でも楽しめる、というものだと思っていた。
でも、この頃では、運は考え方によって変えられるということを示唆しているのだ、と思うようになった。
楽観主義や悲観主義は、各個人の性格的な部分よりも、考え方に起因するところが大きい。
では、不機嫌な状態というのは、どうであろうか?
不機嫌な状態は、あくまでも状態であって、やむを得ない感情の浮き沈みによってもたらされるものなのであろうか?
笑いや悲しみと違って、不機嫌な感情に左右されている人は、その表情によって何かを訴えようとしている場合が多い。
即ち、不機嫌な状態は感情ではなく、意図的に選択された行動なのである。
ツキは、不機嫌な人にはやって来ない。
ツキに見放された人は、なおさら不機嫌な顔をするようになる。
まるで、そうでもしていれば、運気が上向いてくるかのような錯覚に陥りながら。
少なくとも、今より悪くはならないだろうと思いながら。
けれども、運は悪い人の運を更に低下させ、いい人の運を更に上向きにさせる。
不公平といえば不公平だが、運だって考え方のいい人につきたいのだ。
ただ楽観的であればいいのであれば、苦労しない、という人もいるだろう。
ラインホールド・ニーバーというアメリカの牧師の名言を引く。
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ

これは、ニーバーの祈りと呼ばれるもので、ニーバーにも師事したことのある大木英夫氏の訳である。
世の中には変えられない運というものも確かに存在する。
一方で、フレックスな運というものもある。
変えられない運を嘆くよりも、変えられる運気を上昇させるように、考え方を変えたいと思うこの頃である。


 
 
 

クイズ

2007年07月11日 | 大江戸○×クイズ
○×ではないが、クイズなので、ここに分類します。(H21.9.12) 

南方熊楠は面白い人間だ。
 私には、世に伝えられた奇人というよりも、不器用で、生活に対して苦労して格闘したまじめ人間として映る。
 人間というのは、その人の年代に応じて生活態度や、ある時は考え方まで、変化させていかなければならないのかなあ、と思う。
 ある有名なラーメン屋さんに、「変わらないために、変わり続けなければならない」という言葉が書いてあった。
 変化しつづける客の嗜好に合わせるために(迎合するのではなく)自らも変化していかなければならない、という戒めであったが、熊楠は、一生変わらない姿勢を貫いたと言える。
 書いていたら、より正確なところが書きたくなって、一般に手に入る文献を読んでいるところである。
 熊楠については、近日中にもう一回書き直すとして、今回は、閑話休題、軽い記事にしたい。
 先日、本屋を覗いていたら、「クイズ大江戸風俗往来」という本が目についた。
 500円という廉価本ながら、正確な記述で、興味深かった。
 その中から、面白かったものを書き抜いて見る。

1.町火消しは、「め組」など、いろはに基づいて組が48あったが、なかった文字もある。
  その文字の代わりに百、千、万、本が充てられたが、なかった仮名四文字とはなんであろうか?
  ヒント:音感から嫌われた。3つまではなんとか分かるが、残り一つは難問。

2.江戸に醤油が広まるのは、中期以降であるが、蕎麦も江戸に出回った時は、醤油味ではなかった。
  さて初期の蕎麦の味は何であったろうか?
  ヒント:名古屋では簡単に受け入れられそう。

3.日本人は昔から「三大~」などという表現が好きであるが、江戸時代の三大珍味と言ったら?
  ヒント:今と似ている。

4.時代劇を思い起こして欲しい。たまに八百屋の場面なども写されるが、次の中で、江戸時代になかった野菜とは?
  ①小松菜  ②大根  ③白菜 ④胡瓜
  ヒント:ちょっと意外。

5.最強の力士と言われる大関雷電。その勝率は。
  ヒント:戦後最強の力士大鵬の勝率は8割3分である。

解答
1.ひ へ ん ら
ひは火に、へは屁に通じるので嫌われた。んは言いにくいから駄目、面白いのは、らであるが、これは隠語で男性器に通じたから使われなかったと言う。
2.味噌味
江戸の醤油は江戸初期には銚子や野田で作られ始めたが、値段が高かったので鰹節を味噌で煮出したような汁が使われることが多かったようである。今でもうどんなどは味噌味で食べるし、違和感はなかったと思われる。
3.からすみ うに このわた
肥前のからすみ、越前の塩うに、三河のこのわたが三大珍味とされた。ウニは珍味から人気商品へと栄転しつつあるが、からすみ、このわたは、今でも珍味である。
ちなみに、こもわたはナマコのはらわたの塩から、からすみはボラの卵巣を塩漬けしたあと干したものである。
4.白菜 
意外な気もするが、白菜が日本に伝わったのは明治になってからである。白菜は中国が原産で日清戦争の後、日本に伝えられたが、最初はうまく育たず、普及したのは大正に入ってからだという。
5.9割6分
197CM、169kgという抜群ではあったが、その体格を生かし、45歳に引退するまで、この成績を残したのはすごいの一言である。
当時、横綱は江戸城においての展覧相撲の際につけられる称号であったため、展覧相撲の機会のなかった雷電には横綱位がないのである。

いかがだったでしょうか?

クイズ大江戸風俗往来  久染健夫監修 実業之日本社

南方熊楠②

2007年07月05日 | ちょっと昔の話
  天才として喧伝されることが多い熊楠ではあるが、大学予備校の時、代数の点が足りずに落第したのも事実である。下から数えた方が早かった成績は、枠にはめられることのきらいだった熊楠がほとんど勉強していないで試験に臨むのだから、当然だ。だが、いい点をとろうなどとはサラサラ思っていなかった熊楠もまさか落第するとは、考えていなかったらしい。
 この落第で、彼は神経症になるほど、落ち込んでしまい、大学への道も断念してしまうのである。
 彼は渡航を決意し、アメリカからイギリスへと渡るが、彼が一躍有名になったのは、科学雑誌「ネーチャー」であるが、これは間違って伝えられるように懸賞論文ではなく、読者の質問に読者が答えるというコーナーであった。
 とはいえ、「ネーチャー」に署名入りの論文が掲載されることは、名誉なことには変わりなく、熊楠は、それからというもの「ネーチャー」と「ノーツ・アンド・クィアリーズ」に積極的に投稿をするようになる。
 その実績が認められ、英国の学者とも親交を重ねていくようになるが、一方でオランダの学者シュレーゲルらと派手な論争も行っていた。
 私にはこのシュレーゲルとの論争は、道場破りのような匂いを感じさせる。
 ライデン大学教授であり、ヨーロッパ一の東洋文学権威と言われた相手をうち破って、自分の名声を高めるという意図があったのも事実である。
 正式な学歴を持たない熊楠が、このような方法で名前を高めていったのは、タクティクスだと思うし、当然だと思う。入り口が違えば、最初に入っていく部屋も違う。そういった意味では、熊楠は好きで変人じみたことをしていたというよりは、選択の余地がなかったのではないか、と思える。
 ただし、一町村一神社制にしようとした神社合祀令に対して、反対運動を起こしたのは、ごくごく自然の発露ではなかっただろうか。世に言う田辺中学校講堂乱入事件も酒に酔って、乱入しようとしたら、そのまま警官に連行されただけであるが、酒でも飲まなければ乱入できなかった熊楠の不器用さが偲ばれる。
 不器用さ、といえば、柳田国男がわざわざ和歌山まで熊楠を訪ねて来たときも、熊楠は親交を結びたかったが、年下で都会派の柳田にどう接していいか分からず、泥酔してしまったという。
 さらに、熊楠の結婚は三九歳であるが、この時も、「これまで女性と接したことは皆無で」と自ら告白しているが、これは照れ返しである。
 人間関係ということでは、熊楠は、非常に不器用だったと思う。そのため傍若無人に見える行為を取らざるを得なかったこともあったのだろう。

 「南方熊楠 一切智の夢」 松居竜五 朝日新聞社

南方熊楠①

2007年07月04日 | ちょっと昔の話
人の内部には、自負心と劣等感が混在している。
 逆境になれば劣等感が、順風満帆の時には自負心が幅を利かせるが、各個人によって、その構成比は違ってくる。
 南方熊楠(みなかたくまぐす)。
 世界的博物学者と言われるこの人の場合は、どうであったのだろうか。
 
 熊楠の著書としては、岩波文庫から「十二支考」が出ており、最も入手しやすい。
 その本の表紙には、若かりし頃の熊楠の顔写真が掲載されている。
 昔であり、撮った写真も少なかったのだろうか、熊楠というと、この写真が使われることが多い。
 1891年、熊楠25歳、留学中のアメリカで撮った一葉である。
 斜を見つめた目は大きく、眉毛は太く、角刈りの髪型はいかにも書生といった風情であるが、頑固そうな、一筋縄ではいかぬような雰囲気を醸し出している。
 その「十二支考」は、干支に関する動物に関する話を今で言えばエッセイ風に記したものであるが、本の初めには虎が取り上げられている。
 「虎に関する史話と伝説民族」と題された文の冒頭を引用してみる。

 虎梵名ヴィヤグラ、今のインド語でバグ、南インドのタミル語でピリ、ジャワ名マチャム、マレー語リマウ、アラブ語ニムル、英語でタイガー、その他欧州諸国大抵これと似おり、いずれもギリシャやラテンのチグリスに基づく。そのチグリスなる名は古ペルシャ語のチグリ(箭・や)より出て、虎のはやく走るを箭の飛ぶに比べたるに因るならんという。

 個人的には、タミル語だとか、ジャワ、マレー語で虎が何というかなどということに興味がないし、列記されても面白くもなんともない。この後にも、様々な文献が引き合いに出され、古今東西、虎に関する話がずらずらと述べられる。
 そこから演繹的に何かが引き出されるかとうと、そうではなく、ただ知識が百花繚乱述べられただけで、読者はポンと置いていかれる。
 初めて読んだときは、「何だこれは」とう感じで、反感しか持たなかった。
 「あなたは、物識りだ。よく分かりましたよ」
 という印象しか持つことができなかった。
 この書を理解するには、南方熊楠について多少なりとも理解していないと、難しいかも知れない、そう思った私は熊楠に関する書を買い求めることにした。

「十二支考」 南方熊楠  岩波文庫



深夜の怪

2007年07月02日 | 日常雑感
 昨夜、眠れぬまま深夜に亘り、徳川埋蔵金に関する本を読んでいた。
 要子廣堂という人が書いた本で、作者は霊感ある人物らしい。
 書のタイトルは、「徳川埋蔵金の秘密を解いた」である。
 ちょっと気になる記述があるので、随分前に購入していたものだが、やっと昨日読み終えることができた。
 徳川埋蔵金については、個人的には全く詳しくないが、あっても、なくても不思議ではないと思う。
 ただし、古代ならともかく、近世に差し掛かった幕末の混乱期に、完全に秘密裏に財宝を隠すという作業はかなり困難なのではないかと思う。
 本書にも秘密を守るために千四百余名の人間が殺害された、という記述があるが、これだけの人間を一人も漏らさず殺害する、というのは困難を極める作業ではないか。
 だが、気味が悪い話である。
仮にそれが本当なら、徳川埋蔵金も呪われた金であり、手にした者も、尋常では済まなさそうな気がする。
 そんなことを思いながら、読了し、トイレへ立つ。
 個室に入ると、カサカサという音がする。
 後ろを振り向くが、当然誰もいない。
 廊下に出ると、また、微かな物音。
 レジ袋を触った時のような音である。
 もしかしたら、ゴキブリでもいるのかと思い、辺りを見回すが、落ちているレジ袋などない。
 音もしなくなった。
 部屋に戻ろうと、歩き始めると、また、あの音が。
 カサカサ、カサカサ。
 すぐ背後から音がするのである。
 慌てて、後ろを振り向くが、誰もいない。
 嫌な感じを持ちながら、また歩き始める。
 カサカサ。
 立ち止まる。
 音も止まる。
 後ろを向く。
 誰も・・・・
 そのとき、また、あの音が。
 カサカサ。
 えっ。
 自分の背中を触る。
 あれ?
 そこには、どうして着いたものか、スーパーダイトミの、レジ袋が。
 あのカサカサ音は、自分の背中に着いたレジ袋の音だったのです。
 ちゃんちゃん。