木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

人の身体は、ひとつの会社だ

2019年06月10日 | 一九じいさんのつぶやき
人って会社のようなものなのかもしれないと思うようになった。

たとえば、胃袋部門というのがあって、頭脳部門があって、肝臓部門があって、筋肉部門があるような。

ストレスがあって、頭脳部門は解消のためにどんどんお酒を飲め、と命じる。
割りを食うのは、肝臓部門だ。
頭脳部門の勝手な判断により残業で、やりきれないよなあ、と思うだろう。

予算の問題もある。
稼ぎ以上に経費を使ってしまったら、赤字になり、末は倒産だ。

肝臓の処理能力以上に、頭脳が酒を飲ませてしまったら、赤字経営となる。
個人において倒産は死である。

食べ物も一緒だ。
どんどん好きなだけ食べていれば、胃袋部門にしわ寄せがくる。
もうやってられないよなあ、と胃袋部門のボイコットを食らえば、身体には大きなダメージが残る。

昔の人は五臓六腑と言ったが、この十一部門がたがいにハッピーであるような関係を築くのが長寿の秘密かも知れない。


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首都遷都

2007年06月20日 | 一九じいさんのつぶやき
 おいおい、今日、変な看板を見たぜ。
 わっちも、最近、車ってもんを運転できるようになったんだ。
 それで、岐阜、と言っても愛知県の瀬戸から上がっていった方だから、今風に言うと東濃って言うのかい?
 そこで、新首都は岐阜に、って看板を見つけたんだ。
 首都っていうのは江戸、じゃねえ、東京だったな。
 それが遷都という話が出ているのか?
 わっちとしては、面白れえ話だと思うんだが、既得の商権を握っている商人が、今の旨みを放すめえ。
 もともと、江戸なんていうのは、権現様が八朔に江戸城に入る前は、地の果てだったんだからな。
 いつからか、「三代続いたら江戸っ子」と言われたが、江戸自体がよそ者の集まり。
 武士なんて参勤交代だ何だで浅黄色ばかりだったんだからな。
 今で言う転勤族で、江戸も東京も大賑わいだったわけだ。
 そう考えてくると、江戸っていうのは特殊な土地だ。
 (八朔=8月1日 朔は一日の意味
  浅黄色=田舎武士  )
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鬼、河童に濁流の水飲まされるー22(最終話)

2007年05月10日 | 一九じいさんのつぶやき
「事の顛末はそんなこった」
 話し終わった一九じいさんは、食べ終えてしまったポテトチップスにまだ未練があるらしく、袋を逆さに振ったりしている。
 「史実にはどこにもそんなことは記載されてませんね」
 俺だって、話を鵜呑みにはできない。
 「お上のやるこたぁ、昔も今も変わらねえ。はっきりしねえことは記録に残して置かねえよ」
 「でも、庶民が喜ぶには絶好のネタじゃないですか。瓦版などには載ったでしょう」
 「話が広まれば、鬼の平蔵は河童に失態を演じされたことがばれちまう。面目をなにより大事にする平蔵にとってそいつは耐えられねえことだ。平蔵はその場に居合わせた者にも固く口止めを命じた。でもな、実を言うと当時の江戸っ子は、みんな事実を知っていた。けれど、西下(松平定信)よりおっかねえ盗賊奉行を恐れて公に口にしたり、文に残さなかっただけなんだ。だから、関係者もお咎めだけで、無事放免となっている」
 「鬼の平蔵にしては寛大ですね」
 「江戸っ子に人気のあった河童相手に、少し大人気ねえと思ったんじゃねえかな。まあ、平蔵も河童が憎かったわけではなく、歌舞伎役者への当てつけって面が大きかった訳だが」
 「でも、まだ疑問が残ってます。そもそも騒ぎの発端となったのは、水死体に緑色の手形がついていたってことでしたよね。あれも、そのなんとかっていう娘の仕業なんですか。そんなに都合よくいくもんですかね」
 「なかなか鋭いところをついたな。実はあれは番頭がやったんだ」
 「えっ」
 俺は、驚いた。
 「番頭は釣りが趣味で州崎の方へもよく行くんだが、土左衛門が引っかかってたあたりはウナギ用の梁(やな)を仕掛けていた。そいつを見にいったときに土左衛門と遭遇したわけだ。番頭はなかなか機転が利くやつで、そろそろ、のれん分けをと思っていた。そこで思いついたのが、この河童騒ぎだ。役者の瀬川菊之丞は不思議なものが大好きだ。主人の娘は大の菊之丞好きときている。自分が河童騒ぎをでっちあげれば菊之丞は乗ってくるし、そうなりゃ娘の機嫌もとれるって算段だ。短絡的かも知れねえが、途中まで計算は当たったことになる」
 「すると、最初は番頭の方から焚きつけたことになりますね」
 「二回目があってその計算は狂っちまったが。まあ、幸いなことに番頭もその後、のれん分けしてもらえたらしい。まあ、今話したことを全部与太話と思ってもらってもいいし、信じても信じなくてもわっちは構わねえ」
 確かにすぐに信じられる話ではなかったが、真偽は別としても、内容は面白かったので、俺の越生通いがこれから始まることになった。
(この章おわり)
 
 
 
 
 
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鬼、河童に濁流の水飲まされるー21

2007年05月08日 | 一九じいさんのつぶやき
 鬼の平蔵こと、長谷川平蔵は泳ぎが達者であったので、少し風邪をひいたくらいで事なきを得た。
 しかし、風評を大事にする平蔵にとって不名誉であることには変わりなかった。
 この件を詮議することは、とりもなおさず自らの失態を言いふらすようなものだ。
 火付け盗賊改めは、表だっては動かなかった。その代わりやり手の差口奉公(岡っ引き)を使って事件の全容は明らかにした。与力からの報告を聞いて、
 「うぬ、やはり風紀の乱れは歌舞伎からか。いつか見ておれ」
 平蔵は歯ぎしりをした。

 数日後の朝。
 貞一は、腫れぼったい目をしながら落ち着かない様子であぐらをかいていた。
 神田お玉が池の岩徳の家。
 岩徳は正業として楊枝職人をしており、その腕は確かなものであった。
 職人らしく、立派な神棚があり、広くはない床はピカピカに磨き上げられていた。
 そんな整然とした雰囲気が貞一は、得意でなかったのである。
 「おい、お初、めしはまだか」
 岩徳が大声を上げると、
 「お屋敷じゃあるまいし、小さな声でもよく聞こえますよ」
 そういって、奥の部屋から娘のお初が銘々盆を持って、姿を現した。
 数えにして一七、親分の娘らしく口調は、はきはきはしているが、表情は初々しい。
 年は十以上違うのに、貞一はこのお初を見ると、妙に落ち着かなくなる。
 「重田さま、お口に合うかどうか、わかりませんが」
 そう言って置かれた盆には、鯵の煮浸し、胡瓜とシラスの酢の物、漬け物、浅蜊の澄まし汁とご飯が乗っていた。
 「これは朝から豪勢だ」
 そう言いながら、
 (せっかちな岩徳を相手によく短い時間でここまでできるものだ)
 貞一は、感心した。
 「兄貴、一本つけるかね」
 「えっ」
 岩徳の誘いに、喉から手が出そうであったが、昼から番所に行かなくてはならなかったのを思い出して、とどまった。
 「ところで、兄貴、この前の件ですがね、佐々木様にご報告する前に、ちょいと兄貴にもお耳に入れて置こうと思いまして」
 「河童か。やはり蛇の道はなんとやら。早耳だな」
 貞一は鯵に手を出しながら、答えた。
 「恐れ入りやす。この前の番頭風の男は日本橋で呉服商を営んでいる『伊勢屋』の番頭でごぜいやした」
 「『伊勢屋』というのは聞いたことがある。なかなかの流行っている店らしいな」
 「へえ、手広く商いをしておりやす。それで、先の河童の正体ですが」
 「『伊勢屋』の娘、ではないか。その娘は年頃で、小柄だ」
 貞一が口をはさんだ。
 「兄貴、何でそれを」
 岩徳が大きな目をさらにぎょろりとさせた。
 「勘だ。あの日、番頭が『お嬢様』と叫んだじゃねえか。わっちはそれをきいて、それまでもやもやしていたものがさっと引っ込んだような気がした。その娘は三代目が大の贔屓だ」
 「その通りです」
 「娘は、どこかで三代目が河童好きだと聞いて、何とかその夢を叶えてやろうとした」
 「それで、この企みを思いついたわけです」
 「河童の種明かしは聞いたのか」
 「そこまでは、まだ」
 何事も行動の早い岩徳は既に朝餉を食べ終わっている。
 「これもわっちの勘でしかねえが、最初の時、娘は瓦版屋が持ってきた桶の中に入っていたにちげえねえ。可哀想な瓦版屋は何も知らされちゃいなかったのかも知れねえ。大量の魚は娘の重さを分からなくするために必要だった」
 「でも、あの時は中をのぞき込んで見た者もいますぜ」
 「鏡を使えば造作ねえ。あの桶はそのためにも四角だった。鏡をだな、こうして右上から左下に斜めに入れる。すると、上から覗いただけじゃ、魚しか見えねえ。娘は鏡と桶の隙間に隠れていた。下半分には外に出られるような潜り戸のようなものが作ってあったはずだ」
 貞一は、お椀に箸を斜めに差し込んで図示した。 
 「それじゃ、兄貴が前に言ってたように、あの河童は水しぶきも上げねえで泳いで行った。これはどうなんです?」
 「これはもっと単純だ。舟に乗っていた番頭が紐で引っ張ったんだ。その紐の一端は桶が置かれた岸あたりに、反対側は川のどこかに杭か何かに結わえ付けてあったんだ。船頭が騒いでいる最中に、娘は仕掛けから表に出て岸側の紐を手にした。舟では番頭が紐を杭から外して、滑車のようなもので舟の方へ娘を引っ張ったんだ。その証拠に船頭が騒いだ後は番頭は屋形船の障子の中だったそうじゃねえか。そして、娘は舟の反対側にでも掴まってそのまま人目につかないところまで行った・・・」
 そう言いながら、貞一は箸を止めた。
 「分からねえのは、それで大成功だったはずなのに、なぜ危険を冒してまで二回目に登場したかだ」 
 「八百屋お七でさぁ」
 岩徳は、湯飲みを手にして、にやっと笑った。
 「えっ」 
 貞一は、岩徳の言った意味が分からなかった。
 「娘の執念は江戸の町に大火さえ起こしやす。娘も一度は騒ぎを起こして満足するんですが、河童を見損なって残念がっている路考の風評を聞くと、路考を満足させてやれるのは自分しかいない、と思うようになるんです。それと、憧れの人間から逆に羨望の眼差しで見られる快感を知っちまったらしい。もちろん、番頭は大人ですからしつこく止めたんですが、逆に脅しをかけられる始末で、仕方なく二回目もつきあっちまったらしい」
 「そういうわけか」
 「へえ。ただ二回目はこの前のようにはいかねえんで、舟の脇に棒を付けてそこに掴まって泳ぐだけにしたらしいんだが、そこに長谷川様のご登場となったわけで」
 「種子島を撃たれて慌てた娘はその棒から手を離し、溺れたってわけか」
 「しかし、二匹目の河童については、全く知らねえってことで」
「今となっては、あれが本当の河童だったのか、そうじゃなかったのか、突き止める手だてもねえがな」
 貞一は、天井を見上げた。
 

  

  
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鬼、河童に濁流の水飲まされるー20

2007年05月07日 | 一九じいさんのつぶやき
 「兄貴、分かったって、いってぃ、何がどうしたんだ」
 そう言った岩徳も川から目を離さずにいた。
 「いや。当たってほしくねえ勘だがな。今日に限ってえらく流れが急だ」
 「昨日の雨のせいだろう。河童も溺れるものらしい」
 同心の佐々木がそう言う間にも河童は流されていく。
 「船頭さん、もっと急いで漕いで下さいまし」
 舟上の番頭は心配そうに前方の河童を注視していくが、その差は開いていく一方だ。
 その時。
 流れのはるか後ろから、ものすごい速さで泳いできたものがある。
 濁った川の色のせいで陸からはよく見えない。
 その生き物が舟を追い抜いて行ったとき、それまで懸命に櫓を漕いでいた船頭の松次郎は、
 「ひえぃ」
 と、奇声をあげて、その場にへたり込んでしまった。
 「うぬ、仲間がおったか。ええい、構わぬ、あれも撃て」
 長谷川平蔵は出番とばかりに声を張り上げた。
 「速すぎて狙いがつけられません」
 銃を持った同心がそう言うと、
 「ええい、役に立たぬ奴じゃ」
 平蔵は、自ら銃を奪い取るように手にすると、舟の上から狙いをつけた。
 しかし、つぎの瞬間、平蔵は春の川の水をしこたま飲まされる羽目になる。
 銃の狙いをつけた平蔵めがけ、鯉が飛んできたからである。
 未確認の生き物が水中から投げつけてきたようである。
 まともに鯉を額のあたりに受けた平蔵がついた尻餅のせいで、舟は大きく揺れ、平蔵はそのまま川に放り出された。
 「長官(おかしら)」
 同心が舟に座りこんだまま、悲痛な叫びを上げた。
「ありゃ、河童だ」
 見物人はそれを見て呟くように言った。
 そのつぶやきが段々、大きな声と変わっていく。
 「あれこそ、正真正銘、本物の河童だ」
 誰かのその声にどっという歓声が起こった。
 歌舞伎役者瀬川菊之丞もこの時ばかりは、色白い頬を上気させ、興奮していた。
 その河童とおぼしき生き物は、前を溺れるように流れていくもう一匹の河童に追いつくと、その河童を安全な岸まで押し上げた。見物人からは遠すぎてよく見えなかったが、押し上げた手だけははっきり見えた。
 「ありゃ、確かに河童にちげぇねえ」
 目のいい岩徳は、放心したようにぼそっと呟いた。

 
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鬼、河童に濁流の水飲まされるー19

2007年05月02日 | 一九じいさんのつぶやき
 そのつぶやきには意外と早く回答が与えられることになる。

 江戸中が大雨に見舞われた翌日。
 その日は昨日の雨が嘘のような五月晴れの気持ちのいい天気になった。
 深川州崎には今日も人だかりができていた。
 その人だかりの中心には三代目瀬川菊之丞の整った顔が見える。
 「今日こそ鬼じゃのうて、河童が見たかったのに、怖い鬼の手下に見張られておっては、河童もさぞ出にくかろう」
 菊之丞が声をひそめて言うと、とりまきから笑いが起こった。
 先日の轍を踏むまいとしたのか、長谷川平蔵自らは出張ってなかったが、部下の与力や同心がご丁寧に火付け盗賊改めの提灯を手にして、存在を誇示していた。
 貞一と岩徳もその場に潜り込んでいたが、八つ(午後2時頃)になって定町廻りの佐々木も合流した。
 「なにも起こりゃしねえな」
 佐々木の独り言のようなつぶやきに、
 「三代目に、鬼の平蔵の手下、役者は揃っていやすぜ。何かが起こるんじゃねえかな」
 貞一がつぶやきで返した。
 「おおい」
 そのつぶやきに応報するように、川から声がかかった。
 その声の方向を見ると、屋形舟があり、舟上にはこの前と同じ顔ぶれがあった。
 「松次郎のやつめ、何を企んでやがる」
 岩徳が苦々しげに顔をしかめた。
 「みなさん、ご精がでますなあ。今日も河童見物ですかい」
 舟の上の番頭風の男が叫んだ。
 今日は昨日の雨で水かさが増え、流れも急なので、前回のようにゆったりという訳にはいかない。
 「松次郎、俺だ、徳三だ。てめえ、なにか企んでやがるな」
 岩徳が叫んだ。
 「親分、なにを言ってやがるんでぇ」
 船頭の松次郎が言葉を返したところで、
 「その舟、櫓を止めろ」
 流れの後方から声が掛かった。
 そこには、舟上に陣笠をかぶった長谷川平蔵の姿があった。
 「いけねえ」
 松次郎が言葉を漏らすのと同時に、
 「あれは何だ」
 岸の見物人から歓声が上がった。
 「あれこそ、河童ぞえ」
 三代目も立ち上がって目を見開いた。
 「種子島、狙いをつけよ」
 平蔵は火縄銃を持った同心を舟の前に位置させた。
 「河童を撃ってどうするつもりだ。やめねえか」
 佐々木の声に舟上の同心も少しひるんだ様子だったが、
 「構わぬ。不埒な妖怪を退治せよ」
 平蔵に励まされ、再び河童に狙いを定めた。
 「待ってくださいまし」
 前方の番頭から声が掛かるのと同時だった。
 「撃て」
 平蔵の声が掛かった。
 「さても憎い」
 三代目の囁きは、廻りの者の嘆息を誘った。
 しかし、舟の上から撃つ狙いは正確ではなかった。
 河童は、今までと変わらず、前方の舟と沿うように、泳いでいた。
 「再度、狙いをつけよ」
 「お待ち下さい。全てお話しますから、銃をお収めくださいまし」
 番頭の声は再びの銃声によってかき消された。
 同時にそれまでは、舟と沿っていた河童は、急に流れに呑まれていった。
 「お嬢様」
 番頭が身を乗り出した。
 「お嬢様、やと。そうか、分かったぞ」
 貞一が大きな声を出した。
 
 

 
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鬼、河童に濁流の水飲まされるー18

2007年04月25日 | 一九じいさんのつぶやき
 「兄貴、やっぱりでござんした」
 岩徳が貞一の長屋に息切らせて駆け込んできたのは夕方近くになってからのことだった。
 「やっぱりってどのこった?」
 貞一は、桶から水を汲んで、岩徳に渡した。
 「かたじけねえ」 
 岩徳は、貰った水を一気に飲み干すと、
 「船頭の件でさあ」
 と、続けた。
 「まあ、座れ。それで何が分かった?」
 貞一は土間に岩徳を座らせた。
 「はっきりとは言えねえんですが、あん野郎が何か隠し事をしていることは間違いございやせん」
 二人が話しているのは、河童騒動があった日、舟の上からなにやら賑やかにしていた船頭のことである。
 「それじゃ、乗せていた客のことも話さねえんだな」
 「あいつが堅気でなかったら、締め付けてでもなんとしてでも吐かせてやるんだが、まっとうな人間相手に拳もあげられねえ」
 「それでも、その船頭・・・」
 「松次郎といいやす」
 岩徳が付け加えた。
 「その松次郎は、しばらくは羽振りがよかったんじゃねえか」
 「おっしゃる通りで。吉原通いを続けていたらしいです」
 「今はどうだ?」
 「最近はなりを潜めたってことです」
 「そうすると、たいした金じゃねえな」
 「ちょっとした秘密のために松次郎は商人風の旦那に小金を握らされたってことになりやすね」
 「あいつら、なにを隠していやがるんだ。まさか河童を捕まえたわけでもあるまいし。どちらにしろ、その旦那の正体を暴くのが先決だ」
 「兄貴の話とは直接関係しねえが、あの路孝はまだまだ河童に未練一杯らしいですぜ。また、見物に行って、是非自分の目で河童の姿を確かめると息まいているとのことです」
 「三代目はこの前、鬼の平蔵に一泡吹かせたらしいじゃねえか。それが目的で三代目指揮の下、この狂言が組まれたのかもと考えていたが、その線は薄いな」
 貞一は、すすだらけの天井を見上げ、
 「どちらにせよ、あの旦那が何を隠しているかや。河童の出没と旦那の利害を探れば自ずと分かってくるはずや」
 と上方訛りを含ませながら、独り言のように呟いた。
 
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鬼、河童に濁流の水飲まされるー17

2007年04月09日 | 一九じいさんのつぶやき
 熱しやすく冷めやすいのが江戸っ子気質だが、河童熱はなかなか冷めなかった。
 先日、実際に河童を見た者は、町中の連中から羨ましがられ、後の見物者の中には鯉が跳ねたのを見て、河童だと思いこむ者も現れた。居酒屋では、河童喧嘩という流行語まで生まれた。酔いにまかせて見たような嘘を言う者と、それを嘘だと決めつける者の間で諍いが起こることだった。
 一月ほど経った頃、河童騒ぎに更に拍車がかかる騒ぎが起こった。
 三代目瀬川菊之丞が、自らの言葉通り河童見物にやってきたのである。
 どこで聞きつけたか、町人娘も菊之丞目当てに繰り出し、河童騒ぎの前はうら寂しかった河原が大盛況の相を呈した。
 火付け盗賊改め長谷川平蔵も自ら姿を現し、騎乗からにらみをきかせた。
「歌舞伎者、今日は見かけは地味だが、中身はご禁制の派手な下着じゃあるめえな」
 平蔵は、わざと荒っぽい口調で菊之丞を威嚇した。
 「いえいえ、お頭、私は見ての通りの河原乞食。そんな余裕はございません。弱い者をいじめないで下さいまし」
 菊之丞が劇中の人物のように言うと、女性見物人の中からどよめきが起こった。
 「千両かせぐ役者が河原乞食なものか。憎いことを言うやつだ。もう一回取り調べてやろうか」
 「あれ、異なことを。ご勘弁下さいましな。長谷川様のお取り調べなどもう一回受けようものなら、菊之丞は怖さのあまり死んでしまいます」
 演劇口調の台詞にまたもやどよめきが起こった。
 見物人を味方につけた菊之丞の顔は言っていることとは逆に余裕があった。
 火付け盗賊改め長官に面と向かって文句を言える者はいなかったが、どよめきは、菊之丞支持のものが圧倒的だったのである。
 機を見るに敏感な平蔵は、またもや自分の名を上げるのに好機とばかりに出張ったが、さすがの平蔵も名女形菊之丞相手の芝居では敵うわけがなかった。不利と見て、後の見張りを部下に託して平蔵は帰って行った。
 それからしばらくは、時がゆるゆると流れていったが、結局、河童は姿を現すことがなかった。菊之丞は、
 「河童がいるなら見てみたいものでごじゃったが、怖い鬼が出てきただけでござりました。残念ですが、また鬼が出る前に去ぬるとしようかえ」
 と、甲高い笑い声を残して、去って行った。
 
 
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鬼、河童に濁流の水飲まされるー16

2007年04月03日 | 一九じいさんのつぶやき
 実際、長谷川平蔵が三代目菊之丞を縄に掛けたときも、大奥が松平定信に直接抗議を行ったため、鬼の平蔵の取り調べもなしくずしとなり、菊之丞はおとがめを受けなかった。
 「その路考ですが、近々、河童見物に足を運ぶと噂になっておりやす」
 岩徳が梨園の連中を好ましく思っていないのは、その表情から分かった。
 「やはり怪しい。そんな噂を自ら流すとは、何か企んでいるに違いねぇ。この河童騒ぎ、誰かが操っているとしたら三代目だ」
 佐々木は手を叩いた。
 「ちょっと待って下せえ。自分で言っておいて何だが、例のが河童じゃねえと決めつけると分からねえ点もあります。あの河童もどきは水しぶきも上げねえですっと泳いで行った。おまけにどこにも浮かび上がってこなかった。河童じゃねえとすると、この点が説明できねえ」
 「泳ぎの達人が筒を口にして行きゃ、訳のねえことじゃねえですかい?」
 岩徳がそんなのは不思議でもないという様に口を挟んだ。
 「河童は川上に向かって泳いで行った。川下ならまだしも、川上に行くには随分骨が折れるぜ。それに、屋形舟では船頭が立ちあがって、水の中を注視していた。それで見失うんだから、かなり深いところを泳いでいたんじゃねえか。浅かったら水しぶきが立つし、深けりゃ筒が届かねえ」
 「ええぃ、じれったい。一体、兄貴はあれが本物の河童だと思ってるんですか、それとも偽もんと思ってるんですかい」
 「実はな、わっちにも分からねえ」
 「なんですって」
 貞一がそう言うと、岩徳はがっかりした顔をした。
 顔のつくりこそ悪人面といっていい男だが、表情の変化に富んだ男だ。
 (根は悪人じゃねえな) 
 笑いそうになるのを堪えながら、貞一はそう思った。
 
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鬼、河童に濁流の水飲まされる - 15

2007年03月31日 | 一九じいさんのつぶやき
 「親分、この緑色の正体は何だと思う?」
 貞一は、佐々木の質問には直接答えず、岩徳に訊ねた。
 「河童の手形でしょう」
 「その河童の手形の正体は?」 
 「手形の正体?」
 岩徳は貞一が聞いたことをそのまま繰り返したが、少しの間を置いて、
 「どじょうとか、うなぎなんかのぬめりみたいなもんですかね」
 確信はないが、という表情で答えた。
 「わっちも最初はそう思った。しかし、不思議な点がいくつかある。第一に、こいつは臭いがしねえ。もし、河童みてえなもののぬめりならもっと魚のような生臭さがあるんじゃねえかと思うんだが、こいつは無臭だ。第二に、そもそもぬめりっていうのは、魚にとって何の益があるかってことだ。ぬめりがあることによって、岩などに当たっても魚は怪我しねえし、外敵からも捕まりにくくなってるんじゃねえか。それなのに、この手形はぬるぬるするどころか、ねばねばとしやがる。これでは、逆効果ってもんじゃねえか」
 「つぶやきの言うのももっともな気がするが、河童は魚じゃねえ。もっと人智を超えたもんだとしたら、一概にそうとも決め付けられねえのじゃねえかな」
 そういいながら、佐々木も自分の発言に自信がないらしく、首をひねった。
 「じゃ旦那、もうひとつ聞きやすが、足は常に地面に接触している。手形はあって、なんで足型はどこにもねえんですかい? まさか河童が草履を履いていたわけでもあるめえし」
 「あっ」
 佐々木と岩徳は、声を揃えた。
 「河童騒ぎをたくらんで誰が得するってことか」
 佐々木はすぐに冷静な表情に戻って思案気な顔をした。
 「例の瓦版屋は、盗賊奉行にしょっ引かれて取り調べを受けているってことです」
 岩徳が付け加えた。
 「さすが鬼平、やることが素早い。瓦版屋も、加役の厳しい尋問にあって、あることないこと、しゃべらなければいいが」
 貞一は同情した。規則を重んじる町奉行の取調べとは違って、火付け盗賊のそれは大層手荒く、実際、無実のものが尋問の激しさに耐え切れず、冤罪で処罰されることもあった。
 「しかし、瓦版屋が売上を伸ばすために仕掛けるというには、ちと無理があるような気がする。決して割りが合わねえし、風呂桶やら、一杯の魚やら、もう少し、金持ちなり、大物が後ろにいてもいいような」
 佐々木が呟いた。
 「大物といえば、このまえ路考が、『わたしは、河童が大好きでございます。本当にいるならぜひ見に行きたい』と放言しておりましたぜ」
 「三代目か。あいつは数年前に長谷川に捕まってとっちめらていたな」
 岩徳の言ったことに、佐々木がすぐに反応した。
 二人が話しているのは、歌舞伎の人気女形、三代目瀬川菊之丞、路考は、瀬川家の俳名である。
 「ご改革の意図に背いて紫縮緬の羽織など華美な服装をしていて、捕らえられたという例の一件でやすね」
 と、岩徳が補足すると、
 「そうだ。あいつなら数年前のことを根に持っていて、加役へのはらいせに、今回のことをでっちあげることはできる」
 「でも、そんなことをして瀬川になんの得があるんですかい」
 佐々木に貞一が尋ねた。
 「あいつは賭博もやるし、仲間内でも評判が悪い。そんなやつだから、ただ単に河童騒ぎを起こして、それを捕らえられない町方や盗賊奉行を見て笑っているかもしれねえし、いっそ、河童騒ぎがでかくなったところで、河童にお題をとった興行を行なう算段かも知れねえ」
 「ただ、このご改革の中、そんなことをしたらどんなお仕置きがあるやもしれねえ、ってのに」
 貞一は、首をひねったが、
 「梨園の連中は、大奥の力を笠に着て、高をくくっているのさ」
 佐々木は吐き捨てるように言った。
 
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