木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

鬼、河童に濁流の水飲まされるー4

2007年02月13日 | 一九じいさんのつぶやき
黒山三滝

埼玉県越生にある男滝、女滝、天狗滝の総称である。

先日、俺は吉原のソープランド街からPR文を依頼された。
その俺の頭に最初に浮かんだのがこの地だった。

この埼玉の片田舎が観光地と知られるようになったのは、幕末の頃である。

その当時、新吉原の副名主を勤めていた尾張屋三平という人物が、自ら講を開いたり、私財を投じて道標を立てて故郷である越生の観光客誘致に尽力した。
尾張屋三平は、剣客としての腕前もなかなかのもので、博徒とも堂々と渡り歩いた。
清濁併せのむ器量の大きさがあったという。

この尾張屋三平の立てたという道標など見に行ってみようというのが、今回のハイキングの一番の目的だった。
梅の時期にはいささか早く、紅葉のシーズンでもない今の人出は、まばらというほどだったが、滝をメインに据えた景観はすがすがしかった。

現金なもので残りの行程がわずかとなると、再び元気が湧いてきた。
道中には土産物屋などもあらわれ、観光気分にさせられる。

おや

そんな中、ぽつんと鏑木門の家が違和感漂わせて建っていた。
道行く人は誰一人、違和感など感じないらしく、足早に通り過ぎていく。

俺もどうして、その古ぼけた家が気になったのか、うまく言葉にはできない。

好奇心から近づいて、雨で読みとりにくくなった表札を眺める。
その瞬間、驚愕で呆然とした。

重田貞敬

と、ある。
十返舎一九の本名は、重田貞一。
彼の描いた絵には、貞敬の文字を多く用いていた。

一九は、俺が物書きを志したときから、目標にしていた作家だ。
あんなくだらなくも、面白い旅行記を書けないか、というのが俺の原点だった。

偶然、目にした表札が、その一九と同じだったとは。

これは、なにかの啓示かも知れない。

そんなことを考えてた俺に、

「表にいるのは、誰だ」

中からしわがれた声がかかった。




鬼、河童に濁流の水飲まされる- 3

2007年02月10日 | 一九じいさんのつぶやき
桃源郷といわれるユガテという集落を通過する。
疲労激しい俺にとっては、ただのひなびた集落にしか見えない。
ただ、行程が平坦になったのはうれしい。
しばし順調なペースで行く。
この辺りは植樹林で同じような木しかなく、景観の変化に乏しい。
おや。
そんなことに気が付く余裕が出てきたのだな、
自分で感心したが、
エビガ坂
という急坂がまたもや俺の期待を裏切る。
登ったかと思ったら、また下り、また登る。
ややこしい。
せっかく登ったのに、また降りて、また登るなんて。
おや。
いつの間にか、そんなに苦しくはなくなっている。
これがいわゆる、ランナーズハイというやつだろうか。
今の俺はエベレストだって登れるぞ、という気になっている。
調子に乗って2時間弱くらい歩いただろうか。
峠の茶屋が見えてきた。
後の登りはたいしたことがない。
ひと登りしたら、降りるだけだ。

食べ過ぎた・・・

調子に乗って峠の茶屋でビール3本、おでんと親子丼を平らげてしまった。

後が続かない。
さっきの威勢のよさはどこかに行ってしまった。
幸いなことに顔振峠に出るまでにはそれほどかからなかった。
ここには源義経の伝説がある。
義経が奥州に逃れるときにここを通って、景色がいいので何回も振り返ったという。
また、もう一説には、坂が厳しいので供の者が疲れて顔を振り振り登ったという。
俺には後者の方が当たっているように思える。
景色もそれほどよく感じられない。

下りは楽だと思ったのだが、歩き方が悪いせいか、膝が痛くなってきた。
酔い覚めでだるくなった体を引きずるようにして、黒滝三山までやっとたどりついた。


鬼、河童に濁流の水飲まされる - 2

2007年02月09日 | 一九じいさんのつぶやき
東吾野
ひがしあがの、と読む。
池袋と秩父を結ぶ西武池袋線の駅だ。
池袋からは東武東上線という線も出ている。
東武は、東京と武州を結ぶ線だからその名前がついているが、西武線の西とはどこだろうなどと考えていたら、東吾野であやうく降りそびれるところだった。どうも、ひとつのことを考えると、他のことが考えられなくなるのが俺の欠点らしい。
腕にしたカシオのプロトレックを見る。
11時。
ひとつため息をついた。
シューズ、書籍。
そして、方位と高度が計れる腕時計まで買ってしまった。
せっかくだから、と一番いいやつを選んだ。
値段は・・・言いたくない。
衝動買いも俺の欠点らしい。
いや、これは純然たる欠点だ。
「まあ、なんとかなるさ」
この開き直りの速さは、俺の長所でもあるが、金のたまらない理由でもある。
それにしても、空が青い。
景気付けに持ってきた缶ビールを開ける。
うまい。
青空の下のビール。
なんて健康的なんだ、と喜んだのもつかの間。
舗装道から山道に入ったととたんに急登が俺を待ち受けた。
来るんじゃなかった・・・
ポツリとそんな愚痴がもれた。
もともとの目的地は、越生方面だ。
それをハイキング兼ねて東吾野から行こうと思ったのは、本ばかり読んで、いっぱしのハイカーになったような錯覚に陥った俺の勘違いだった。
さっき飲んだビールが汗になって噴出す。
心臓の鼓動は激しく、日ごろの自分の運動不足を思い知らされた。
「こんにちは」
そんな俺を老夫婦がさわやかに追い抜いて行く。



鬼、河童に濁流の水飲まされる-1

2007年02月06日 | 一九じいさんのつぶやき
あなたは軽肥満です
先日受けた健康診断の結果にそう記されていた。
若い頃はバンドを組み、髪を長くしていたこの俺が「肥満」。
「ミックの尻」と同じとまで言われたこの俺が。
しがない三流のライターだから生活も不規則、食事もいい加減。
仕方ないさ、とつぶやいた途端に腹が減る。
これだから、太る。
入るものが多いなら、出る方をも多くすればいいことだが、もともと運動音痴な自分。
水泳もジョギングもできない。
第一、スポーツクラブなんてところには通う金もないし、あの雰囲気も苦手だ。
こんな自分にでも何かできるスポーツはないかと、ショップへ行く。
そこで出会ったのアルモンドという耳慣れないブランドの登山靴。
あまりのかっこよさに頭がぼぉっとしてしまった。
「3万2千円です」
レジの女性に告げられてやっと我に返った。
しかし、もう遅い。
「支払いはカードで」
そう告げるのが精一杯だった。
これで当分の間、昼はカップラーメンの生活だ。
40に手が届く男の生活としては、むなしい・・・。
とにかく、大枚を叩いて買った登山シューズ。
無駄にはしては、いけない!
そう力んだのはいいが、職業柄か、書籍を買うと大金を使ってしまう。
地図やらガイドブック、登山入門などを買ったら、さらに1万円近く使ってしまった・・・。

今、わたしが埼玉県の東吾野という駅に降り立ったのはそういう経緯があった。


お断り

2007年02月05日 | 一九じいさんのつぶやき
もともと自分の忘備緑的な意味合いもあって始めたこのブログであるが、この度、十返舎一九との出会いによって少し趣向が変わることをお断りしておく。
最初は一人称と三人称が混在するやもしれず、わかりづらくなる懸念があるが、ご容赦願いたい。

一九先生からの便り

2007年02月04日 | 一九じいさんのつぶやき
おい、おめえさんかい。
「十返舎一九のような偉大な物書きになりたい」だなんて、随分うれしいこと言ってくれるじゃねえか。
わっちは「偉大な」てなもんじゃねえんだが、まあ職業作家としての先駆けだったことに関しちゃあ、多少たりとも自負はあるわな。
しかしだな、ちっと高いところから見てると、神様にお参りしていんときのお前さんの姿は肩に力が入りすぎってもんだ。気合も時には必要かもしれねえが、四六時中気合さえ入れてりゃいいってもんじゃねえ。何だか知らねえが、おめえは寝てる時まで力が入っているようじゃねえか。それが、この時代の人間の生き方ってもんなのかい? 四角い豆腐を丸くしようたって、そいつは無理な注文ってもんだ。長い人生、なるようにしかならねえ時期もある。後から振り返ってでねえと、なかなかそんなことも言ってられねえが。
「膝栗毛」を書くまで相当な時間を要したが、書いているときは、おめえさんみたいに力みかえって書いていたわけじゃねえ。
まあ、こうやって袖振り合ったのも何かの縁だ。
書いたものがあるなら、見てやる。
その合間に知りたがってた江戸の話でもしてやろう。
その代わりと言っちゃなんだが、平成とかの世もちいと見物させてもらうぜ。
それじゃ、また近いうちに。
一九

東海道中膝栗毛と下の話

2007年02月01日 | 江戸の風俗
またもや下の話で失礼する。

前回、し尿が金銭で売買された話を書いたが、し尿は金銭だけでなく現物でも交換された。
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にその下りがある。

「膝栗毛」が書かれた1800年初頭には、江戸ではし尿は金銭取引が多くなっていたようで、すでに物々交換が珍しくなっていたらしい。
京都に行った際に、大根とし尿を交換する肥え取りに遭遇した弥次さん、北さんは、物珍しそうに眺めている。

「大っきな大根と、小便しょ」
と呼び立てていくあとから、武家屋敷の中間とみえるしみったれた男がふたり、
「これこれ、わしらがここで小便してやろが、その大根三本、寄こさんかいな」
と、肥え取りを呼び止める。(略)
「さあ、ここへやっておくれんかいな」
小便桶をおろすと、中間は二人ながらその中へしゃあしゃあ・・・・
「もう、これきり出んのかいな」
「打ち止めに屁が出たさかい、もう小便はそれきりじゃ」
「こりゃ、あかんわい。今一度身体をようふって見さんせ」
「はて小便くすねて置いて、どうしようぞい。ありたけ出してのけたわいな」
「これでは大根三本、ようやれんわ。二本持っていかんせ」
「量は少のうても、わしらの小便は質がええわい。茶粥腹のやつとは違う。わしらは肉を食うておるさかいな」

と、続く。
弥次さん、北さんは面白がって見ていたが、北さんが声をかける。

「もしもし、さいわいわっちは小便がしたくなったから、ぶしつけながらお前がたに上げやしょう。わっちのを足して大根三本お取りなせえ」
肥え取りも江戸者と見て追従とも取れるようなことを言う。

「そりゃ、すばらしい。お前さまのは京都産じゃないからじゃ。とにかく小便は関東物が一番。地もとのは薄うて値打ちがないわい」
「もうちっと早かったらもっと出たんだが・・・。わっちは生まれつき小便が近いので、日ごろ小便桶を首に掛けて歩いていた男さ」

北さんは、豪語していた小便が少ししか出なかったので、こう言って強がる。

今読んでも「膝栗毛」は、大変面白い。


気位の高い京都御所の女中(一九画)

東海道中膝栗毛  十返舎一九 (杉本苑子訳) 学研

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