木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

象は偉いゾー~江戸時代の象輸入

2007年12月03日 | 大江戸○×クイズ
はなから、ベタなダジャレで恐れ入るが、下記は、誰だが分かるだろうか?
「従四位広南白象」 
実は、これは、享保一三年六月一三日に長崎に着いた牡の象のことである。
象が日本に来たのは、これが初めてではなく、三回目であったが、八代将軍徳川吉宗が自ら所望して、ベトナムから輸入したこの象は、日本中に大フィーバーを招いた。町人、武士、農民、果ては朝廷まで、このブームに乗り、長崎から江戸に陸路で来る途中、日本国中どこでも、一目、珍獣を見ようと人だかりができた。象が京都に来たときは、天皇、上皇までが象を閲覧したいと申し出た。当時は象といえども、無冠では天覧を許されなかった。
であるから、従四位の冠を与えて、天覧したのである。
天皇は、象をご覧になって、非常に上機嫌で、
ときしあれば他(あだし)の国なるけだものを
けふここのへに見るぞうれしき

と、和歌まで詠まれている。
江戸に上がった象は、吉宗に可愛がられ、一三年間、何度も江戸城に召し出されている。
一三年の後、象は民間に払い下げられることになるが、その頃になっても象人気は凋落しておらず、17,8人もの人間が払い下げに対して名乗りをあげたという。
結局、中野村(現中野区)の農民、源助というものに払い下げられた。寛保元年(一七四一年)のことである。
源助は、農民と言っても、掛茶屋も経営している、なかなか才覚に富んだ百姓らしく、象を見物しようとする者から見物料をとるなど、ちゃっかりしたところを見せた。
結局、翌年には、象は死んでしまうのだが、虎は死んで皮を残す、ではないが、象の骨や牙はその後も、ながらく見世物小屋などで人気を集めたということである。

徳川吉宗(角川選書)百瀬明治