木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

鬼、河童に濁流の水飲まされる - 15

2007年03月31日 | 一九じいさんのつぶやき
 「親分、この緑色の正体は何だと思う?」
 貞一は、佐々木の質問には直接答えず、岩徳に訊ねた。
 「河童の手形でしょう」
 「その河童の手形の正体は?」 
 「手形の正体?」
 岩徳は貞一が聞いたことをそのまま繰り返したが、少しの間を置いて、
 「どじょうとか、うなぎなんかのぬめりみたいなもんですかね」
 確信はないが、という表情で答えた。
 「わっちも最初はそう思った。しかし、不思議な点がいくつかある。第一に、こいつは臭いがしねえ。もし、河童みてえなもののぬめりならもっと魚のような生臭さがあるんじゃねえかと思うんだが、こいつは無臭だ。第二に、そもそもぬめりっていうのは、魚にとって何の益があるかってことだ。ぬめりがあることによって、岩などに当たっても魚は怪我しねえし、外敵からも捕まりにくくなってるんじゃねえか。それなのに、この手形はぬるぬるするどころか、ねばねばとしやがる。これでは、逆効果ってもんじゃねえか」
 「つぶやきの言うのももっともな気がするが、河童は魚じゃねえ。もっと人智を超えたもんだとしたら、一概にそうとも決め付けられねえのじゃねえかな」
 そういいながら、佐々木も自分の発言に自信がないらしく、首をひねった。
 「じゃ旦那、もうひとつ聞きやすが、足は常に地面に接触している。手形はあって、なんで足型はどこにもねえんですかい? まさか河童が草履を履いていたわけでもあるめえし」
 「あっ」
 佐々木と岩徳は、声を揃えた。
 「河童騒ぎをたくらんで誰が得するってことか」
 佐々木はすぐに冷静な表情に戻って思案気な顔をした。
 「例の瓦版屋は、盗賊奉行にしょっ引かれて取り調べを受けているってことです」
 岩徳が付け加えた。
 「さすが鬼平、やることが素早い。瓦版屋も、加役の厳しい尋問にあって、あることないこと、しゃべらなければいいが」
 貞一は同情した。規則を重んじる町奉行の取調べとは違って、火付け盗賊のそれは大層手荒く、実際、無実のものが尋問の激しさに耐え切れず、冤罪で処罰されることもあった。
 「しかし、瓦版屋が売上を伸ばすために仕掛けるというには、ちと無理があるような気がする。決して割りが合わねえし、風呂桶やら、一杯の魚やら、もう少し、金持ちなり、大物が後ろにいてもいいような」
 佐々木が呟いた。
 「大物といえば、このまえ路考が、『わたしは、河童が大好きでございます。本当にいるならぜひ見に行きたい』と放言しておりましたぜ」
 「三代目か。あいつは数年前に長谷川に捕まってとっちめらていたな」
 岩徳の言ったことに、佐々木がすぐに反応した。
 二人が話しているのは、歌舞伎の人気女形、三代目瀬川菊之丞、路考は、瀬川家の俳名である。
 「ご改革の意図に背いて紫縮緬の羽織など華美な服装をしていて、捕らえられたという例の一件でやすね」
 と、岩徳が補足すると、
 「そうだ。あいつなら数年前のことを根に持っていて、加役へのはらいせに、今回のことをでっちあげることはできる」
 「でも、そんなことをして瀬川になんの得があるんですかい」
 佐々木に貞一が尋ねた。
 「あいつは賭博もやるし、仲間内でも評判が悪い。そんなやつだから、ただ単に河童騒ぎを起こして、それを捕らえられない町方や盗賊奉行を見て笑っているかもしれねえし、いっそ、河童騒ぎがでかくなったところで、河童にお題をとった興行を行なう算段かも知れねえ」
 「ただ、このご改革の中、そんなことをしたらどんなお仕置きがあるやもしれねえ、ってのに」
 貞一は、首をひねったが、
 「梨園の連中は、大奥の力を笠に着て、高をくくっているのさ」
 佐々木は吐き捨てるように言った。
 

鬼、河童に濁流の水飲まされるー14

2007年03月30日 | 一九じいさんのつぶやき
 「兄貴、そんな得体の知れないものを指で掬って大丈夫なんですかい」
 岩徳が心配げな顔つきをしたが、端から見たら悪人面に磨きがかかっただけに見えた。岡っ引きには、悪の道に詳しい前科者がなることも多く、岡っ引きの全てが正義の味方という訳ではなかった。この岩徳は、本当の名前を徳三と言って、本職は神田鎌倉橋で楊枝の職人をしていたが、そのごつい風貌から、誰もが岩の徳三とか、岩徳と呼んでいた。
 「無鉄砲なところは、わっちの生まれつきだ。それより、おめえさんに、兄貴なんて言われると鳥肌が立つ。なんか別の言い方はねえもんか?」
 「佐々木様と同じように、旦那と呼ぶわけにもいかねえし、困ったな、こりゃ」
 「つぶやきも岩徳の好きなように呼ばせてやりゃあいいじゃねえか」 
 同心の佐々木助次郎が笑った。
 「兄貴、も困るが、そのつぶやきっていうのも、なんか嫌な感じでさぁ」
 「少なくとも北のご番所ではおめぇの呼び名はそれで通ってるじゃねえか。いやだったらぶつぶつ言う癖を直すのが先決だ」
 佐々木は明るく笑ってから、
 「ところでおめえ、そんなものの臭いをかいでどうしようってんだ?」
 と、不思議そうな顔をした。
 
 

鬼、河童に濁流の水飲まされるー13

2007年03月29日 | 一九じいさんのつぶやき
 「どうだ?」 
 じいさんは、相変わらず煙をくゆらせながら、俺の顔を見た。
 「どうだ、って言われても・・・・」
 こんな話くらいで江戸時代には河童がいたとは信じられない。
 「与太話だろう、って顔に書いてあるぜ。まあ、この件で喜んだのは例の瓦版屋くれぇで、実際にその場に居合わせた者でさえ、今見たのはなんだったんだろうととまどった。でも、水しぶきもあげねえで泳いでいくことは人間にはできねえし、向こう岸には屋形舟の船頭がずっと水の中を注視していた。人間なら息を継ぐためにどこかに浮かんでこなくてはならねえ算段だが、どこにも浮いてこなかったようだ。するてぇと、やっぱりあれは河童だったと判断するしかねえ・・・」
 「現代ではドルフィンっていうんですが、足ひれをつけて、時代劇の忍者のように筒かなにかで呼吸していたとすれば説明できるんじゃないですか?」
 「河童は屋形舟の方向に泳いでいった。その屋形舟はゆるやかとはいえ、上流に位置していた。その足ひれとやらをつけても、流れに逆らうには結構バタバタしなくてはならねえんじゃねえかな。まあ、いい。話を進めるぜ。実はわっちは時の北町奉行小田切土佐守とつながりがあって、その配下で市井の情報収集などを行っていた。わっちも筆だけじゃ食えなかったから必死だったわけだ。それで、この件も同心佐々木助次郎の手助けをするように言われたんだ。江戸の三大いなせ
と言われた定町廻りの旦那と強面の岡っ引き岩徳とつれだって歩く姿は、なんていうか、自分も強くなったような気がしたもんだ。そいつらと、例の河原へ行ってみると、お約束ごとのように、そこには緑色の手形がついている。わっちにはそれがなにか気になった。そこでその緑色のものの臭いを嗅いでみることにした・・・・」
 

鬼、河童に濁流の水飲まされるー12

2007年03月23日 | 一九じいさんのつぶやき
 見物人が声の方向に目をやると、船頭が屋形船を緩い流れに沿うようにゆったりと漕いでいた。声の主はと見ると、商人風の年かさの男がのんびりした様子で釣り竿を手にしている。
 「おまえさんがた、そんなに大勢集まって何を見てなさるね?」
 男が間延びした口調で大きな声を出した。
 「河童だぁ」
 熊三が更に大きな声で返すと、
 「河童とな?」
 男の不思議そうな声が戻ってきた。
 「河童騒ぎを知らねえとは、江戸っ子とも思えねえな」
 留助が首をひねった。
 「ああ、話には聞いたことがある。あれが、この辺りとは知らなかった。ここで河童が出るというなら、あたしが釣ってみせましょう」
 舟上の男は面白そうに竿を出した。
 「おいおい、邪魔をするんじゃねえよ。そんなことをしたら河童が逃げちまうじゃねえか」
 瓦版の十平衛が忌々しそうに舌打ちした。
 「こんなことで逃げてしまうような河童なら、もともと出てはきませんて。なあ船頭さんよ」
 「もっともで」
 船頭は、
 「それ河童よ、出てこい、出てこい」
 櫨で水面を叩き始めた。
 「あいつらめ」
 怒ったのは十平衛である。
 「てめえら、そんな勝手な真似は承知しねえぞ。このみの屋十平衛を怒らせてみろ。おめえら、二人とも水の中に叩きこんでやる」
 十平衛は、立ち上がって怒鳴った。
 「怖い、怖い。でも、どうやってここまで来なさるね」
 「見くびるな。俺の泳ぎは河童にも負けねえ」
 そう十平衛が啖呵を切ったところで、
 「河童、河童」
 熊三と留助が両脇から十平衛の脇を引っ張った。
 「ええい、うるせい。河童がどうした。俺の泳ぎはだな」
 「だから、河童」
 熊三が指さした方向を見て、
 「ひぇぃ」
 今までの威勢はどこへやら、十平衛は意気地なく、へたりこんでしまった。
 そこには緑色の奇妙な生き物が桶の中に首を突っ込んでもぞもぞしていたのである 
 「なんだあれは」
 見物人の間にもざわめきが起こったが、誰一人近づこうとはしない。
 そのうち、河童とおぼしき生き物は、川に入水した。
 河童はぐんぐんと屋形舟の方へ向かっていく。
 「おおい、河童がそっちへ向かったぞ」
 見物人の中から声が上がった。
 舟の上では船頭が緊張の面もちで櫓をふりかざして固くなっていた。
 さきほどの釣り男は、障子の奥に隠れてしまっている。
 河童は全く水しぶきをあげないまま、舟に近づいていく。
 「ぶつかる」
 熊三が思わず叫んだとき、河童は舟の下に潜り込んだ。
 船頭は櫓をふりかざしたまま心配そうに辺りを見回していたが、しばらくして櫓を降ろすと、
 「消えちまった」
 と、呟くように言った。
 
 

 

ナノストーンフライパン

2007年03月22日 | B級グルメ
何気なくつけたテレビのショップチャンネルで、ナノストーンフライパンというものの宣伝販売が行われていた。
 「これ、いい!」
油をひかずに料理ができる。
餃子も、目玉焼きもうまく調理されていた。
 「欲しい!」
価格は9000円弱だったかなあ。
自信があるのか10年間保証までついている。
フライパンだけでいいのだけど、なぜか中華鍋もついていて、価格を押し上げている。
フライパンだけでいいから、もっと安くしてくれ、と言う人が大半なのではないだろうか。
それにしても、欲しい。

鬼、河童に濁流の水飲まされるー11

2007年03月22日 | 一九じいさんのつぶやき
 「言い遅れたが、俺は十衛平、みの屋十衛平として、日本橋で瓦版を出している」
 桶を据え付け終わり、土手に上がって来た男はそう名乗り、汗を拭いた。
 熊三と留助の二人の間に挟まるようにして座った十衛平は、二人よりは年かさだが、野心に満ちた目はぎらぎらと光っていた。目つきの鋭さのせいで抜け目ない人間のようにも見えるし、切れ者のようにも見えた。
 「おう、おめえはもう、けぇっていいぜ」
 十衛平は、一緒に来た男を帰すと、包みからにぎりめしを出して、食べ出した。
 熊三と留助は、その様子を興味深そうに見ていて、十衛平が再び話し始めるのを待っていたが、十衛平が二つ目のにぎりめしに手を伸ばしたのを見て、熊三は、
 「おめえ、河童を捕まえるつもりかい?」
 と聞いた。どうにも、もう、待ちきれないという風情だ。
 「いいや」
 熊三の意気込みとは正反対に、十衛平の答えは素っ気ない。
 「いいや、って、それじゃ、その肩にかけた網はなんでえ」
 留助も熊三と同じく興味津々である。
 「おう、これかい? これは、言うなれば、衣装だな。格好つけだ」
 「衣装だと?」
 二人は声を揃えた。
 「河童なんぞ捕まえた日にゃ、どんな祟りがあるや知れねえ。第一、飼っておく場所もねえ。網で捕らえるなんて、野暮なことをしなくとも、この俺の目で捕らえれば、江戸っ子は、河童を実際に目にしたのと同じだ。それが瓦版屋の意地ってもんだ。実はもし河童を見ることができたなら、その場でこの網を投げる真似をして、『河童捕らえたり』などと見栄を切ろうかと思ってたんだが、話していて恥ずかしくなった。まあ、そんなことをせずともいい。あとは、仕掛けの効果次第というところだ」
 「その仕掛けだが、大した金を掛けたな」
 熊三が魚屋らしく聞いた。
 「まあな。魚心あれば水心。河童好きは江戸にはたくさんいる」
 「旦那がついてるってことか? 次はぜひ俺から貰いてえもんだ。そうすれば俺も落ち着いて河童見物ができる」
 熊三が冗談とも本当ともつかぬことを言っていると、
 「おーい、おまえさんがた」
 川向こうから大きな声が掛かった。
 
 
 

鬼、河童に濁流の水飲まされるー10

2007年03月20日 | 一九じいさんのつぶやき
 「この時代の一番の発明と言ったら、このポテトチップスだな。これは、実にうめえ」
 じいさんは、俺の買ってきたポテトチップスを食べながら上機嫌になっていた。
 「しかも、のり塩に限る。これが一番だ。おっと、話がすっかりそれちまった。おめえもわっちのポテトチップス礼賛を聞きに来た訳じゃあるめえ。深川の河童の件に戻ってやる。騒動はまだ序の口だった。大変な騒ぎになったのは、汗ばむほとの陽気の日、暮れ六ツ近くのことが発端だ。その日は暖かだったこともあっていつもに増して河童目当ての見物人も多かった。州崎の近くはぬかるんで足場も悪かったので、その近くの土手にござを敷いて、見物人は無駄口などを叩きながら、思い思いにのんびりしていた。こっそり酒などを飲みながら見物している者もたようだが、河童が現れようと現れまいと河童見物に行くと言うこと自体が行楽だった。江戸ってのはそういう時代だった。この頃では常連の者も現れ、話もはずんでいた・・・・・」

 「おっ、おめえさんも精が出るな。昨日もおとといも来てたじゃねえか」
 「そういうおめえだって、暇さ加減では俺に負けちゃいねえな」
 「おうよ。江戸っ子たるもんが、河童が出るかもしれねえってのに、夕方まで天秤棒担いでいるわきゃ、いけねえ」
 「そりゃそうだ。でも、山の神は怒る、怒る。おかげで家じゃ酒も出しちゃもらえねえ」
 「うちでも同じこった。俺は熊三だ」
 「そっちが名乗りを上げたのなら、こちらも名乗ろう。拙者、神田明神下に屋敷を持つ、留助だ」
 「何が屋敷だ。屋敷って顔は、してねえぜ」
 年の頃にして二十代半ばの若い男二人は、親しげに笑い合った。こういう場では妙な親近感が湧くことがある。
 「おい、あれを見ろ」
 小太りの熊三が、道先を指さした。
 「なんでえ、ありゃ」
 対照的に留助は痩せている。
 熊三の指さした方向には、風呂桶のようなものを天秤棒に担いだ男が二人、駕籠かきのようにして現れたからだ。二人とも反対の肩には網を担いでいた。
 「見たことがあるやつだ」
 熊三が言うと、
 「昨日も来てた奴だ」
 痩せ形の留助が答えた。
 「なんでえ、そいつは」
 「これかい、見てみな」
 熊三の呼びかけに応えて、天秤棒の前を担いでいた男が蓋を開けた。
 「魚じゃねえか。これをどうしやがる」
 留助が目を見開くと、
 「河童は何を食う?」
 男は、落ち着いた声で逆に質問を返した。
 「魚か?」
 熊三には男の意図が少し分かってきたらしい。
 「そうだ。河童がなぜ陸に上がって来るか? それは、川に餌となる魚が少なくなってきたからだ。敢えて危険を冒してまで上陸する必要ができた。その腹が空いた河童に大量の餌をみせてやれば・・・・どうなる?」
 「食いつくにちげえねえ」
 熊三と留助は声を揃えた。
 「親方、こいつを早く仕掛けちまいましょうや」
 今まで黙っていた後ろの男が声を掛けた。
 「お、そうしよう」
 男は答えたが、
 「ちょっくら待ってくれ。俺は魚屋だ。どんな魚を持ってきたか、見せてくれ」
 熊三は、二人を止めて桶の中をのぞき込んだ。他の見物人も興味深そうに桶の中を眺めている。
 「アジにイワシ、ご丁寧なことにコイやウナギもいる。海、川両用ってことか。それにしても大層な量じゃねえか」
 「河童を目の前にケチケチはしてられねえ。話は後だ。おい、仕掛けちまおう」
 男二人は、川岸に桶を担いで降りて行った。
 

 

鬼、河童に濁流の水飲まされる - 9

2007年03月15日 | 一九じいさんのつぶやき
 「あいにく私は日本酒が飲めない性質なんです。性にあわないらしくて」
 「誰が日本酒じゃねえといけねえ、と言った。江戸の人間は日本酒しか飲まねえって思ってるところからして、間違げえだ。第一、人の家に来るときは手土産くれえ持ってくるもんだ」
 人の家に来るといっても、ここに来たのは偶然だ。手土産など準備できるわけもない。
 「ここに来たのは偶然だと思ってるんだろう。だから、おめえは頭が悪いって言ってるんだ。偶然だったら、なんでわっちは、おめえが紀行文を書いてるだなんて知ってるんだ?」
 「あっ」
 俺は声を上げた。確かに、俺は自分から紀行文を書いているなどと口にしてはいない。
 「まあいい。そこの戸棚にあるとっくりとぐいのみをとれ」
 じいさんは、あごで方向を示した。
 俺は混乱した頭でじいさんの言うとおりにした。
 「この時代の酒っていうのは、どんなに旨くなっているのかと期待したいたんだが、とんだ期待はずれだ。江戸の酒は雑味も多いが、しっかりしていて趣があった。それが今の酒ときたらさっぱりしているだけで、心に響かねえ。薄っぺらいというか。まあ、酔っちまえば一緒のことだがな」
 じいさんは、そういうと、旨そうに酒を飲んだ。
 確かに旨そうに飲む。
 日本酒の駄目な俺でさえ、喉が鳴った。
 「さて、どこまで話した?」
 「土座衛門が事故死として片付けられたところまです」
 「そうだったな。不思議なことにその事故以降,例の手形がついた猫や犬がその辺りで見受けられるようになった」
 「生きた猫や犬にですか?」
 「そうだ。おまけに、葦なんかに緑色のものが時折ついているようになったんだ。瓦版にもとりあげられ、評判になった。河童目当ての見物人もちらほら現れるようになった。そんな評判をあまり愉快に思っていない人間もいた。一人は盗賊奉行、正式には火付け盗賊改め長官の長谷川平蔵。平蔵は本所育ちだから、地元に田舎臭い河童がいるなんて風評が立つことに腹を立てていたらしい。江戸っ子は、鬼が河童退治に立ち上がったと面白がったもんだ。もう一人は北町奉行所の定町廻り同心佐々木助次郎。佐々木は自分が事故として処理したものが実は河童のしわざだったとすると、面目が潰れる。そこで、岡引きの徳三、通称岩徳と組んで周囲をくまなく捜査し始めた」
 そういうと、じいさんは、また酒を飲んだ。
 「酒ばかりでつまみがねえのも詰まらねえ。これから先は有料だ。おめえ、そこの土産物屋へ行って、乾き物でも買って来い」
 相変わらず人使いの荒いじいさんだ。

鬼、河童に濁流の水飲まされるー8

2007年03月14日 | 一九じいさんのつぶやき
 「深川ってぇのは、武家屋敷と木場の多いところだ。それでも深川の西っ側、富岡八幡宮のあるあたりは町人も多く住んでいた。一橋だとか、細川越中守だとかばかでけぇ屋敷を通りすぎて更に西に歩くと、平野橋という橋があった。さらに行くと洲崎弁天があり、その辺は潮干狩りの名所だった。ただ少し中に入るとわっちが江戸に出てくる前の年に高波が起きて多くの人が死んだところがある。この辺りは人家を建てることも禁止され、わっちが行った頃は葦のしげった昼でも薄暗い雰囲気のあんまり愉快じゃねえ場所だった。それでも、うなぎやコイが捕れるっていうんで、子供はしょっちゅう行ってたような場所だ。あれはひどい雨が降った翌日のことだった」
 そういうとじいさんは、新たに煙草を詰め直したキセルをまた喫い始めた。
 「うなぎを捕りに行った子供が土左衛門を見つけた。それだけじゃ、水難事故の多かった江戸では、そんなに珍しいことじゃあなかったが、その男の肩や腰には緑色の手形がついていた」 
 「手形、ですか?」
 「ああ。これは河童のしわざじゃねえか、ということで結構な騒ぎになった」
 「まさか、本当に河童のしわざだったわけじゃないでしょう?」
 「慌てるな。現代人はそんなに急いでどうしようってんだ? 確かに男が河童に引きずり込まれる現場を見た者はいねえ。だが、その妙にねばねばする緑色の手形は河童のしわざとしか言いようがなかった。見聞に来た町廻りも困っていた。江戸時代には河童も幽霊もいた、と先ほど言ったが、実際に見た者となると、ほとんどいなかったからだ。ただ、酒に酔ってふらふらしていたその男をゆんべ見た者はいる。酔いのせいであやまって川に落ちたもんだろうが、緑の手形の処置には町方も困った。結局、その件には触れずに男は誤って溺死した、という事実だけで処理された」
 「それは当然でしょう」
 じいさんは俺の方をギロリと睨んだが、何も言わなかった。
 「事故処理はそれで済んだが、済まなかったのは噂好きの江戸っ子の口だ。それ以来、平野橋のたもとには河童が出るという風評が立った。ところで、おめえ、酒は持ってねえか」
 じいさんは、にやっと笑った。
 

鬼、河童に濁流の水飲まされるー7

2007年03月13日 | 一九じいさんのつぶやき
 「よく分からないんですが、仮にあなたが一九その人だとして、ずっと江戸時代から生きているとしたら」
 自分でも馬鹿らしく思いながらも、何歳だろうと数えた。
 「わっちは天保二年に六二歳で死んだとある。西暦ってやつでいうと1831年だ。するてえと、わっちの今の年齢は176歳てことになる」
 「それを私に信じろと?」
 「普通、信じないわな」
 「夢を見ろ、とはその年齢を信じろ、ということですか」
 「事実を教えてやろう。おめえに理解できるようにいうなら、SFってやつだ。タイムマシン、時空間、タイムスリップ、なんと呼んでもいい。ただ、わっちは死ぬ前にこっちの時間に滑りこんだというだけだ」
 (笑ってくれ)
 俺は心の中でそう呟いた。
 (そんなことあるわけねえじゃないか)
 と、目の前の老人が笑うのを待った。
 実際は、何も起こらなかった。
 長い沈黙が続いただけだった。
 その間も老人は、煙をくゆらせている。
 「まあ、いいってことよ」
 老人は笑う代わりにそう言った。
 「昔は川には河童がいたし、町には幽霊がいた。今って世の中はそんなことも信じられねえんだろ。そんな中で生きてるおめえにいきなり、こんな話を信じろってのも無理な話だ。いくつかルールを守ればおめえの聞きたい話を教えてやる」
 「ルール?」
 「その一。わっちを誰だなどと二度と聞かないこと。わっちは一九だ。今日のルールはそれだけだ」
 「はあ」
 この老人は俺に何を教えようというのだろう。
 「今日は深川の河童騒動について聞かせてやる。あれは梅雨も終わりかけの頃、時は西下(松平定信)のご改革の真っ最中のことだった」
 老人はそういうとキセルを置いた。