木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

浜チョク ~ 激安お取り寄せ海産物

2021年02月20日 | 日常雑感
浜チョクという海産物お取り寄せのサイトを見つけた。
価格が安い。
おまけに送料が無料である。
クール宅急便なんて、1500円くらいかかることも多いのだけれど、それでも無料。

さっそく、この中から三重県の浦村かき(生食用)殻つきを頼んでみた。
価格は2000円。

価格が価格だけに、量が少ないのかなあ、と思っていたのだが、届いてびっくり。

発泡スチロール容器にびっしり入っている。


生でも食べられるのだけれど、多食するには加熱したほうが安心なので、土なべで蒸し焼きにする。


さすがに鮮度は抜群。


説明書です。


アマゾンで見ると、最安でも20個3480円。
今回頼んだカキは20個以上入って、2000円。
どうしてかなあ、と思っていると、この事業には水産省の補助事業資金が投入されているようだ。
道理で安いわけだ。

しかし、その補助事業が2月25日で打ち切られるため、同25日22時をもって、販売終了とある。

今がラストチャンスです。
海の幸がお好きな方は、ぜひ申し込みになったほうがいいと思います。

【締め切りました】

さくら咲く ~ 嘉門達夫 

2016年07月30日 | 日常雑感
替え歌メドレーで有名な嘉門達夫は、イロモノっぽく見られることの多いシンガーだが、バラードには驚くほどよい曲がある。
「さくら咲く」もそのひとつ。
この歌を初めて聴いたのは、名古屋の栄歌フェスタだった。
たしか二年前だ。
そのとき、私自身も自分の「さくら」を咲かせたいと思った。
それから二年。
やっと、自分の「さくら」を咲かせることができた。
具体的な報告は後日になるが、スタートラインに立つことができた。
これからは、いままでにもまして精進しなければならないと、気を引き締めているところだ。


嘉門達夫「さくら咲く」


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戦争資料館・愛知県~ピースあいち

2014年07月29日 | 日常雑感
ハーグ条約という戦争に関する国際条約がある。
この法律について知ったのは、愛知県にある「ピースあいち」に行ってからだ。
ハーグ条約では戦争に関する様々な取り決めが行われた。
捕虜に対する処遇などもある。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のマイケル・J・フォックス主演の「カジュアリティーズ」はベトナム戦争時の捕虜にした少女のレイプ問題を扱った映画だった。
マイケルは、レイプという犯罪行為を行った同僚を告発し、結果的には勝利を得る。
反戦映画に違いないのだが、「アメリカにも良心を持った軍人はいる」といった自己主張が見え隠れする。

B29がアメリカからやってきて日本全国を大空襲して行った。
ハーグ条約によると、空襲していいのは軍事基地および、軍事工場のみである。
東京に続き、名古屋も大空襲にあっている。
その際に名古屋城も炎上している。
名古屋城のすぐ近くに軍事工場はあったのか?
爆撃は三菱重工業の大幸工場を狙ったものとされるが、あまりにも広範囲にも及んでいる。

ハーグ条約からみると、アメリカ軍の空襲のほとんどが国際法違反だ。
捕虜のレイプを取り上げても、空襲違反を取り上げる映画はない。
地上何千キロだか知らないが、空の上の飛行機からでは原爆を落としたとしても、地上の悲鳴も、横たわる死体も目にしない。
考えてみれば、戦争になって国際法を守っている国などない。
違反しても裁く機関がないからだ。

何回も言っているように、幕末における幕府と西軍の戦いの中で正義はない。
国同士の間の戦争にあっても、正義などない。
自分の主張が通らなかったら、殴っても奪う。
それが戦争だ。

話がだいぶ脱線したが、「ピースあいち」の建設は当初、官主体で行われた。
長い話し合いのうち、官が提出したのは、おなじみの「資金不足」である。
ここで救世主が登場する。
加藤たづさん。
当時、80歳代だったたづさんは、土地と1億円の資金を寄付している。
ありあまっていたお金ではない。
あくまでも、有志の意見に賛同した上での振る舞いだった。

保守的とか、大企業的とか、なにかにしろ言われがちな名古屋だが、民意主導というのは、隠れた美徳に違いない。



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足を洗う

2014年05月27日 | 日常雑感
足を洗う。
もとは仏教用語だったそうだが、通常は悪い生業を辞めるときに使う。
今ではネガティブな意味合いは薄れ、趣味などをやめるときも使う。
卒業、といった意味に似ている。
出会いと別れの季節でもある春を過ぎ、季節はそろそろ初夏へと向かう。
ぷららもブログから足を洗うらしい。
これを機にプロバイダを変更したいところだが、メールアドレスというのは意外なくらい色んなところに登録していていて、なかなか足抜けできない。
それなりに永く生きて来ると、実生活もしがらみができるもので、すぐには環境を変化させられない。
でも取捨選択していかなければいけない時期なのも確かなんだよなあ。



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キンケイソウに学ぶ

2014年05月25日 | 日常雑感
1月末、3月末と作品を仕上げて、4月に落ち着いたと思った途端、気が抜けたようになって、文のほうもちらほらとしか書いていなかった。
4月はGWもあり、完全に開店休業の状態。
5月になっても状態はもどらず、相変わらず低空飛行。

季節はいつの間にか春が終わり掛けている。
この時季、車で走っていると道端にコスモスにも似た黄色い花をよく見かける。
キンケイソウという外来種らしいが、繁殖力が強く、いたるところに群生している。
誰が植えた訳ではないし、誰が水を与えてくれる訳でもないのに、文句も言わずにたくましく生きている姿は感動的ですらある。

今の環境がどうだとか、人間関係が複雑だとか、ついつい愚痴や恨み節を口にしてしまう人間と比較するにつけ、何も言わず咲いている花に何か教えられたような気がする。

そろそろ、再び走り始めよう、っと。



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男子ハーフパイプ~青野令選手

2014年02月11日 | 日常雑感
本日、2月11日、男子ハーフパイプに青野令選手が登場する。
オリンピック行きが決まったのが、1月20日だから、直前まで決まっていなかったことになる。
1月19日、カナダケベックでのワールドカップ優勝による選出である。
早々と出場が決まって調整期間の長い種目もあるなかで、20日かそこらでの調整というのはどうなのだろうか。

前回のバンクーバーオリンピックでは総合9位。
おしくも入賞に届かなかった。
実はわたしは前回、青野選手に応援コメントを送った。
そうしたら、丁寧に返信のコメントをくれた。
何百ものコメントがあったのに、青野選手は丁寧に返信していたのである。
非常に真面目な性格だ。

今回は、バンクーバーのうっ憤を晴らして、ぜひ上位に食い込んでほしいものだ。
その青野選手が、自らのブログに書いている。

日本チーム最高です!!!
今回優勝して久々に君が代聞いて俺は改めて日本人やって思ったし日本人で良かった!!!


前述のワールドカップ優勝のときのコメントだ。
今回はオリンピックで君が代だ!

青野令選手ブログ

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年始あいさつ

2014年01月01日 | 日常雑感
明けましておめでとうございます。
このブログを読ん頂いたすべての方にとって、今年がいい年になるように願います。
自分にとっても、ホップステップ、そしてジャンプの年であるようにと決意しています。
この前、弊小説に書きました。

「力なき正義は戯言に過ぎない。正義なき力は自分を滅ぼす」

または、

「小利口な者であるより、大馬鹿者でいたい」

と。

時間は有限。
その中で、何をするかは自分の意思に依る。
可能性を追い求めるのも人生。
まどろみの中で生きるのも人生。
どちらかに優位性はない。

生きるとは、各人の価値観。
自分は自分が選んだ価値観の中で頑張りたい。

人生って思い通りにならない。
ちょっとづつ、自分の思った通りにならない。
それでもいいのだ、と思う心、言い換えれば、切り替える心が大事のように思う。
ちょっとづつ、思い通りにならない人生。
けれども、ちょっとづつはうまく行っている。

上手く行っていない部分を見るか。
上手く行っている部分を見るか。

頑張ろう。

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年末あいさつ

2013年12月31日 | 日常雑感
年末も押し迫り、あと数時間を残すのみとなった。
月並みな表現だけれども、早いものだ。
今年達成できたこと。
できなかったこと。
圧倒的にできなかったことのほうが多かった。
毎年の懺悔になってしまうのだけれど、時間は有限。
来年こそは、飛躍の年にしたい。
皆様にとっても、来る年がいい年でありますように。

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文章について気になっていること

2013年11月08日 | 日常雑感
鍵を忘れたことに気づいたので取りに帰ったとする。
取りに帰ったのは太郎という人物で、取りに帰ると遅刻しそうだ、との細かい設定を加えることにしてみる。
シンプルに書くならば、

①-1 太郎は鍵を忘れたので、遅刻しそうだったが取りに帰った。

となる。
太郎の位置を変えることも可能で、

①-2 遅刻しそうだったが、太郎は鍵を忘れたので取りに帰った。
①-3 遅刻しそうだったが、鍵を忘れたので太郎は取りに帰った。

①-3は、文の最後まで読まなければ、誰が遅刻しそうだったのか、誰が鍵を忘れたのか、分からない。
悪文である。
①-2の書き方は、書くほうからすれば自由だが、読む側からすると、分かり難い。
①-1の文自体、平易な表現だが、「忘れた」「遅刻する」「取りに帰った」と三つの動詞が混在している。
複雑な構成だ。
マニュアル書の文体が読みにくいのは、構造が複雑な文章がびっちりと並べられているせいである。

①をもっとすっきり書くなら、

②-1 太郎は遅刻しそうだったが、忘れた鍵を取りに帰った。

と書ける。
①からすると、格段に読みやすい。

だが、この文章において太郎の位置は、

②-2 遅刻しそうだったが、太郎は忘れた鍵を取りに帰った。
②-3 遅刻しそうだったが、忘れた鍵を太郎は取りに帰った。

と変えられる。
②-2はいいとしても、②-3となると、読みにくいこんな文を書く人間は相当なひねくれ者だ。

ぶつぶつと短く切ることもできる。安っぽいハードボイルド作家がよく使いそうな文体だ。

③-1 太郎は鍵を忘れた。遅刻しそうだった。それでも取りに帰った。

この場合、文は時系列的に並べる必要がある。
「太郎は遅刻しそうだった。鍵を忘れた。取りに帰った」では、文脈が成り立たない。
敢えて試みるならば、「遅刻しそうだった。急ぎ足で歩く中、鍵を忘れたことに気付いた。慌てて取りに帰った」とでもなるのだろうか。
短く区切ることによりテンポアップを図ったつもりが、却って間延びしてしまう。

では、2センテンスではどうだろうか?

④-1 太郎は鍵を忘れた。遅刻しそうだったが、取りに帰った。
④-2 太郎は遅刻しそうだった。それでも忘れた鍵を取りに帰った。

分かりやすいほかに、①-1と決定的に違う点がある。
④では、文中にニュアンスの違いを含めることができる点だ。
④-1よりも④-2のほうが、鍵の重要性が高まる。
「それでも」という接続詞を使っているのが大きい。
この接続詞は、①の文例だと、①-2、①-3に持ってくることが可能である。
「遅刻しそうだったが、それでも太郎は鍵を忘れたので取りに帰った」
可能であるが、いい文章とは思わない。②だと
「遅刻しそうだったが、それでも太郎は忘れた鍵を取りに帰った」
少しはましだが、どうしてそこまでして文を繋げなければならないのか、と感じる。

③の場合は、④-1のニュアンスを伝えることが困難だ。

結論的なものを導き出すとすれば、1センテンスの中には、あまり多くの情報を盛り込まないほうがいい。
文章がねじれがちになり、読者が混乱しやすい。
それに、細かいニュアンスが伝わらない。
分かりにくい文章は問題外だが、分かりやすければいい文章と、小説の文章は違う。
特別の制約がない限り、私であれば冒頭の忘れた鍵を取りに帰るという動作には④の文章を使う。

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雑感

2013年06月19日 | 日常雑感
大学生の頃、イカ天という番組があった。
「イカすバンド天国」という番組で、アマチュアバンドがプロになる登竜門だった。
出身者で今でも第一線にいるバンドとしては、BIGINがいる。
あの頃は都内にも数多くのライブハウスがあり、一回でも出演した経験にあるバンドは「セミプロ」と名乗っていた。
そして、口あるごとには「音楽でメシを食う」「夢は武道館」「完全プロ志向」という言葉を並べていた。
今で言うクラブ、昔のディスコの二次会に行くと、男のほとんどがバンドをやっており、チケット即売会と化していた。
その中には、後日、実際にプロになった者もいた。
しかし、今ではプロとして残っている者はいない。
一方では武道館にも行き、今も活動している者もいる。
後者は、飲み会でぐだぐだと夢を語っていなかった人たちである。
彼らは、飲み会で夢を語るよりも、その間、練習をしたり、演奏に工夫を加えていた。
ストイックだったのではないと思う。
単にだらだらと飲んでいる暇があったら、練習をしたかったのだと思う。
たまに飲み会に行ってもプロ志向などという話題は自らはしなかった。
飲みに行く時間を惜しんで練習をした、と言う点がポイントではなく、「プロになる」ということを飲み屋での話題にするのを恥じたというところだと思う。
女の子にもてたくて、バンドを志した者も多かったし、ナンパの手段として、セミプロという名称を使う人間も多かった。
その類の人間は、女の子にもてたところで、プロになる目的が半ば達成され、モチベーションが落ちてしまった。
プロを目指した動機なんて、どうでもいいことなのだが、目的と手段がごっちゃになったということだ。
アマチュアとプロの差というのは、天と地ほどもあるのかというと、そんなことはなくて、ほんの紙一重の場合が多い。
本当は、プロとセミプロなんて言葉もなくて、「食べていける人」と「その他の人」しかない。
今、自分もそうとう煮詰まっているけど、ブログでぐだぐだ書いている暇はないのかも知れない。
とにかく、頑張るのみだ。

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