木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

無礼者! ホントの切り捨て御免②

2007年11月26日 | 武士道の話
上記の設問で、注目すべきは、三人を裁く者がそれぞれ違うということである。

留吉・・・町人・・・・町奉行
前川吉衛門・・・大番方与力・・・老中
吉田吉之丞・・・島津藩士・・・島津藩主

三人三様であるから、それぞれの裁きの結果が他の者に影響を与えることが考えられる。
吉田吉之丞は、行きずりの武士でしかないのであるが、この場合のように他の武士から助けを求められれば、援助する必要があった。この場合は、その用をなさなかったばかりか、町人に転ばされて、周囲の失笑を買っている。所属しているのが九州の剛、島津家であることを考え併せると、切腹は免れないのではないだろうか。
その際、町奉行に対して、留吉の身柄を島津藩に差し出すよう要求を出すと思うが、町奉行ではその要求に応じるわけがない。結局、留吉に対しては、適した罪科を見つけることができず、軽い罪で済んでしまう可能性が濃厚である。
前川吉衛門に対する刑は、判断が分かれるところだが、吉田吉之丞に対する求刑に影響を受けるところが大きいと思う。
本件では、吉田吉之丞が切腹申しつけられたのであるから、前川にも同様な刑が申しつけられると考えられる。この場合だと、武士二人が腹を切っているのであるから、留吉にも極刑が言い渡される可能性が出てくる。どちらにしろ、無礼討ちは、その場において可能であり、侮辱を受けた武士が一回屋敷に帰ってから、思い直して無礼討ちを敢行するなどということはできない。③などは問題外である。
武士の面目を失った二人は、軽い刑で済むことはないが、一人が閉門であれば、もう一人も閉門で済む可能性もある。その場合だと、留吉に対しては、適した罪科を見つけることができず、軽い罪で済んでしまう可能性もないことはない。結局、天国か地獄かのどちらかであろう。




無礼者! ホントの切り捨て御免①

2007年11月15日 | 江戸の話
以下の文を読んで、設問に答えなさい。

今に地名を残す日本橋十軒町。季節になると雛人形、雛が終わると武者人形の市が立ち、通りは買い物客で賑やかになる。今年の春は、寛政の改革で大きな人形は見ることができなくなったが、人出は減ることがない。
棒手振りの留吉は、今年五歳になる一人娘のためにひな人形を見に来ている。
「こんなに高えんじゃ、手がでねえなあ」
しかし、出るのは溜息ばかりである。ぼうっとして歩いていると、留吉は、何者かにぶつかった。
「危ねえじゃねえか」
相手をろくろく見ることもせずに、啖呵を切った留吉であったが、相手が悪かった。
「無礼な奴だ」
声高に言った相手は、中年の武家、前川吉衛門であったからである。
普段だったら、素直に謝るはずの留吉であったが、今日は虫の居所が悪い。
「てやんでぇ。そちらこそ、どこを見ている」
伝法調で続けて、啖呵を切ったから堪らない。
いくら武士の立場が失墜しているとはいえ、公衆の面前で、武士を罵倒する暴挙に出たのである。
「こやつ、無礼討ちにしてくれる」
吉衛門は腰の物を抜くと、斬りかかった。
「なにしやがる」
留吉は、やけのやんぱち、手にしていた棒で、武家の足をしたたかに叩いた。
その拍子に、吉衛門は仮店の雛人形を巻き込みながら、転倒した。
「待て」
「嫌なこった」
留吉は、後は逃げの一手である。
「誰かそやつを止めてくれ」
吉衛門は転びながらも、大音声で叫んだ。
「心得た」
逃げる留吉の前に、島津藩士、吉田吉之丞が立ちはだかった。
「待たれい」
吉田は、威厳のある声を出して、留吉の前を遮ったが、
「これが、待っていられるか、ってんだ」
そう叫んで、天秤棒を振り回すと、吉之丞まで、転ばされてしまった。
町人から、失笑が漏れる。
痛む足を庇いながら、立ち上がった吉衛門に、店の者が声を掛ける。
「あのこんなときに、何でございますが、この壊れてしまった雛人形、弁償して頂けないでしょうか」
「なに」
吉衛門は腹を立てたが、店の者の言うのも、もっともである。
「うむ、分かった。わしは、大番方与力、前川吉衛門と申す者。きっと払って進ぜよう」
そう言ったものの、収まらないのは、あの町人風情である。
「誰か、あの町人を見知った者はいないか」
吉衛門が声を掛けると、
「あいつは、鎌倉河岸に住んでいる留吉って者です」
通行人の中かから、返事があった。
「鎌倉河岸の留吉か。憎い奴だ」
吉衛門は、憎悪に燃える目で、虚空を睨んだ


問1.この後、留吉はどうなったと思いますか?
   ①町奉行所に連行され、極刑言い渡される。
   ②町奉行所に連行されるが、比較的、軽い罰で済む。
   ③前川によって、無礼討ちを敢行される。
   ④まったく、お咎めなし。

問2.この後、前川吉衛門は、どうなったと思いますか?
   ①まったく、お咎めなし。
   ②切腹。
   ③閉門。
   ④軽い叱責を受ける。

問3.この後、吉田吉之丞は、どうなったと思いますか?
   ①まったくお咎めなし。
   ②切腹。
   ③閉門。
   ④軽い叱責を受ける。

回答は、この次のブログにて。







由美かおるの入浴シーンって?

2007年11月09日 | 江戸の風俗
TVドラマ「水戸黄門」では、由美かおるの入浴シーンが人気と聞く。なぜだか、ゆったりとひとりで入っていることが多いのだが、水道もガスもなかった江戸時代、風呂を焚くというのは、大変なことであった。十辺舎一九の「東海道五三次」では、風呂桶の底から直接火をかける五右衛門風呂への入り方が分からなくて、右往左往する場面があるが、実際は湧いた湯を風呂桶に移すことが多かったようである。その風呂桶というのは、一人はいれば一杯になってしまうほどのもので、今の感覚からすると驚くほど小さいものである。二川本陣資料館の展示によると、本陣の湯殿は湧いた湯を入れる方式であったが、一般客が泊まる旅籠「清明屋」の湯殿は直接焚く方式であったとある。
どちらにせよ、湯量の心配のない温泉場でない限り、由美かおるのような入浴シーンが見られるゆったりとした風呂はなかったのが一般的である。
しかし、由美かおるの入浴シーンに時代考証は、余計なことかも知れない。
ちなみに、二川本陣資料館では、旅籠の一般的な夕食の献立が模型で展示されている。
写真を見れば分かるように、焼き魚、野菜煮、沢庵、みそ汁と、あまり白くないご飯といったごくシンプルなものである。当時の旅籠の夕食は、一汁二菜か、一汁三菜が多く、食事は銘々膳に乗せて持ってくる。この頃は、一般家庭でも出先でも、ちゃぶ台のように乗せて食事を摂る習慣ははなかったのである。今見ると、安い定食屋のメニューのようであるが、江戸時代においては、これでもご馳走であったのだろう。

実際は、風呂はこのような小さなものだった。


手前左にあるのがご飯。地方の多くは、江戸のような白い搗き米ではなかった。
二川本陣資料館HP


↓ よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ