木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

鈴虫

2012年09月25日 | 昆虫

8月から鈴虫を飼っている。

家の近くで「カンパの上、ご自由にお持ち帰りください」と貼り札がしてあったので、300円入れて持って帰った。

(貼り紙には丁寧にもカンパの額は200円くらい、と書いてあったから)

虫の声を聴くのは日本人独特と言われ、アメリカ人は虫の声を聞き分けられない、と言う。

まあこれは「聞き分けられない」のではなく、「聞き分けようとしない」だけなのだと思う。

ちなみに、英語で鈴虫は一般的にはcricket。

こおろぎと同じである。

じゃあ、どうしてもコオロギとスズムシを言い分けたいアメリカ人はどうするかというと、Homoeogryllus japonicusなどという難しい学名を言わなければならない。

なんだか気になって「アリとキリギリス」は英語で何というのか調べてみると、「The Grasshopper and the Ant」。

キリギリスは、grasshopper katydid、あるいは単にgrasshopper。

grassは草で、hopperはホップ、ステップ、ジャンプのホップでぴょんぴょん飛ぶこと。

後ろについているキティちゃんみたいな単語は、コオロギのバッタの仲間のような意味らしい。

話は段々それていくが、英語でセミを表す単語はcicada(読みは死刑だ、いや、シケイダ)らしいが、友人のハワイ人にセミを英語で何というか聞いたら知らなかった。理由は「いないから」。

イソップ寓話の「アリとキリギリス」は当初「アリとセミ」だった。

セミはギリシャにはいたが、アルプスまで来ると、読む人が「セミって何だ?」ということになったので、「アリとキリギリス」になったということだ。

脱線してとりとめがなくなったが、そろそろ秋の夜長がやってくる。

久しぶりに本棚からイソップ物語でも取り出してみよう。

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蹴伸び

2012年09月15日 | 水泳(フォーム)
壁を蹴って行う「蹴伸び」の練習が効果的であるとは聞いていたが、あまりに単調なので敬遠していた。
そんな折、衝撃を受けたHPを発見。
高橋大和さんの「大和部屋」である。
あまり人には教えてたくないような優れたHPで、目から鱗が落ちるとはこのことか、と何度思ったか。
特に伏し浮きについては、自らの経験を交えて詳細に解説しておられる。



この解説をもとに、泳ぐ前のアップとして時間がないときでも10分は蹴伸びの練習を行うようになった。
練習の方法としては、最初に蹴伸びでセンターラインを目指し、残りを床を蹴って進む。3回で着くのが目標だ。
初心者コースで後続者の有無に気を使いながら泳ぐようにした。
あまり特異なことをしてクラブから睨まれたくないからだ。
この進みがひとつのバロメーターにもなって、その日のコンディションが分かる。

最初は7mくらいしか進まなかったが、次第に距離が伸びていく。
2、3ヶ月くらいかかったが、調子のいいときはセンターラインの12.5mを超えられるようになった。
明らかにカイゼンされたが、肝心の泳ぎにどう反映されたかよく分からない。
相変わらずタイムも遅いままである。

大和部屋HP

スイミングクラブ変遷4

2012年09月11日 | 水泳(所感)
水泳は泳がなくなると、再び泳ぐのがおっくうになるもので、Tスイミングクラブを退会した後はまたもやブランクが続く。
そんなある日。
健康保険組合のチケットを利用すると、会社の前にあるセントラルフィットネスクラブが1回1,000円で利用できると言う。
月4回までしか使用できないのだが、月4回行けば十分だろうという目論見で通い始める。
最初のうちは冬季でもあり、あまり行かなかったのだが、暖かくなるにつれて行く回数が増加。
4回までは1,050円の利用料で、それ以上は一回1,500円になるのだが、週二回くらい行くようになってしまい、正会員のほうが安いという事態に。
さっそく正会員に転向。
春から夏に向かうところだったので季節もよく、毎日のように通うようになった。
ひどいとき(?)には、昼の休憩時間に泳いだときもある。

ただ金曜日が定休日なのは不満。
休みの前日、だらだらと泳ぐのが好きな私にとって金曜日に泳げないのは痛い。
結局、金曜日は健康保険組合のチケットを使ってセントラルの他店舗に行くようになった(もちろん、有料)。

この時点で25mダッシュで20秒をやっと切るくらい。
500mくらい連続で泳ごうとすると、25mで30秒近いラップタイムを刻む。
果たして、こんなタイムで、今後カイゼンできるのかと不安が募る。






スイミングクラブ変遷3

2012年09月11日 | 水泳(所感)
名古屋に引っ越してからしばらくして家の近くにあるTスイミングクラブに通い始めた。
ここは子供もスイミングに入っていたので三人が通うことになる。
ジュニアに比べて成人クラスはとても人が少ない。
歩行用に開放されている1コースにはそれなりに人がいるのだが、スイム用の2コースにはほとんど誰もいない。
スイム用のコースに自分のほかに人がいたのは、ほんの数回しかなかった。
残った3コースでは選手クラスの子供たちがバンバン泳いでいる。
シーズンになると無人の成人用スイムコースは1コースとなり、4コースをトビウオが泳ぐ。
その隣を泳ぐというのは精神上、あまり愉快ではない。
おまけに夜は8時30分までという勤め人にとって過酷な営業時間で、急いで帰ってご飯も食べずに泳ぐという感じだった。
パドルでもフィンでも何でも使い放題だったのはいいのだけれど、それでなくても孤独な「泳ぐ」という作業がさらに寂しく感じるクラブだった。
しかも7時30分を過ぎると受け付けもいなくなってしまい、文字通り誰とも一言も話さないときが多々あった。

一度だけ、クラブ対抗の試合に駆り出されたことがある。
引率のコーチは子供が同じ小学校に通う父親同士であったが、それまでほとんど口を利いたこともなく、バスの中でも終始無言。
試合になると、突如として大声で声援をしてきてくれたのだが、かえって戸惑ってしまった。
クラブ対抗のメドレーリレーも行ったのだが、このときばかりは速い選手が集まっていて、クロールを泳いだ自分が足を引っ張ってしまった。
そのうちの誰一人、普段は見たことがない。
コーチだったのか、助っ人だったのか。

月曜から土曜まで夜間はいつでも行っていい設定で、6,800円。
リーズナブルな設定だが結局月3回くらいしか行かない月が続き、退会。
何年か通っていたのに、退会の際も「ああ、そうですか」みたいな対応で寂しかったのを覚えている。

近くに大型スポーツ施設ができたせいか、成人にはまったくといっていいほど力を入れていないクラブだった。



スイミングクラブ変遷2

2012年09月08日 | 水泳(所感)
次に通い出したのが西宮のイトマンスイミングクラブだった。

西宮イトマンは、とにかくコーチ陣が優秀で、泳ぐプログラムも適切。
少し距離を泳いでからドリル練習、それからまた距離を泳ぐ、という感じだった。
今は違うようだが、昔のイトマンではコーチを忘年会や暑気払いに招いてドンチャン騒いでいた。
とにかくここでの日々は楽しく、水泳に取り組むきっかけとなったクラブである。

エピソードにはことかかないが、いくつか思い出したところを書いてみる。

①酔マー
その人はコーチに怒られていた。何を怒られていたのかと思うと、なんと飲酒して泳いでいたのである。しかも匂うほど。背泳ぎだったのでばれたのだけれど、飲んでからあのプログラムをこなすとは、なかなかのつわものである。

②キャバクラ
一時かなり派手な二人組の女性が通っていたことがある。その頃の飲み会。二人組も参加していたのだが、その時のおじさんが呟いた台詞。
「キャバクラより楽しい」

③足ペシペシ
泳ぐ人との間隔が5秒だと、前の人に追い付いてしまうこともある。その場合は、さりげなくペースを落とすのが普通なのだが、そのオジサンは前の人の足をペシペシと叩く。そんなに速いのなら前を泳げばいいのだが、後ろについて、またペシペシ。叩かれたほうは精神衛生上、よろしくない。

④サークル
先頭を泳いでいるとき、タイムサークルを間違えて5秒早く出てしまった。二番目を泳いでいたN野さん。
「自分、いい加減にせえよ」
休憩時間を減らされて、真剣に怒っていた。
だから、先頭は泳ぎたくないんだよなあ。

⑤インタビュー
大会の帰り。すごい記録を出したT田さんに、酔っ払った私は阪神電鉄の中でスピードの秘訣を聞いた。
飲み会の後で、酩酊していた私は忘れてはいけないと思って、電車の中でビデオカメラを撮り始めた。
真面目なT田さんはビデオを回されていても答えていてくれたっけ。


スイミングクラブ変遷1

2012年09月07日 | 水泳(所感)
個人的な回顧録っぽくなるが、大阪に転勤になった当時、最初に通ったのが、住んでいた天満に近いSスイミングスクールであった。

このスイミングの特徴は60分のレッスンのうち、20分くらいがストレッチに費やされる点である。
Tシャツと短パンを履いて、別室でみっちりとストレッチを行ったうえで、初めてプールに入ることができる。
今でこそコアトレーニングの重要性が叫ばれるようになったが、10年も前に全体で延々とストレッチを行うのは苦痛だった。

もうひとつこのクラブで面白かったのは、進級試験がある点である。
ジュニアのコースには進級試験というのは付き物だが、このSスイミングスクールでは成人クラスにも適用されていた。
どのようにクラス分けされていたか忘れてしまったが、コーチに「進級試験を受けたい人はいますか?」と聞かれ、希望者は泳いでみせ、合否をコーチが判断するという形だった。

いい大人が衆人注目の下、泳がされれるのはなかなかシュールな光景であった。
何だかんだと半年くらいは通ったような気がするが、自然と足が遠のき、フェイドアウトするように辞めてしまった。