木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

七里の渡し・桑名編

2009年02月18日 | 江戸の交通
東海道で宮から桑名へ行くには海上便が使われた。
この経緯については、以前にも書いたが、このルートだと関ヶ原を通らない。
参勤交代の外様大名が関ヶ原を通らないように、このようなルートにしたという説があるが、信憑性がある。

このルートで私が勘違いしていたことがある。
舟は名古屋港の岸からさほど遠くないところを通る。「渡し」という語感からは川を想像させるが、名古屋港を通るという先入観があるから、舟は港から港へ行ったのだと思っていた。今で言う「クルーズ」という趣き。
だが、現地に行ってみると、どちらも川から発着することが分かる。
宮の方は、堀川であり、桑名側は揖斐川である。
桑名の渡し跡に立っても、海は見えない。
今は大層のんびりした場所で、側を通る道路に車さえ通らなければ、まったく物音もしない不思議な空間である。
昭和34年の伊勢湾台風以来、七里の渡しと川の間には堤防ができたため、景観はすっかり変わってしまったと言う。
もちろん、今では港としての機能も全くない。
この場所に鳥居があるのは、伊勢神宮の一の鳥居である。桑名は、もう伊勢神宮の入り口であった。
旅人はこの鳥居を見て、旅情を高ぶらせたであろう。
同じく、この地にあったのが、蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)である。
これは、交通安全の意味合いもあったのだろうが、七里の渡しのシンボル的存在であった。
今でも夜にライトアップされたこの櫓は見応えがある。
その後、この藩が、幕末に佐幕派として凄惨な目に遭うとは、江戸時代の旅人も誰も思わなかったに違いない。


今でも威風がある伊勢神宮の一の鳥居

カップルがまったりとした時間を過ごしていた。

蟠龍櫓。時間帯によっては、中に入ることができる。

櫓の二階に登り、揖斐川を眺めた。

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2 コメント

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Unknown (hide-san)
2009-02-21 10:50:21
東海道は箱根より先(京都方面)を歩いたことがありませんが、宮から桑名への渡しは、随分昔が残っていますね。私は大学卒業するまで名古屋の中村に住んでいました。日吉丸が産湯を使った井戸がある寺院の南50mほどのところでした。
ばん龍櫓は一度中に入ってみたいですね。
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Unknown (木村謙之介)
2009-02-22 17:22:30
コメントありがとうございます。名古屋は適度に田舎で、戦災を逃れた場所には驚くくらい「江戸」が残っている場所がまだたくさんあります。中村のほうも、昔が色濃く残っている場所ですね。今度、日吉丸の井戸を探索に行ってきます。
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