庭にはうっすらと雪が積もっていました。この時間は風花が舞っています。今日はタカ長の休養日ですから、炬燵番をしながら過ごすことにします。

絵に描いたような親孝行はしなかった。しかし、見捨てるようなこともしなかった。親子喧嘩ばかりしていたが、そのような生活を続けていると、その想い出は爽やかなのである。
と言うような文章を曾野綾子の本で読んだ記憶があるのですが、引用するために探したら見つかりません。タカ長も同じような想い出を持っているので原文を紹介したかったのですが、残念ながら出来ません。

タカ長も同じようなことをしていました。口の悪かった母親との口喧嘩は日常茶飯事、ではなくて、「食前食後」の感じでした。しかし、母を見捨てるようなことはしなかったし、そのようなことを冗談にも言ったことはありません。
母親の最晩年、2ヶ月の入院期間中は毎日病院通い。その頃は口喧嘩するほどの元気がないためか、子どもの頃のような優しい母親になり、息子のタカ長は体をさすってやりながら色々なことを話していました。

食前食後に口喧嘩していても、見捨てるようなことはしていないので心に傷はないのでしょう。
母親が亡くなって10年が過ぎましたが、今でも爽やか気持ちであの頃を思い出すことができます。

絵に描いたような親孝行はしなかった。しかし、見捨てるようなこともしなかった。親子喧嘩ばかりしていたが、そのような生活を続けていると、その想い出は爽やかなのである。
と言うような文章を曾野綾子の本で読んだ記憶があるのですが、引用するために探したら見つかりません。タカ長も同じような想い出を持っているので原文を紹介したかったのですが、残念ながら出来ません。

タカ長も同じようなことをしていました。口の悪かった母親との口喧嘩は日常茶飯事、ではなくて、「食前食後」の感じでした。しかし、母を見捨てるようなことはしなかったし、そのようなことを冗談にも言ったことはありません。
母親の最晩年、2ヶ月の入院期間中は毎日病院通い。その頃は口喧嘩するほどの元気がないためか、子どもの頃のような優しい母親になり、息子のタカ長は体をさすってやりながら色々なことを話していました。

食前食後に口喧嘩していても、見捨てるようなことはしていないので心に傷はないのでしょう。
母親が亡くなって10年が過ぎましたが、今でも爽やか気持ちであの頃を思い出すことができます。