タカ長の山ときどきタカ見

「タカ長のタカの渡り観察」の別室です。八十路の坂を登りながら更新してゆくつもりです。

雑学の愉しみ

2023-01-18 07:49:07 | 日々雑感
タカ長は読書家です、と言うのはウソですが、本は好きです。まわりにはいつも何冊かの本を置いています。それらの本をチョイ読み。

「ネットサーフィン」と言う言葉がありますが、その言い方をすればタカ長は「ブックサーフィン」をしていることになりそうです。そこで何かを仕入れて楽しんでいます。

    
              船通山山頂

鉄ほど、人類に深くむすびついた金属もない。(略)鉄は、スキやクワに使われることによって、社会の容量を大きくしたのである。(司馬遼太郎)

この指摘は素人でも何となく理解できます。司馬遼太郎が書いているのは和鉄、たたら製鉄のことです。

タタラ山は各地にありますが、タカ長に身近なのは中国地方、なかでも島根県の山です。

    
                カタクリの時期の船通山山頂

出雲神楽の華、八岐大蛇は鳥上山(船通山)の砂鉄業者のことだそうです。スサノオノミコトがその八岐大蛇を退治し、尾から「草薙の剣」を手にします。言うまでもなく、「草薙の剣」は日本刀、その日本刀はたたら製鉄で作られる玉鋼がないと出来ません。

その玉鋼を作るのがたたら製鉄。大量の木炭を使い、それで1500℃に保って砂鉄から鉄を取り出します。そのたたら製鉄のリーダーが「村下(むらげ)」と言われる人。村下は炉の「ほど」と言われる穴から炎の色を見て炉内の温度を見ました。

送風機など無い時代、炉内に風を送るための装置が「天秤ふいご」で、そのふいごを踏む者を「番子」と言います。3昼夜を交代で動かし続ける過酷な労働で、これが「代わり番子」の語源になりました。

    

村下は長年の仕事の職業病として目をやられる。同様に番子には足を痛める人が出てくる。一つ目小僧とか一本足の唐傘の妖怪は、この職業病の投影だと言うことです。

    
                  三ヶ上山頂部

    
                   三ヶ上のカツラの巨木


そのたたら製鉄をもたらした金屋子神は白鷺に乗って桂の木に下りた、と言う伝説から、彼らは金屋子神を祀り、そこに桂の木を植えたと聞いたことがあります。

島根県の鳥上山(船通山)には「竹崎のカツラ」と言う、国の天然記念物になっているカツラの巨木があります。しかし、残念ながらタカ長はそのカツラを見ていません。

仲間たちと登ったことのある岡山県の三ヶ上(1035.1m)のふもとにもカツラの巨木があり、これは見たことがあります。

    
                 石見冠山中腹の看板

島根県の石見冠山の中腹にはたたら跡があり、今でも普通にその残滓を拾うことが出来ます。

「ひょっとすると、中国山脈そのものが製鉄所だったのではないかと思うようになった」
と司馬遼太郎が書き残しています。

タカ長たちが普通に歩く山が、昔の製鉄所跡だと考えると、山の見方も少し変わるような気がします。

    
                 石見冠山山頂部

そのようなことを知っても何の役にも立ちませんが、「代わり番子」の語源や妖怪の生まれた背景を知ると、何かしらチョッと得をした気分になります。

まさに、雑学の愉しみですね。


今日は休養日、何を仕入れようかなぁ、、、、、、、。




コメント
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