タカ長の山ときどきタカ見

「タカ長のタカの渡り観察」の別室です。八十路の坂を登りながら更新してゆくつもりです。

楽勝の山???

2021-12-15 07:33:01 | 山歩きから
昨日登った犬伏山のことです。

これまでに下見登山、そして仲間たちとの登山と2回登っていますが、その時の印象は、、、、、

このような山に二度と来るかと言うものでした。そのように印象が悪かったのは、コースのほとんどを笹が覆っており、藪漕ぎ気分で歩かされたからです。

下見登山の時はまったく様子が分からなくて、遠くの赤いテープを探し探し登る状態でした。そのため犬伏山の印象は極端に悪かったのですが、里山キングパート2を完遂するためにどうしても登らないといけない山になったのです。

同じ行くなら落葉期、好天をねらって行くことにしたのが昨日の犬伏山です。その犬伏山2018年5月1日の画像をまず紹介します。

    

    

登山道に入るといきなり笹の中を歩かされました。このあたりは笹の背が低くて助かりました。

    

三瓶山展望地に行っても空気がもやっていて肝心の山を見ることが出来ませんでした。

    

    

それからも笹の中の踏み跡を探しながら歩く感じでした。楽に歩けたのは落葉樹の森の中だけ、と言う感じでした。

そのように印象の良くない犬伏山ですが、、、、、昨日は、、、、、

    

    

最初から笹が刈られていました。

いい仕事をしているなぁ、、、、、と言う刈り方ではありませんが、、前回とは雲泥の差、文句は言えません。

    

    

三瓶山展望地へのルートは少し茂っていましたが、問題になるほどではありません。

    

今回は三瓶山がハッキリ見えました。これだけ見えれば5分間の寄り道も気になりません。

    

    

その先も笹は刈られていました。

     

     

これだけ刈って下さったのなら関係者にお礼を言わないといけない、、、、、と話しながら登って行くと、、、、

山頂直前で径が見えなくなり、そのさき何十メートルかは前回のようにテープを探しながら歩くことになりました。

おいおい、何じゃ、これ。草刈り機の燃料がここで無くなったのかぁ、、、、、。

などと冗談を言っていたら、、、、、

    

突然山頂に出ました。展望も何もない平凡な山頂です。

この山頂で里山キングの証拠写真を撮ってから昼食。ここで携帯から投稿してすぐに下山開始。

    

下山路の笹は茂っていましたが、このコースも刈られていました。

この下りは急坂、滑りやすい黒土のところ、そして岩の上を歩くところもあるのでカメラは封印、足元に集中して下りました。

    

林道近くまで下りるとカメラを出しましたが、まだ安心は出来ません。写真より安全第一です。

    

    

林道に下りればその後は楽勝。このような道をダラダラと歩くだけです。

    

注意して歩いたので3名とも転倒ナシ。速くは歩けませんが、マイペースならまだまだ歩ける高齢登山者です。

    

    

この軌跡を時計回りに歩きました。

高度表示は左から右へ、この表示のような逆落としではありませんが、イメージ的にはこのように急な下りです。

印象の悪かった犬伏山も笹が刈られることによって良くなりましたが、高齢になるとこの下りは避けた方が良いのかも分かりませんね。

犬伏山の笹を刈って下さった関係者の皆様にお礼を申し上げます。有難うございました。



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犬伏山

2021-12-14 11:37:04 | 日々雑感



後輩君たちと広島県安芸高田市の犬伏山に来ました。

途中の展望地から見る三瓶山が最高です。

絶好の登山日和です。


    

帰宅して写真を1枚追加です。

遠くに見えているのが山陰の名峰三瓶山です。

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新しい展望地

2021-12-13 13:42:45 | 山歩きから
    

独りで中国自然歩道を歩きました。

独りの時はついつい長女に話しかけています。これも仕方ないことなのでしょうね。

    

いつものように歩いて高圧線の下まで来ると、灌木の向こうに伐採したあとが見えてきました。

    

高圧線と関係あるのかどうか分かりませんが、かなり広範囲に伐られていました。

360度の展望、と言うわけではありませんが、オーシャンビューの風景です。

    

    

人さまに誇れるような風景ではありませんが、展望地の少ないわが裏山ではこの風景は貴重です。

この時間は曇り空だったので写真は少ししか撮りませんでしたが、いつもの道から30メートルばかり横にそれるだけでこの景色が見られるのですから、新しい休憩地としても良さそうです。

新しいカフェをオープン出来るかも分かりません。

    

遠くに山陽自動車を見ながらコーヒータイムを楽しむのも良さそうです。

予期しないかたちで出現した展望地、これから何度も行くことになりそうです。

    

明日も山予定があるので、今日は稜線に登りませんでした。

電力会社が鉄塔のまわりを伐っているようなので、71番鉄塔のまわりも気になるのですが、そちらのほうは後日行くことにします。

今日はコースもスピードも平凡なものになったようです。


    
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これだけは捨てられない

2021-12-12 08:20:00 | 日々雑感
昨日は終活に夢中になり(?)ブログを更新する時間が取れませんでした。

と言っても終活作業は遅々として進みません。文書などもたくさん処分しましたが、その文書などをついつい読んでしまうからです。

山歩きの関係やタカの渡りに関する資料も思い切って処分しましたが、、、、、、

このファイルだけは捨てることが出来ません。

    

2007年3月にマレーシアで行ったプレゼンの原稿です。

その時マレーシアの高級リゾートホテルで行われる、マレーシアネイチャー協会主催のイベントに行くと先方に伝えたら、タカ長たちの渡り観察についてプレゼンするよう頼まれたのです。

頼まれたら嫌と言わないことにしているタカ長、自分の英語能力も考えないで快諾。

当日はリゾートホテルの立派な会場で、多くの人を前に30分間のプレゼンをしました。もちろん英語でのプレゼンです。

その時の英文原稿。これを読んだだけのプレゼンですが、書きこみや息継ぎするところに斜線を入れているこの原稿は捨てられません。

    

    

これはハチクマの渡り方向と風向きを話した部分。

ハチクマやハイタカの渡りだけでなく、渡りの時にハチクマが使うエネルギー効率などにも触れた、中身の濃いプレゼンなのです。

もちろんそのようなプレゼンがタカ長ひとりの力で出来るわけもなく、仲間たちとの考察なども取り入れ、その頃のタカ長たちの到達点を示すプレゼンだったのです。

    

タカ長にとっては一世一代の晴れ姿だったのですが、そのプレゼンを会場で見ていたタカカノや友だちはタカ長に見とれて、、、、、、、いやいや、本当は心配でタカ長の晴れ姿を写真に撮った人は一人もいませんでした。残念。

英文はイギリス人の鳥友にチェックしてもらったので、現地の人にも通じたようです。主催者の事務局の人が、タカ長のプレゼンを聞きながらパソコンのキーボードを叩いていたのを鮮明に記憶しています。

    

タカ長にとっては捨てられないファイルですが、タカ長が持っていても仕方ないので北九州市の鳥友(弟子?)にもらってもらうつもりです。

このような状況ですから終活も進みませんね。(涙)



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こよなく晴れた青空

2021-12-10 08:39:51 | 長女のこと
タカ長が使っている安物のスマートウォッチの記録がどの程度のものか分かりませんが、このところ気にしているのが「睡眠スコア」です。

95以上が珍しくなかった数字が、長女の死で57に急落しました。それから数字は回復して80台になりましたが、90の壁を越えられませんでした。

    

長女が亡くなってウジャウジャした生活をしているのではありません。そのことをあれこれ考えて眠れない、と言うことも無いのですが、睡眠スコアは上がりませんでした。

12月8日になって初めて92、これから90台連発だと思ったら89に落ち、昨夜は90に回復しました。この数字に執着しているわけではありません。ゲーム感覚で見ているだけですが、90以上の日はロングコースを歩けるような気がしています。

    

前置き長くなりましたが、今日の本題です。

長女の病状が厳しい状況になったころ初めて分かったことがあります。

サトウハチロー作詞、古関裕而作曲長崎のの冒頭の歌詞のことです。

こよなく晴れた青空を   悲しと思う切なさよ

    

タカ長は鼻歌程度しか歌いませんから、これまでこの歌を何度も歌っていてもその意味を深く考えたことはありません。何も考えないで歌っていました。

長女の病状が悪くなり、病院から出られなくなったとき、、、、、、

あの子はこの青空を二度と見ることが出来ないのだ、と言う思いが唐突に心に浮かびました。

こよなく晴れた青空を   悲しと思う切なさよ

青空を悲しと思う

あの時は、青空を見ながら涙腺がゆるんできました。

    

青空のある天気は山屋がルンルンになる天気です。そこに「悲しい」と言う言葉が入る余地はありません。長女のことがあって初めてあの歌の意味が分かったような気がします。

言うまでもないことですが、この歌は愛妻を長崎の原爆で失った永井隆博士の経験がベースになっています。それを一言で書いたサトウハチローもすごい作詞家ですね。


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