高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

新潟 島倉堂

2008年09月15日 09時15分00秒 | 職人仲間

14日、クルムの「よさこい踊り」の会場回りの合間に少し時間があった。新潟には、いつも日本橋三越の職人展で一緒になる、新潟銅器の島倉さんの工房があるのを思い出し尋ねてみた。突然の訪問であるが、気持ちよく迎えて頂き感謝である。彼の人柄が、遠慮なく尋ねさせてくれるのだろう。

新潟市から車で30分ほど行った所に工房がある。新潟と言えば米どころ。行けども行けども回りには田んぼが続く。道も高速道路と平行して、大きな広いフリーウェイが走っている。これはきっと田中角栄の頃の遺産であろう。

燕市の中心から少し行った所に「島倉堂」の工場が見えてきた。いつも笑顔の島倉君が迎えてくれた。工場に案内してもらい、少しお話を。ちょうど今、年末の日本橋三越に持っていく作品を制作している所であった。平ペッタイ一枚の銅版を叩き出して急須やカップ、茶筒、etc……。

後から、お見えになったお父さんが島倉君と一緒に工場を案内してくれる。038 裸一貫でこの島倉堂を立ち上げた創業者である。いろんな道具を説明してくれるのにも、すべてに思い入れがあるのだろう、お話しがどんどん熱を帯びていく。私が驚いかされたのは、大きな旋盤が3台も並んでいた。この機械は鉄を削る機械で、銅器を作るのには使用しない。銅を叩く時の治具(型の様な物)を作る機械なのだ。島倉さんの所では、金槌から、木槌、受け型などすべての道具を作るそうだ。無数の冶具が所狭しと並んでいる。壁に掛かった姿は圧巻である。工場の半分くらいは道具を作る機械や作業場である。それほど、一つ一つが特殊など道具で、もう鍛冶屋さん達も作らなくなってしまった物ばかりなのだ。

お話をしていると、同じ創業者としての共通点が見えてくる。創業当時の事をお聞きすると、業種は違えど、随分「一緒だ!」とうなずく所がありました。

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041忙しい中、島倉君が絞りの技術を見せてくれた。これは叩き出すので無く、鉄のへら?棒の様なもので回転させた板に圧力を加え整形していく技術である。見ている間に、平らな板が急須の蓋へと変わっていく。すばらしい技術ですな。

日本橋でもいつもまじめな島倉君は朝から晩まで、会場でも銅を叩き続けている。決して気負った所は微塵もなく、淡々と仕事をこなして行くのである。

突然の訪問で、手土産も持たずにお邪魔したのにも関わらず、本当に気持ちよく迎えて下さりありがとうございました。いつも、工房見学を受け付けるばかりだったので、今回の様な他の工場の見学は大変参考になり勉強になりました。お父さんいろんなお話ありがとうございました。 

竹工房オンセ

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