自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
哲学・ビジネス・雑記・洒落物など等

子供が殺されたので子供を殺す

2009-08-28 23:08:58 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

映画『ガンジー』の一場面。

回教徒に子供を殺されて、ヒンズーの男性は、回教徒の子供を殺す。

男はいう。

おれはどうせ地獄行きだが、あんたを助けたい(ガンジーは戦争を止めるため、死の断食中)。

そのパンを食え。

ガンジーは言う。

地獄行きかは神が決める。

唯一救われる道がある。

子供を拾え。母親と父親が殺された子供を。

自分の子供として育てるのだ。

回教徒の子供でないとだめだ。

回教徒の子供を回教徒として育てなさい、と。

ライフ誌の取材のためか、マーガレット・バークホワイトが晩年のガンジーを取材したようだが、彼女の眼にはファインダー越しのガンジーがどう写ったのだろうか。


非武装という名の武装

2009-08-28 01:23:32 | 歴史・思想・哲学

差別を含む暴力に対し、

非暴力という名の抵抗が有効であることはガンジーが過去に証明してみせた。

文字通り、命をかけての真理の追求であったのだが。

日本も、この方法にかけてみるというのも有効な選択肢の一つではないだろうか。

具体的な一例では、北朝鮮の脅威に対して、非暴力的な態度を貫くのだ。何があっても。その時、建前であってはならない。ガンジーの非暴力は建前ではない。本質である。だから彼は真理という表現を取っているのだ私は思う。

人間は、時にいくらでも狡猾になれると思うが、その同一人物の中には、人を思いやる気持ち、つまりは優しさも同時に存在するのだ。

ごく少数だが、狡猾さしか持ち合わせていない人間もいるかもしれないが、その人達さえも窮地に追い込むほどの覚悟が必要なのだ。