12月9日愛知県立芸術劇場コンサートホールに名古屋フィルハーモニー交響楽団第518回定期演奏会を聴きに行く。
指揮は沼尻竜典さん
最初に演奏されたのはベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番
ピアノは清水和音さん。
この曲は第一楽章はピアノがこの楽章全体を支配するリズムで和音を印象的に奏でる開始の仕方になっている。
たぶん 和音さんは椅子に座って一呼吸置かれてから演奏を始められるのでは と思っていたら 僕の感覚から見ると もうステージにすたすたと歩いて出てきて そのまんまの勢いで演奏を始められるという印象だった。
できれば 曲の最初は 演奏者の動きに注目したいと思っていたのだけれど 僕が注目する前にもう演奏が始まっているという感じだった。
その始まり方に接して 若いころの清水和音さんが テレビで 女性アナウンサーに 「大勢の人が聴いているコンサートホールで ステージに出ていくときは怖くないですか」と問われ 「そりゃ怖いですよ」と答えれらたときのことを思い出した。
それで女性アナウンサーが和音さんに「怖いときはどうするんですか」と尋ねると、和音さんは「そりゃ もう 怖いまま出ていくんですよ」と答えられた。
まだ 和音さんがデビュー間もないころの僕の記憶だけれど もう そのまんま という和音さんの回答に なんか 感じのよさそうな人 と思った。
そして 「怖いときは怖いまま出ていく」 という若き日の清水和音さんの言葉はなぜか僕の心の中に格言のように箴言のように刻まれている。
実践できているかどうかとなると 話は別だけれど、、、。
演奏は どんな演奏と言葉で形容するには もうコンサートの日から 日数が経過して記憶が薄れてしまっている。
ただ 第三楽章で ビオラがこの楽章の主要テーマを滑らかに奏でる場面があるのだけれど そこで ビオラに対してチェロが一人だけで合いの手を入れているのが印象的だった。
このテーマをビオラが滑らかに奏でる場面は僕は昔から好きなのだけれど そこに チェロがあんな風に絡んでいるというのは 生演奏で ステージを見ながら聴くことで初めて気づいた。
その他にもチェロが一人だけ奏でるという場面か第三楽章には かなりあって ピアノとチェロの掛け合いも僕にとってはとても興味深く感じられた。
やはり 中学生くらいのころからレコードで聴いている曲でも生演奏で聴いてみて改めて気づくことが多いなと感じる。
アンコールで和音さんはショパンの「英雄ポロネーズ」を演奏してくださった。
これも、さあアンコールですよ という感じではなく 和音さんはトコトコとステージのわきから出てきて 椅子に座って すぐに弾き出す という感じだった。
曲の中間で、ウィキペディアの楽曲解説に「トリオではホ長調に転調し、左手のオクターヴ連打の上にメロディーが現れる」と書いてある場面がある。
和音さんの演奏は この連打がとても執拗で 聴きながら 例えばショスタコーヴィチの交響曲第7番の第一楽章で ラヴェルのボレロのように 同じメロディーを執拗に繰り返す場面などを 思い浮かべた。
なんだか あの 執拗さには 「負けてたまるか」というような感じが出ているように僕には思えた。
考えてみれば 今 紛争が続いている ロシア ウクライナの すぐ近くにショパンの故国ポーランドはあるんだな とそんなことを演奏を聴きながら考えていた。
20分の休憩をはさんで
次に演奏されたのはシュミットの交響曲第2番
これはたぶん 録音 ライブ通じて 僕にとっては初めて聴く曲だ。
なので 記憶に残っていることは少ない。
ただ、第二楽章の冒頭から出てくる 木管のコラール風の旋律を聴きながら ブラームス交響曲第3番の第三楽章の冒頭で出てくるやはり 木管のコラール風の旋律がどこか心の中でかぶってきて なんともしみじみとした気分になった。
あと どの楽章か忘れてしまったけれど 弦楽器の音が細かく動くところで チャイコフスキーの弦楽セレナードを思い浮かべながら聴いていた場面があった。
初めて聴く曲に接すると どうも 過去に自分がきいた曲を思い浮かべてしまう傾向が最近の僕にはあるようだ。
歳をとった証拠だとは思うのだけれど。
今年最後の定期演奏会だったけれど 特に清水和音さんのピアノを聴けたことが僕にとってはうれしかった。
それはともかく いちにち いちにち 無事でありますように それを第一に願っていきたい。