ケンのブログ

日々の雑感や日記

ミニコンサート

2023年01月16日 | 音楽
1月15日は 県庁のある街に プロのコントラバス奏者の演奏を聴きに行った。

ジャズトリオでのコントラバスならば大阪のロイヤルホースや ミスターケリーズで聴いたことがあるけれど クラシックのコントラバスを生で聴くのは生まれて初めて。

僕が聴いた ジャズのコントラバスは 指ではじくものだったので 本当に弓で弾くコントラバスを聴くのは 初めてだ。

この歳になっても生まれて初めてっていろいろあるんだなと思う。

というか いくつになっても 新しい 一日はすべて 生まれて初めてだけれど、、、。


若い 女性の コントラバス奏者と 男性のピアノ伴奏者だった。

最初に
グリーンスリーブスの主題による変奏曲 クヌートギュットラー

が演奏される。

沈んだ気持ちの時にグリーンスリーブスのテーマはいいなと思う。

これは 無伴奏での演奏だったので 変奏の途中で つい バッハの無伴奏チェロを連想してしまったりした。

次にブラームスの5つの歌 作品105

プログラムノートを読むと歌曲からの編曲であるらしい。

そのノートには 詩の内容もかかれているけれど コントラバスで旋律だけを聴いていると なんというか ブラームスの室内楽で よく 聴かれるような 慈しみに満ち溢れているなと思う場面があった。


それから クーセヴィツキーの 小さなワルツが演奏される。

ちょっと陰鬱なワルツだなと思った。

ロシアだし。 ※ 悪い意味でロシアと言っているわけではないです。

それから カプリッチョ ディ ブラブーラという曲が演奏された。

ええ カプリッチョって食べもの屋の名まえちゃうの とか
ブラブーラってなんやの? と他ごとを考えてしまって 演奏の印象を忘れてしまった。

それから ロベルトシューマンの アダージョとアレグロ作品70が演奏された。

もともとは ホルンとピアノのための作品とプログラムノートに書いてある。

ゆったりしたところを聴いていると 一曲目に聴いたブラームスと響きが似てるなと思ったり。

でも だんだん 音楽が進むと やっぱり シューマンはいろいろと 飛んでいくなと思った。

それから 一曲演奏されたけれど これも 印象は忘れてしまった。

たぶん 演奏中にほかごとを考えていたのだろう。


最後にヒンデミットの コントラバスとピアノのためのソナタが演奏された。

あ ヒンデミットって数日前に ユーチューブで 別の曲を聴いたな と思う。

最初のアレグロが始まってピアノが鳴り出すと なんとなく ショスタコーヴィチの24の前奏曲とフーガを思い浮かべてしまった。

要するに 演奏を聴いていて他ごとを考えているのには変わりないやん ということかもしれない。

コントラバスがぐっと 突っ込んできたりすると いやあ これも ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲に似てるかも と思ったり。

頭が連想のお花畑になってしまった。

その他にも ジャズとか 要するに20世紀の音楽が いろいろと 心に 交錯して 家に帰ってから ヒンデミットの生年 没年を見ると 1895から1963 となっていて すこしだけ安心した。

アンコールに リヒャルトシュトラウスをしてくださったけれど 曲の名まえは忘れてしまった。

コンサート全体を通して やはり コントラバスは 弦楽器では もっとも 音が低いので その コントラバスが 低音をぐっと 出すと 耳から 背中のあたりに ゾクっとくることが 何度かあった。

これが 弦楽器の 最低音か と思った。

演奏を終えた後で コントラバスの方が ちょっと トークをされた。

おかげさまで 無事に終わりました と言った後 
無事かどうかまだわかりませんが と付け加えたり。

ちょっと 面白トークだった。

でも 無事に終わったと思っていても 確かに 後日に なにか 発生と言うこともあるから 面白トークと言うより 謙虚な 方なのかなと思った。

トークの中で 彼女は ピアニストのことを ○○君と 君づけで 呼んでおられた。

それを 聴いて いやあ 女性に人前で 君づけで呼んでもらえるなんて ピアノの方 役得だなと思ってしまった。

考えてみれば 僕も 学生の頃は 女性から 君づけでよばれていたけれど 学生が おわったら 君づけで 呼ばれたことは ちょっと記憶にない。

二人とも お若くて うらやましいな と思った。

映画 男はつらいよの どの回だったか忘れたけれど
寅さんが「君たち 若者がうらやましいよ」という言葉を発したことを懐かしく思い出した。

楽器の演奏が すばらしいことは 若いということよりももっと うらやましいけれど。

でも コントラバスの方の トークは ピアノの伴奏のおかげでできたと 文字通りそのようにおっしゃっていたわけではないけれど とても ピアニストの方に 感謝の意を表するようなトークで トークを聴いていて いい 気持ちになってきた。

こういう ミニコンサートも 東海地方に転居してから初めてだけれど 本当にいいものだなと思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事にすぎますように それを 第一に願っていきたい。













野球殿堂

2023年01月15日 | 日記歌入り
1月14日付の読売新聞にアレックス ラミレス氏と ランディバース氏 そして古関裕而氏の3人が野球殿堂入りをされたと出ている。

その3人の顔写真が新聞に立て並びに出ているけれど 3人とも優しそうな顔だなと思う

アレックスラミレスさんは ヤクルトスワローズに現役選手として在籍しておられたとき 背広を着た球団の偉い人(たぶん球団社長とかだと思う)がテレビカメラの前で「それでは 今年のラミレス選手の パフォーマンスを発表します」と言い その横にいたラミレス選手が やはり カメラの前で 「ラミちゃんカチカチ」ってパフォーマンスをやりだしたことを とてもよく覚えている。

小林亜星さんが作詞作曲した 「酒は大関心意気」というコマーシャルソングに 「夢は人には見せぬもの 勝負するときゃ バカになれ それでいいのだ 男なら 酒は大関心意気」という一節があるけれど 本当に あの時は バカになれる ラミレスさんは男だなと僕は思った。

でも 実際には バカではないことは 落合博満さんもよく語っておられた。

ラミレスさんは 状況に合わせた バッティングのできる人だと。

たしか そんなことを語っておられたと記憶している。

ようするに バカになることと バカとは ちょっと違うということなのだと思う。

あほになることと あほも ちょっと違うと思うけれど。

バースさんに関しては いろいろ想い出がある。

大阪で たまたま 行ったメガネ店のご主人が 草野球の審判をしておられる方で 「息子と一緒に甲子園に行った日に バックスクリーン三連発が出たんですよ」と僕におっしゃった。

それで 記憶力のいい僕は その瞬間に 「掛布 バース 岡田ですね」と言ったら メガネ屋のご主人が ニコッとしてくださったことが 僕にはとてもうれしい出来事だった。

バースが三冠王を取った年 そして阪神が日本一になった年に 甲子園の場内インタビューで アナウンサーが 「みんな 神様 仏様 バース様と言ってますが どうですか」とバースさんに質問したら 通訳の人は 訳すのに困ってしまって 「オー ゴッド オー バース とみんな言っていますが どうですか」と急場をしのいでいたことをとてもなつかしく 思い出す。

そういう場面でも 急場をしのぐ実力があるから 甲子園のような大舞台で通訳ができるのだな と感心すると同時に 「神様と 仏さまを 一列に並べるなんて 日本人独特の感覚で アメリカの人にわかるはずがない あほな質問するな」と心の中でアナウンサーに突っ込みを入れながらテレビを見ていたことをとても懐かしく思い出す。

お寺の中に鳥居がある という風景を当たり前とまでは行かなくとも たまには 見ている日本人は つい 神様 仏様 とやってしまうのだと思う。

でも そういう質問にも 誠実に答える バースさんの姿勢が こういう 殿堂入りと言う結果につながったような気がする。

古関裕而さんは 高校野球の応援歌 「栄冠は君に輝く」そして巨人の応援歌「闘魂込めて」そして阪神の「六甲おろし」など野球ファンになじみの深い歌を作っておられることなどが評価されたという。

確か 大阪音大の先生が 市民講座で 「古関裕而さんは阪神の応援歌 六甲おろしを作ってるから 阪神の味方や思ったら大間違いでっせ ちゃっかり 巨人の応援歌も作ってまっせ」と言って 会場の笑いを取っておられたことを懐かしく思い出す。

しかし その 音大の先生は また 「古関裕而さんの 長崎の鐘 これは 私たち日本人が 絶対に忘れたらあかん歌です」とも言っておられた。

その言葉を 僕は 心の中に とても 大切に しまっている。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを 第一に願っていきたい。

■氷の世界
井上陽水さんの「氷の世界」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

覚悟はできている

2023年01月09日 | 日記歌入り
柚月裕子さん小説を読んでいたら こんな 言葉が出てきた。

「あなたになかったものは自信ではありません」
「あなたになかったものは覚悟です」
「誰だって自信などありません。勝つか負けるか 成功するか失敗するか。その狭間でいつだって人間は悩んでいます。ただ、負けたときの覚悟があるのとないのとでは その後の人生が全く違います」と。
※ISBN978-4-06-519065-4 70ページより引用

覚悟って久しく聞いたことのない言葉だなと思った。

そして 大切な言葉だと。

あらかじめ 予測されるリスクに対して それを回避するように手を打っておく というのが今の時代の風潮だと思う。

そういう時代にあって 覚悟と言う言葉は ほんとうに 久しく 忘れていた言葉だなと思った。

でも 大切な 言葉だと。

もちろん リスクに対する 手を打つことは 大切だけれど 覚悟がなければ 進めないということが 人生には いくらでも あると思う。

ところで その 覚悟と言う言葉の意味なのだけれど ネットの辞書には次のように書いてある。

“”覚悟=危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること。“”

リスクを回避することも大切だけれど リスクを 受け止める心構え(覚悟)も あれば より 心強い ということになるのだと思う。

ところで 中村元訳のブッダの言葉には次のように書いてある。

「勝利からはうらみが起こる。敗れた人は苦しんで臥(ふ)す。勝敗を捨てて安らぎに帰した人は、安楽に臥(ふ)す」と。
※岩波文庫 ISBN4-00-333021-8 より引用

柚月さんの小説には 負けたときの覚悟が大切 という主旨のセリフが出てくるけれど ブッダの考えだと そもそも 勝敗を捨てる となっているのだから もう ここまでいけば 実質 無の境地だな とは 思う。

そうは なれないから いろいろ しんどいと 思うけれど そうなれたら いいな とは思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを 第一に願っていきたい。

■ルビーの指環
寺尾聡さんの「ルビーの指環」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

リリース当初は 「こんなお経みたいな歌 売れるわけがない」という声が石原プロモーション内にあったそうです。

結果は 大ヒット。 シンコペーションを多用したリズムがよかったのだと思います。

これが ヒットしていたころ 石原裕次郎さんが 体調をこわしていて 寺尾聡さんが そのことを 気にしながら テレビの歌番組で この歌を 歌われたことが 妙に僕の記憶に残っています。

↓寺尾聡さんの「ルビーの指環」をカラオケDAMの音源で歌いました。







お正月の心象

2023年01月08日 | 日記
年末は クリスマスソングがいたるところで流れていた。

例年 立冬 つまり 11月8日前後からぼちぼちクリスマスソングが流れ始め 12月24日または25日まで流れている という 感じだ。

今年も 大体 そんな感じだった。

僕が見た(聴いた)範囲では12月25日は 一部 クリスマスソングが流れているお店もあった。

これも 僕の 感覚的なもので 多分に主観が入っているかもしれないけれど クリスマスソングも 最初のころは ポップス系の 元気で商品の購買意欲を盛り上げるような音楽 そして 12月24日が近づくにつれて 敬虔なトラディショナルソングの比率が多くなってくる という感じだった。

あくまで 感覚的なものなので 違っているかもしれないし 少なくとも 科学的ではない気がするけれど、、、。

そして 年が明けると どうだったかというと 僕の場合は モーツァルトをお店のBGMで耳にすることが多かった。

モーツァルトは コンサートなどで真剣に聴くと 一見明るそうでも 影の差す 音楽が多いけれど BGMとしてイージーに聴いていると 軽快で 明るい感じ 希望をもたらすような 感じに 聴こえることが多いので きっと 年明けのBGMに選らばれることが多いのだと思う。

あるお店で モーツァルトのホルン協奏曲がかかっていて やはり モーツァルトのホルン協奏曲のキラキラしたホルンの響きは 新年に ふさわしいな と思って聴いていた。

ところが 僕は ホルン協奏曲は 交響曲ほど 頻繁に 聞かないし CDで聴いていると 4曲入っているCDが 順繰りに曲を送っていくので そもそも どの曲が第何番かを知らない。

お店でBGMが流れているのを聴いて うーん ホルン協奏曲と言うことはわかるけれど 第何番かは わからないな と 思っていた。

ある お店では モーツァルトのピアノ協奏曲らしきものが流れていた。

ところが たまたま 僕が聴いた部分は 深い 響きのある個所で 「ええ? この 重々しくて厳かな感じは ベートーヴェンのピアノソナタか いや ちがうなあ モーツァルトか いや わからん」と思っているうちに 演奏が 第二楽章の 印象的なメロディにまで 進み 「ああ ピアノ協奏曲第26番 戴冠式だ」と思った。

それで そのことが とても 気になって 家に帰ってきて ウィキペディアで モーツァルトのピアノ協奏曲 第26番を 調べてみると この曲は モーツァルトが ピアノの左手のかなりの部分を作曲していない ということが 書いてあった。

そうか 左手部分は モーツァルトが 作曲していないから ピアニストが どのように左手を 演奏するかで ベートーヴェンのように聴こえたりする可能性もあるのかもしれない と自分で勝手に想像した。

そんな想像をしていたら 昨年読んだ あるブログにも モーツァルトの第26番は 彼が作曲していない部分もかなりある という主旨のことが書いてあったな ということを思い出した。

こういう 記憶の連鎖反応が 僕の場合 おこりやすいなあと思った。

でも 記憶の連鎖反応って 誰にでもあると 思う。

ある女性が 「あの人は 一度 嫌なことを 思い出すと あの時もこうやった その時も こうやった と次々 嫌なことを思い出して いつまでも 文句が続くから かなわん」とおっしゃっていたことを 思い出すけれど こういうのも 一度思い出すと 次々と関連して思い出すという 記憶の連鎖反応なのだと思う。

なるべく 負の連鎖反応は やめて えんえんと きりなく 文句をいうということは慎みたいな とは 思うのだけれど、、、。

年始のモーツァルトのBGMに話を戻すと ある 家具の量販店でモーツァルトのピアノソナタが かかっていて これは すぐに モーツァルトのピアノソナタとわかったけれど さて 一体 第何番なのか 思い出せないというか そもそも 知らない というもどかしさを 味わった。

そんなことを 考えていたら 昔読んだ 村上春樹さんの小説で 主人公がモーツァルトの「フィガロの結婚序曲」を口ずさんでいたら 知らぬ間にそれが 「魔笛序曲」に変わってしまい 自分が 「フィガロの結婚序曲」を歌っているのか「魔笛序曲」を歌っているのかわからなくなってしまった という主旨の記述があることを思い出した。

これなども 本当に あるある という話で 面白いなあと思って読んだ記憶がある。

モーツァルトが 同じ素材 あるいは 似たような素材を 微妙に形を変えていろんなところで 使っている という特徴を よくとらえた 村上春樹さんの記述であると個人的には思う。

僕の場合「魔笛序曲」の弦の細かい動きと 交響曲第38番「プラハ」第一楽章の弦の細かい音の動きが 自分の中で ごっちゃになってしまうことが時々ある。

音のパターンが似ていると言えば モーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲K.299」と 「アイネクライネナハトムジークK.525」の冒頭の音のパターンが似ているような気がして 僕はK299を聴くとしばしば アイネクライネナハトムジークが 心の中に浮かんでくる。

どちらの曲の冒頭も その調の 主和音上にある音を うまく使った インパクトが強くて とても基本的なメロディラインになっている。

ことさら 複雑なことをするのではなく むしろ その逆に 基本的な音を 自由自在に駆使する そこに モーツァルトの天才の 本質があると思う。

「基本的な事柄を自由自在に操ることができるのが天才」 と天才の定義を 音楽以外に拡張させてしまっても 構わないとさえ 思ってしまう。

スポーツなどでも 超一流と言われる選手の 話などを聴いていると 基礎練習を徹底的にする という 人は多いし、、、。

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一月二日と三日の両日の夜に ちょっと お店に行きたくなり ネットで検索してみると イオンなど郊外の大型商業施設が なんと23時まで営業していると出ていた。

うーん 一月二日 三日は 人が夜遅くまで動くのか とそれを見て思った。
これは 東海地方の特徴なのか それとも 関西でも そうだったのか 今となっては 思い出せない。

そもそも 関西にいる頃は 郊外型の大型商業施設に行くということ あまり なかったので、、、。

茨木のイオンには 時々 行って フードコートで ねばって 本を読んだりしていたけれど 年末年始に行ったことはないし、、、。

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自動車も 普段に比べて あらゆる人が 道に繰り出すので いろいろと クラクションを鳴らされたり 普段と勝手が違うことが多かったなと思う。

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僕の実家は いろいろな方が ヘルプに来てくださって 正月の飾りなども その方々のヘルプのおかげさまによるところが 多い。

それで 正月のお飾りは いつまでにするのか ということになると めいめいの 感覚が ばらばらに なってしまい 必ずしも一致していない ということを 体験した。

僕も そういうことに関する知識が それほどあるわけではない。

ただ 関西で僕がよく行っていた お宮は 二つとも 1月15日くらいに 境内で お炊き上げがあって その日は 宮司さんも装束を着ておられるので まあ 1月15日くらいまでは 少なくとも 神社は 正月 という雰囲気だった。

それで いわゆる お飾りを飾る期間 つまり 松の内は いつまでか と言うことをネットで調べてみると 関東は1月7日まで 関西は1月15日まで と書いてあるサイトが複数あったけれど なぜか 東海地方は何日までと書いてない。

それで 検索語に 名古屋 を付け加えて 調べてみると 名古屋は基本的に関東に合わせることが多いけれど 松の内の考え方は 名古屋圏内でも地域によって まちまち とうことが 書いてあるサイトがあった。

それで こちらは かなり 人によって感覚が ばらばらに なるのかとも思った。

というか そもそも 僕と同じか 僕より若い世代は 松の内 ということを あまり 意識しなくなってきているのだとも思う。

たまたま 行った お店でも 店主と お客さんが 「鏡餅はいつまで飾っておくんや」という話をしていて ああでもない こうでもない まあ こんな感じか ということで 確たる自信を持っている人が あまり いない様子だった。

「近くの氏神様に行って 聞いたらいいやん」と口をはさみたくなったけれど 余計なことは言わない方が 「さわらぬ神にたたりなし」ということで 黙っていた。

それは ともかく 一日 いちにち 無事にすごせますように それを 第一に願っていきたい。