ケンのブログ

日々の雑感や日記

名古屋フィルハーモニーを聴きに行く

2023年01月22日 | 音楽
1月21日 初大師の日だなと思う。

名古屋フィルハーモニーの定期演奏会を聴きに行く。

指揮は ロベルト フォレス ベレスさん

最初にシベリウスの交響詩タピオラ 作品112が演奏される。

初めて聴く曲。

透明感があり スーッとした 感じのところは 僕が知っている曲では シベリウスの交響曲6番を思わせるようだった。

最近 目の前で演奏されている音楽から 自分が 過去に聴いた音楽を連想するくせになってしまっている。

シベリウスは いつ聴いても 心が落ち着くな と思う。

先月もシベリウスの 交響曲第5番が演奏されたけれど 1月21日の方が 僕の感覚としては オーケストラ全体の音に伸びがあるように思えた。

僕は 演奏を聴くときに 若いころは 指揮者ばかり見ていたけれど 最近は 指揮者はほとんど見ないで オーケストラの奏者の方をあちこち 見る癖になってしまった。

ただ、 ちょっと 指揮者に 目をやった瞬間に ああ、 オーケストラをスッと ドライブするのが うまい 指揮者だなと思った。

次に演奏されたのが 藤倉大の三味線協奏曲
三味線独奏は本條秀慈郎さん。

現代音楽なのだけれど オーケストラの 奏でる和声が 聴き覚えのある 響きのものが 結構多く たいくつすることなく 聴くことができた。

三味線の 独奏 たぶん カデンツァと言うのだとおもうけれど 

その 独奏の部分は 聴いていて 面白かった。

津軽三味線など 日本の伝統的な三味線の典型的な音階を思わせる部分や 西洋音楽の典型的な音階を思わせる部分が 行ったり来たりする 感じで とても 興味深く聴くことができた。

本條秀慈郎さんはアンコールもしてくださった。

曲の名まえはわからないけれど アンコールでは 三味線を弾きながら 歌を歌われる部分があった。

その歌声は 例えば 僕が 三味線に乗ってくる歌声として聴き覚えのある 郡上節の歌声 とも違うし 西洋音楽の テノールや バリトンとも違う感覚のものだった。

ちょっと 聴いたことのないタイプの 不思議な感じの歌声で とても 引きこまれるものがあった。

最後に ニールセンの交響曲第四番が演奏された 

ニールセンとプログラムに書いてあるのを見て もう10年以上 前の話だと思うけれど 池辺晋一郎さんが NHKの放送で 「アンデルセン ニールセン デンマークは センのつくひとが 多いです」と言って “”親父ギャグが決まったぜ“”という感じで すこし にやけておられたことを思い出した。

曲は 四部に分かれるとプログラムに記してあったけれど いわゆる 楽章間の休憩と言うものはなくて 四部が連続で演奏された。

また 曲に いろんな 場面があり そういう意味では 交響曲と言うよりは 交響詩に近いのかな と思って聴いていた。

ショスタコーヴィチを連想してしまうような 不安に満ちた場面もあり そういう不安と言うのは20世紀の音楽のひとつの 特色なのかなとも思った。

プログラムに記された作曲年代を見ると1914年から1916年となっている。

第一次世界大戦が 1914年から1918年だから 作曲年代が 第一次世界大戦と まるまるかぶっている。

音楽に 何とも言えない不安な部分があるのと 作曲年代とは きっと 連動していると思う。

というか 連動しないはずはないように思う。

曲の 前半から 中盤くらいのところで クラリネットとファゴットを中心に そこから フルート オーボエが加わってくる 教会音楽を思わせるような とても美しいコラールがあった。

きいていて 心が 落ち着いてくる 気がした。

不安があるかと思うと このように 安堵の気持ちになれるところもあり 割と集中して演奏を聴くことができたと思う。

曲の終盤は 左右に配置された ティンパニーがとても迫力があった。

2台のティンパニーがある曲を聴くのは初めてではないけれど 1月21日は その 2台がステージの両端に配置されたので 右と左から 音がセパレートに聴こえてきて なんだか ぞくぞくする 初めての体験だった。

本当に 指揮者の方の ドライブが うまいということが あると 思うけれど どの曲も オーケストラが 生き生きと なっていて よかったなと思う。

外に出ると 風が強かったから 地下鉄に乗ろうかと思ったけれど さっさと歩けば暖かくなるさ と思いなおして 名古屋駅まで歩いてしまった。

歩くたびに すこしずつ 名古屋の街に慣れてくるような気がする。

それは ともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを 第一に願っていきたい。