ケンのブログ

日々の雑感や日記

あれこれ思うこと

2023年03月06日 | 日記
数日前 日経新聞に出ていた大川隆法さんが亡くなられた小さな記事を母は見て 「大川隆法さん亡くなったよ。66歳。今どきの年齢としては若いね。こういう道に生きる人なら もっと長く生きるべきではなかったやろうか。お母さんは85歳。生きた年数としては もう合格やろうか」と言った。

生きた年数と 幸福とは 関係ないとも思うけれど 66歳は早いなとは思う。

と 同時に 自分の85歳と言う年齢を 母は もう ここまで生きた と感じているのだなと思う。

道は違うかもしれないけれど 例えば 音楽を通して 同時代や 後世の人に少なからぬ幸福を与えているモーツァルトの生涯は短かったから やはり 生きた年数では測れないけれど、、、。

モーツァルトと言って思い出したけれど 数カ月前 母と 百貨店の食品売り場を歩いていた時 母が モツァレラチーズのパッケージを見て「モーツァルトかと思ったわ」と言った。

その前の週に モーツァルトという名前のリキュールを買った記憶が残っていて それで 間違えたかもしれないけれど まあ ありがちな間違い。

僕も うなぎの “”ひつまぶし“” のことを 長年 うなぎの “”ひまつぶし“” だと思っていた。

ひまつぶしに うなぎを食べるのかと、、、。

母は 先週 百貨店に行ったときは 「カルピスバター」とだけ書いた メモを僕に見せて 「このバター探してるから 見つけたら教えてね」と言った。

それらしき場所を探していると 「カスピ海ヨーグルト」と書いたパッケージがあった。

モツァレラをモーツァルトと間違えるくらいだから と思いつつ「カルピスってカスピ海の間違いやないか」と僕が言うと「違う カルピスや」と母は言った。

それで 僕が 一生懸命探している間に 母はもう店員さんに「カルピスバターはありますか」と尋ねている。

店員さんより一瞬早く “”カルピス株式会社 バター“”と書いたパッケージを僕は見つけた。

「これかなあ でも メモにはカルピスバターって書いてあるしなあ」と母と話していると店員さんが困ったような顔をしていたので「ああ、もうここから先は 自分たちで考えるので大丈夫です」と僕は店員さんに言った。

店員さんの立場では 「カルピスバターは カルピス株式会社のバターの間違いではないですか」とは言いづらいだろうし、、、。

でも 普段の母の メモの取り方のパターンから判断して カルピスバターは カルピス株式会社のバターと判断して間違いないと思った。

食べるのは母で 僕はバターは食べないから わからないけれど カルピスのバターってなんとなくよさそうな気がする。

そういえば がんの放置療法で有名な 近藤誠さんも 今日 ちょっとしたきっかけで 昨年亡くなられていたこと知った。

大川隆法さんも 近藤誠さんも 本をたくさん出したりして 過剰に忙しくなることでストレスが過度にかかってしまったのではないかと 勝手に想像したりする。

もちろん 寿命は 天から授かったもので 本人が決められることではないけれど、、、。

自分自身も歳を取っていき 親の世代は もっと 歳をとっていて 順番に寿命が終わっていく ということを考えると 僕に限らず 誰でもそうだと思うけれど やはり わびしいなと思う。

できれば 一日でも長く健康で 楽に人生を終わっていければとは思うのだけれど、、、。

それは ともかく 一日 一日 無事でありますように それを第一に願っていきたい。







連絡手段

2023年03月05日 | 日記
昨日 母が 「電話で連絡をしたくて 年賀状を見ても 最近 年賀状に電話番号を書いてないことが多いね。本当に 困ってしまうことがある。世の中 不便になってるんやないやろうか」と言った。

スマホやネットが使えない母にとって 電話ができないということは 本当に不便だろうと思う。

僕も スマホは持っているけれど 母から 電話がかかってきたときは マナーモードにして 元に戻すのを忘れてたとか 僕も もう老眼になっているから 着信ランプが点滅していても 気づかずに終わってしまったとか そういうこともある。

大阪にいる頃は たぶん 会社から携帯電話を持たされている人だと思うのだけれど、ターミナル駅のトイレの個室の中で 電話で話している人もいた。

たぶん トイレに入っていても 仕事関係の電話だと出なければならないとか そういう事情なのだと思う。

話をしている雰囲気で もう やむなく出ている電話だなということがなんとなくわかったりする。

そういうのが いやだから 電話は極力やめて LINEとか メールで連絡を取る人も圧倒的に多いように思う。

僕も 相手に 電話をしても 着歴が相手の電話に残るから もし 相手が電話に出なかった時に 折り返しかかってきたら 今度は こちらが 出られないかもしれない などと思うと つい 電話をかけるのをためらってしまうこともある。

メールも 文を書くのが 苦手な人にとっては それほど 便利ではないだろうし また つたない文章のメールでは 伝達したい内容が よく伝わらないことも多い。

本当に 昔に比べて便利になったのか 不便になったのか わからないな と思う。

昭和の時代に 義理の伯父が 留守番電話をセットした時に その留守電に一番最初にメッセージを入れたのは 僕の祖母だった。

その 祖母のメッセージの内容は 「おらんなら おらんで ええわ ガチャン」だった。」
本当に 昔は いなければ いないでいいと思って逆に気楽に電話がかけられたように思う。

電話をかけて いなければ いないでいい ガチャン とやっていた時代が 今となっては恋しいなと思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。