硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

ぼんやり思う事。

2024-01-08 09:58:34 | 日記
元旦から、心が痛むニュースばかりが伝えられ続けていた。

心痛めた所で、今すぐにはどうすることも出来ない。だからせめて心がくたびれないように共感しないように意識してみるものの、どうしても気になってしまう。

そして、なぜ、そこにいなければならなかったのかを考えてしまう。
偶然なのか必然なのか・・・・・・。

朝、目覚めると、携帯電話の画面で時刻を確認し、暖かい布団を抜け出し、部屋の電灯をともし、暖房をつけ、水道の蛇口をひねり顔を洗う。そんな当たり前の事が、ある日突然できなくなってしまう。

便利であるはずのSNSは、正否の分からない情報で溢れていて頭を悩ませてしまう。

地球は生きていてその断層の上で営んでいることを、忘れてしまっているのに。

そして、事あるごとに諸行は無常なのだと気づかされる。

これは、偶然に生まれたことなのだろうか。それとも必然的なものなのだろうか。

振り返ってみたけれども。

2023-12-31 22:30:05 | 日記
今年も何とか乗り切った。
すべての事が上手くいかない。そんな年だった。
行動と言葉を尽くしても、状況は好転せず、生きる意味を考える日々だった。
生きる事に意味はない。生きていること自体に意味があるのだから。
理屈は分かっているのだけれど、気持ちが付いてこない。
そんな日々だった。

大人になれば、煩わしい事から逃れる事が出来ると思っていたが、いざ大人になってみると、一層煩わしくなってしまっていた。どこで選択を間違えたのだろうかと何度も振り返ってみたが、選択しなかった道を想像すると、今の道が最善だったと思えてくる。
そんな日々だった。

戦争や内戦で苦しんでいる人が沢山いる。その人たちから比べれば、とても幸せである。
幸せであるはずなのに、なぜかもやもやしてしまっている。
それでも、生きていかねばならないと感じるのはなぜだろう。
そんなことを想う日々だった。

きっと、来年も、こんな調子で生きてゆくのだろうと思う。


今年もお付き合いいただきありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

グレート・ジャーニー

2023-12-30 21:30:39 | 日記
職業柄、様々な人に出会う。そして、時頼会話が弾む。
人と話す事はあまり得意ではないけれど、話の波長が合う人とは、楽しい会話になったりもする。
そんな中で、今年、一番印象深く記憶に残った人との対話を細心の注意を払いつつ、ここに留めておこうと思う。

その人は成人女性の既婚者である。しかし、容姿から日本人ではない事は分かったので、「どちらからみえたのですか? 」と問うと「ブラジルです」と穏やかに答えた。
すぐに合点がいったので、会話の続きで「ブラジル人なんですか? 」と問うてみると「ブラジル人ではないです。純粋なブラジル人て、あまりいないんですよ」ときっぱり。

日本から出た事のない者の感覚は、彼女のような人のアイデンティティを推し量る事を怠ってしまう。これは愚門だと気づき、「そうですよね。歴史をさかのぼれば、スペインとポルトガルに侵略されたのですものね」と返事をすると、彼女は向日葵のような笑顔をたたえ自身のルーツを語りだした。

彼女の祖父は黒人で、アフリカからフランスへ移住し、さらにブラジルへ渡ってきたのだという。そして、ブラジルで知り合った女性と結婚。子供を産み育てた。
その子は大人になると、日本から移住してきた人の子供と出会い、結婚。それが彼女のご両親で、彼女が3歳の時、豊かさを求めて先人の伝手を辿って来日したのだという。

その頃の彼女はまだ記憶が鮮明でなく、ブラジルでの生活は全く覚えておらず、大人になってからブラジルを訪れた時には、帰郷というより観光だったといい、生活してゆくなら「やっぱり日本がいい」と言って微笑んだ。

現在の彼女は素敵な日本人の男性と知り合い(初めて出逢った時、「私はこの人と結婚するんだ」と思ったそうである。なんて素敵なエピソードなんだろうと感激した)結婚し、妊娠が分かった時、旦那さんに「おじいさんが黒人だから、遺伝で黒人の子供が生まれるかもしれないよ」と告げると、寛容な旦那さんは「いいんじゃない」と答えたという。(お子さんは彼女の遺伝を強く引き継いでいた。)
それを聞いて、出逢うべき人に巡り合えたんだなと思ったが、それでも、生活様式や文化の違いに違和感を覚えるはずであるし、旦那さんは良くても旦那さんのご両親はどう思っているのだろうかと思い「旦那さんのご両親は戸惑いませんでしたか? 」と尋ねると、旦那さんのご両親も、オープンマインドの方でむしろ歓迎されたのだという。
閉鎖的な田舎町の感覚に縛られてきた僕は、驚きと、自分の視野の狭さを恥じ入るとともに、旦那さんのご両親も、日本の違う土地からこの地にやってきて、一から生活の基盤を作られたのだろうなと思った。

さらに驚くべきことは、彼女は日本人よりも上手く日本語を話し、ご両親とはポルトガル語で対話し、ポルトガル語の夢を見るマインドを持っているので、同郷のコミュニティでは通訳を買って出ているのだという。

ほんとうに素敵な女性である。

話はされなかったけれども、幾多の困難にであったであろうことは想像に難しくない。
しかし、彼女はそれ以上にバイタリティの溢れる人だった。

そんな彼女の大きな愛に包まれている幼子も、いつか、きっと国境を越えてゆく人になるのだろうなと思った。



メリー・クリスマス。

2023-12-24 17:57:33 | 日記
主イエスが弟子と最後の晩餐を摂られていた際、つぎのように話された。

「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうする事で自分の神に奉仕しているのだと思う時が来ます。彼らがこういう事を行うのは、父をもわたしをも知らないからです。」

どうか、どうか平和な世が訪れますように。

誰も宣言しないのは何故?

2023-12-14 21:38:26 | 日記
ここの所イスラエルとハマスとの紛争が毎日報道されている。

その中では市井の人々が傷つき、命を落とす様子が映し出されている。
SNSや専門誌では、論客がどちらに非があるかという議論を展開している。

どちらに非があるのか。
なぜ、そのような二元論的な話になるのか不思議である。
双方とも、心から平和に暮らしていたいと願っている人々を巻き込んでいるのに。

「どちらにも非がある」と、どうして誰も言わないのであろうか。

上京雑記。 最終話

2023-11-29 17:20:30 | 日記
一時間のコースは、あっという間であったが、次東京に来た時に歩いて観察してみたいと思う場所をいくつか教えてくれるヒントにもなった。

次に来るとき、街全体がどのように変容しているのかとても楽しみである。

バスを下車し、スマホの時間を見るとタイムリミットが迫ってきていた。足早に東京駅に向かい、名古屋着から逆算して、今度はしっかり「のぞみ」を選び切符を購入。広すぎる東京駅構内をスマホのナビを頼りに、構内を右往左往しながら、(ナビがなければおそらく分からずじまいで終わっていたかも)頼まれていたお土産を購入。

あわただしくホームに向かうと、キャリーバックを引いたトラベラーが沢山いて、やや混雑していた。

「もう帰らなければ・・・・・・。」

ため息交じりに言葉がこぼれる。

最後尾に並び、ゆっくりと乗車。快適なシートに身を委ね、新幹線に揺られていく。
そして、昨日の事、そして今日の事、東京という街を想い返す。
様々な思いを巡らす事が出来て楽しかったけれども、東京という街はこれまで幾人の人が統治し、何度もスクラップ&ビルドを繰り返してきて現在に至っていているけれど、やはり、この地に幕府を開いた徳川家康の功績が偉大なのだなという思いに至る。

「この街も重荷を負って遠き道をゆくが如しなんだなぁ」

日が暮れてゆく。街が遠ざかってゆく。太陽は西に落ちて、景色は群青色に染まってゆく。反対側の窓から、黄昏空に浮かび上がった富士山が見えた。シルエットであるにもかかわらずその美しさに思わず見入る。

すっかり日が暮れた名古屋駅に到着し、ホームから街を見下ろしてみたけれど、昨夜のような気持ちにはならなかった。
近鉄線に乗り換え、最寄り駅へ向かう。仕事帰りや学校帰りの学生さんでホームには列ができていた。一気にローカルに戻ってしまう。
列に並び、さほど待つこともなく乗車。重たくなった身体を椅子に深く沈める。もう緊張感はない。
車窓から見える風景はどんどん暗くなってゆく。名古屋から離れてゆくと、一駅ごとに乗客も減ってゆく。その様子を見ていると言葉に表せない感情が胸の中に浮かんできた。よく分からない感情であったが、これが諦めという気持ちなのだろうか・・・・・・。

翌日、また人気のない田んぼと山に囲まれた川沿いの道を散歩する。稲作の為に作られた水路の段差を流れ落ちる水の音がする。風が吹き抜け、草木を揺らす音がする。鳥のさえずりが聞こえる。

昨日の出来事すべてが夢なんじゃないかと思った。



上京雑記。

2023-11-28 20:27:24 | 日記
「これは、乗っておかなければ」

思い立ったが吉日。チケット売り場に入り、出発時間と到着時間を確認し、すぐさまチケットを購入。
急いで歩いてきた道を戻り、まじまじと見ていたバスの前にいるバスガイドさんにチケットを渡す。

バスガイドさんも随分年下になってしまったなと思いながら、バスの二階に移動し、案内された椅子に座る。

天井がなく東京の空がきれいに見える。すごく新鮮である。「そう、これこれ。」と心の中で頷く。

出発時間になったが、バスは出発しない。ガイドさんは少し焦りながら、

「まだ見えないお客様がいらっしゃるので、もうしばらくお待ちください」

と、乗車している人達に向けて、誤っている。
まぁ、少しくらいはと思っていたが、5分経っても来ない。周りのお客さんもピリピリしてきている。
状況を打破しようとガイドさんは手を尽くして連絡を取っている。チケット売り場からの場外アナウンスも聞こえている。
海外の旅行者なのだろうかと思っていたが、しっかりとした日本の苗字であった。

少し驚きながら、しばらく待っていると、70代くらいのご婦人と、お孫さん夫婦らしい人と曾孫さんが、お土産らしき紙袋を手に持ち、さも当然の如く前列に座った。
他のお客さんを待たせているのに、一礼もなくである。
その時、この家族には、代々そういう価値観が共有されているのだろうと思った。

ガイドさんは常に笑顔を絶やさず、お客に向けて挨拶をすると、少し固まっていた場を和ますように誰かが拍手をした。皆でその拍手に続きその場は明るくなった。ガイドさんからも笑みがこぼれる。一安心である。

東京の街並みをぼんやり見てゆく。道は結構曲がっていて走りにくそうであるが、運転手さんの技術が凄くて思わず「上手い」と言ってしまう。
皇居に出て国会議事堂の前を曲がり、高層ビルと東京タワーの横を通り過ぎる。
その途中で、交通規制が行われている個所があり、その奥には白に青のストライプが入ったバスが止まっているのが見えた。
その様子を見ていると、ガイドさんは「この道の先にはロシア大使館があって、その警備にあたっています」と、端的に説明されたのを聞いて、あの侵攻は今、この時も継続されていて、多くの人が命を落としているのだと思ったら、急に肌寒くなった。
テレビやネットのみの情報では「画面の中の戦争」としか感じられないけれど、東京でこのような動きを知ると、改めて現実であること気づかされる。

バスは首都高速に上がり湾岸方面へ。心地よい風の中にわずかに潮の香りがする。昨日も見た風景であるけれど、やはり、幻想なんじゃないかと感じる。
ガイドさんの朗らかな説明に耳を傾けながら、街の移り変わりを観察していると、いくつも立ち並ぶ高層マンションが目に入った。何人くらいの人が住んでいるんだろうか。もしかしたら、あの一棟のマンションの住人の人数だけで、僕の住む町の人口と同じなのではないかと思った。

高速を降りると、テレビ画面からでしか見た事のない銀座の街中をぬけ、東京駅へと向かった。この区間内で歌舞伎もミュージカルも観覧できる場所があるのだから、東京が水没しない限り日本の中心としての役割を代替えする場所は他の地域では不可能なのではないかと思った。


上京雑記。

2023-11-27 20:42:05 | 日記
有楽町駅まで切符を買う。この時間の山手線は比較的空いていて車内も静かだ。椅子に座り、車内に流れてくるアナウンスに耳を傾ける。ここにきてようやく気持ちに余裕が出てきたなと感じる。(時々、車内放送の動画を観ては思いを馳せているのです。)

有楽町に来たのは、宝くじを購入する為である。動機は宝くじの一等賞がよく出る場所と聞いていたからである。もちろん10枚。大きなギャンブルは出来ない。ラッキーを得るには量ではなく行動なのだ。
購入していると、沢山の人に撫でられて、あちこちがすり減っている木像の恵比寿さんに買ったばかりのくじを当てて、一等が当たりますようにとお願いしている人がいた。

ちょっとあやかっておこうかなと思ったが、ここは運に任せることにする。

そこで、不意に宝くじを買う事は「ただの損失」だと言っている人がいたことを思い出す。
確かに間違いのないことであるが、購入するか否かは「気持ち」の問題であるし、運よく当たれば幸運だし、外れたとしても、僅かな金額ではあるが、購入することが社会貢献につながっているのだと思えるからよいのである。(それを愚かな行為なのだと指摘しているのは理解しているのです)

帰宅するタイムリミットまで、まだ少しばかり時間がある。
風もほとんどなく相変わらず陽気もいい。それならばと、東京駅から有楽町まで、線路沿いを歩いて戻る事にした。

薄暗いガード下にある飲み屋街を歩いてゆく。まだ、時間が早いのでしまっているお店がほとんどであるが、準備中の看板を出して、営業開始時間に向けてゆっくりと準備を始めているお店もあった。
どこを歩いていても、飲食店があり、それが成り立っているのは本当に驚きである。
これを地方の田舎街で再現しようとしても、根本的な構造が違うのだから、東京スタイルを追い求めても上手くわけがない。
そう考えると、地方はこういったお店に供給する食料を生産する方に徹した方が、理想的なのかなと思ったりもするけれど、それでは、都市と地方の格差が広がるばかりであるから、それはそれで、不安定な社会を作ってしまう事になりかねないのだろうなと思った。

ガード下から抜け出し通りに出る。その先にはレンガ作りの東京駅の姿が見えた。
少し早いけど、お土産を買って帰えろうかと歩いていたら、二階がオープンになっている「はとバス」が止まっていた。
以前「ブラタモリ」でみて、乗ってみたいなと思っていた車両なので、まじまじと見ながら横を通り過ぎていくと、はとバスのチケット売り場が目に入った。

どんなコースがあるのかなと足を止めてみてみると、先ほどのバスは一時間の周遊コースで、もうすぐ出発することが分かった。

上京雑記。

2023-11-26 17:12:15 | 日記
聖橋の横断歩道を渡り、そびえたつビルの横の歩道を下ってゆく。
線路の向こうには神田明神の屋根が見え、昨日の寄席の話を思い出す。確か、昔は神田にも寄席があったと話されていたなと、その跡地を探しながら手を合わせていこうかなと頭をよぎるも、欲張ってはいけないと、さらに下ってゆく。
下りきったところの交差点を左に曲がり、高架下をくぐり、橋を渡ったところで方向を見失う。スマホがなければ迷子になりそうである。

方向を確認し、道路標識や地番表示を頼りにどんどん歩いてゆくと、大きな通りに出た。
ビルの広告に目をやる。それだけで、秋葉原に到着した事が分かる。外国人の旅行者が沢山歩いている。また、何かを求めてさまよっている人もいる。メイドさんもいる。相変わらずパンクな街だなと思った。

これという目的はないので、とりあえず旅行者の人達がぞろぞろと歩いてゆく方へ歩いてゆく。幾分細い通りであったが、新宿や池袋の歓楽街とは違ったディープ感がある。思わず気分が高揚する。
ここはお上りさんと思われても良いだろうと、歩みを緩めて街をつぶさに観察する。
20代ならどんどん踏み込んで行けたであろうお店も、遠巻きに見ながら通り過ぎる。
まるで迷路のような道を歩いていると、黒いビルにヲタの聖地である「まんだらけ」の文字が見えた。

オジサンである事は十分自覚しているし、店はいれば浮いてしまう事も重々に承知している。しかし、ここまで来たのだから勇気を出して覗いてゆこうとお店に踏み入る。

店内はサブカルな物で溢れている。若者と外人さんばかりである。やはり少し恥ずかしいと思ってしまう。いや、恥ずかしいと思う気持ちが間違っているのだと自分に言い聞かせ、細いエレベーターに乗って散策。

どのフロアにも、ヲタク男子と腐女子と外人さんがいらっしゃって、皆さんは、じっくりと静かに品定めをしているので、邪魔をしないように、狭い通路は小さな声で「すみません」とお断りをし、足早に回る。
どんなジャンルであろうと、性別関係なく好きなものは好きなのだというお客さんの気持ちが伝わってくる。
ネットがあって、好きな時に好きなものにアクセスできる事が出来て、身近に同じ価値観を共有できる人がいる時代に生まれていたら、(僕の時代は文通だった。今思うと、その距離感が逆に良かったのかもしれないとも思う)もう少し違った人生を歩めたのかもなぁと思いつつ、お店を出る。

もう一度大通りにでて、秋葉原駅を目指す。観光客ばかりであるが、きれいな女性やガタイのいいイケメンに出会うと、なぜ、こうも体のつくりが違うのかと疑問に思いつつも、きっと苛烈な生存競争の末に生き残ってきた種なのであろうと思うと、進化の違いにも納得がゆく。
人混みの先に、ひときわ目立つメイド服を着たお嬢さんが目に入る。
行き過ぎる人をただ見送っているだけなのかなと思ってみていると、同じ信号で待っていたかっこよい男子二人組がお嬢さんの前に差し掛かると、お嬢さんは急に起動し満面の笑顔で声をかけた。

しかし、その男子は近寄るお嬢さんのとの間に軽く手を挙げて、振り拭くことも立ち止まることなく歩き続けていった。
見事といえる塩対応だった。そこには見えないヒエラルキーが存在していることを改めて思い知る。

街歩きしながらも、この街なれではの特化した大きな看板に描かれたキャラクターをスマホに収めつつ、秋葉原駅へ。
秋葉原駅では「とある~」の大きな看板がディスプレイされていた。好きなアニメだったけど「もう観ないだろうなぁ」とスマホを取り出しもせずに駅の構内に入って行った。


上京雑記。

2023-11-25 21:53:09 | 日記
駿河台下の交差点を渡り、クロサワ楽器の横の坂道を上がってゆく。
キラキラしたギター達が、「ちょっとよっていきなよ」と、声をかけてくる。これは幻聴だと言い聞かせ誘惑に負けないように歩んでゆく。

11月とは思えない陽気。長袖のシャツの腕をまくる。身体がくたびれてきているのか、坂の中腹にある明大前の広場の木陰が目に入る。吸い寄せられるように足が向かう。

お昼時とあってか、会社員と思われる人々が、リラックスしておしゃべりをしていたり、携帯をあわただしく操作していたり、黙々とご飯を食べていたりしていた。
スケートボードがトリックを決めたであろうと思われる痕跡が残る椅子に腰かけ道の向こう側の「名代富士そば」を見る。ガテン系のお兄さんたちがチケットを買っている姿が見えた。

「あと15分もすればお昼休みは終わるだろうから」と、何をするでもなく、ぼんやりと前の道を通り過ぎる人々を見て過ごす。

1時が迫ってくると、休憩していた人達も次第に移動し始め、そろそろ空いてきた頃かなと、向かいの「名代富士そば」へ。

陽気に誘われて、「ざるそば」を選ぶ。
店内は空いていて、3人の客がそばをすすっていた。
チケットを渡し、セルフで水をくむ。
ひさしぶりの水分。お冷が身体全体に染みわたってゆく。
厨房には三人の人がいて、一人が新人さんのようで、ソバの盛り付け方、どうすれば手際よく作れるかを主になる人が、朗らかな口調で教えている。なるほどなぁと耳を傾けていると、あっという間に番号が呼ばれ、さっそくざるそばを食す。

お汁にたっぷりとそばをつけて食べる。これが僕の食べ方。粋ではないかもしれないが、これが旨いのである。ソバの減り加減をみながら、ネギ、ワサビ、の順に足してゆく。
ざるそばも旨い。これが日常にあると、普通になってしまうのだろうか。

女性客が店に入ってくる。なぜか目があう。ちょうど食べ終わったところだったので、すぐさま下膳すると、その女性は「すいません」と言って軽く会釈された。素敵な振る舞いに恐縮し、少し戸惑いながら会釈をして店を出た。

スマホの時計を見ると、帰宅できるタイムリミッまだ時間がある。そのまま地図を起動させ地図画面を引いてゆくと秋葉原までそれほど遠くない事が分かる。

「天気もいいし、歩いてゆくか」

改札口から多くの人が出入りしているJR御茶ノ水駅の前を横切り、線路沿いの飲食店が並んでいる歩道を歩いてゆく。
平日のお昼過ぎだというのに人通りが多い。しかし、これが東京の原動力なのだろうなと思った。

上京雑記。

2023-11-24 20:43:11 | 日記
再び地中に潜り渋谷まで出て、そこから有楽町線に乗り換え神保町へ。
そして、今回の一番の目的である古本祭り会場へ。いざ。

列車に揺られながら、ふと思う。ここまで本当に遠い道のりであったと。そして、僕自身のフットワークが軽ければ、周りの事を気にしなければ、毎年来られるのにという想いが込み上げてきた。

地上に上がり、歩道に出ると、沢山の人が本を求めて露店の前で品定めをしていた。
僕もその集団に溶け込み、陳列されている本のタイトルをじっくりと見てゆく。

さっそく気になる本を見つけ、そっと手に取り、ページを開く。
序文をさっと読み、次に結論に至る文章を読み、心ときめくかどうかを考える。
値段はぁ、と見ると、千円と表示されている。ちょっと高いと思う値段でもあるが、気になる本でもある。
この先にもたくさんの本が待っている。「これだっ」と思う本に巡り合うかもしれない。だから、ここは慌てず、一周してきてから購入しようと思い、静かに元のスペースに本を戻し、次のお店の本棚をじっくり見てゆく。

古本の良いところは、ネットでは知る事の出来ない情報が古本の中から発見できることである。その時の喜びは、隠された秘宝を見つけた時ような感じかもしれない。

仮設の案内書が設けられている交差点まで歩いてくる。来た道を戻ろうかとも思ったが、知らない道を通ってみるのも大事だと思い、人気の少ない裏通りを歩き、地下鉄の出入り口まで戻る。そして、最初の本屋さんで見つけた気になっていた本を購入しようと立ち寄ってみたのであるが、見当たらない。

「まさか」と思って、なんども見直してみるも、返した場所には隙間が出来ていた。

「売れてしまうとは・・・・・・」

僕が手に取り、悩んでいた本だけが誰かの手に渡ってしまっていた。このジャンルに興味を持つ人ってあまりいないだろうと高を括っていたのだけれど、こういう事ってあるんだなと後悔。

二周目は、店舗にも入り色々見て回る。思わず時間を忘れる。お金と時間に制限がなければ、どんどん買ってしまいそうであるが、冷静に考えて判断する。
少年の頃に読んでいた雑誌を発見し、思わず「懐かしいい」と気持ちがこぼれる。
値段は5千円。思わず「高っ」と言ってしまう。
しかし、その値段を出してでも、もう一度読みたいと思う人がいるのだなと思えると、その値段にも納得がいく。
古本の価値は、求めている人がその値段でも納得いくものであるのだから、売る方も買う方も幸せなのだろうと思う。

二周目も回り切り十分に堪能。案内書で配布されていたマップを広げて、前回歩いていない道を歩くことにする。
神田すずらん通りに入り、通りを観察しながらゆっくり歩く。この通りにも専門書を扱う商店があり、それを必要としている人がいるのだなぁと驚く。
僕の住む町の個人が営んでいる書店は、ほぼ店を閉めてしまったというのに・・・・・・。
東京という街は、あらゆる国の人が住んでいて、その本を必要としている人が沢山住んでいるのだなと実感する。

東京堂書店が目に入り、探していた新刊はおいてあるのだろうかと思い入店してみる。
探すまでもなく、一番目につきやすい場所に陳列されていた。地元の書店にはどこも在庫がないと言われていたのに・・・・・・。
こういう時、一度でいいから東京に住んでおけばよかったなぁ思ってしまう。
欲しかった本を手に取り、他に興味を引く本はないかなとじっくり見ていると、地元では見つけられなかった本に出合ってしまった。
少しためらったが、さきほどの失敗を思い出し思い切って購入。

この書店にはカフェスペースが併設されているようなので、お茶をしながら購入した本をじっくりと読もうかと思ったが、また三時間半かけて帰宅せねばならない現実がこの後に待ち受けているので、仕方なしと諦め書店を後にした。


上京雑記。

2023-11-23 17:49:24 | 日記
大通りに出ると、仕事場へ向かう人達と出会う。学生さんもちらほら見かける。
出勤するときは、玄関を出てすぐ車に乗って移動するのが必要な地域に住んでいると、都会の街の朝は凄く新鮮。しかし、これが連日ともなると、精神的に辛く感じてくるのかもしれないし、その辛さを解消する為に、より刺激的な体験を求めてしまうのかもしれないと思いながら、ビルの奥に見える青空を仰ぎ見る。

次の目的地は雑司が谷。
前回は歩いて行けたので今回もと思ったが、足の重さにくじける。

雑司が谷と言えば上京時には必ず立ち寄る先生のお墓。

二日目ともなると、気持ちに余裕が出来てくるものである。迷うことなく切符を買い副都心線に乗るも列車はすぐに到着。
地上までの高低差にめまいを覚えるが、住んでしまえばこれも当たり前になってしまうのだろうか。

方向が今一つ分からないまま、旧都電荒川線沿いを歩いてゆく。線路の先には高層ビルが見える。丘陵の地である事が分かる。都会の喧騒から外れていて、いい街だなと思う。

ファミマでエナジードリンクを買って、田舎では見られない二階にあるイートインスペースで水分をチャージ。こんな時間だから誰もいないだろうと思って上がってみると、学生さん風の人が2人いて一人は本とノートを開いていた。
「都会の人はそんな使い方をするのか」と驚きつつも、窓の外に視線を移し素早くエナジーチャージ。
そそくさと階段を下りてゆくと、出口の横の新聞コーナーに英字の新聞が置いてあった。
英字新聞は田舎のコンビニでは見られないものであるので、「英字新聞を必要としている住民が一定数いるのだなぁ」と感じた。

コンビニを出た所でスマホを起動し現在地を確かめると、逆方向に歩いていることに気づく。
これはいけないと、緩やかな坂を下った先の踏切を渡り、反対側の路地を戻ってゆく。

緩やかな坂を上り、細い路地を抜け、木々が生い茂っている場所を目指して住宅街を抜けると、墓地が見えた。
うろ覚えの記憶を頼りに歩いてゆくと、あの、独特の形をしたひときわ大きな墓石が見えてきた。

「たどりついた」

安堵しながらお墓の前に行くと、お墓の前には小さな看板が立っていてQRコードが記されていた。時代は進んでゆくのだなと思いつつ、墓石の前で静かに手を合わせる。

何も言葉が出てこない。ふと、芥川さんが亡くなる前にこの場所に来たという逸話を思い出す。深く息をして墓石に問う。

「則天去私とは? 」

供えられている一輪の花が枯れかかっている。気になりお墓の掃除をしようかなとも思ったが、他人のお墓を掃除するのは良くないという話を思い出し、気になりつつもその場を立ち去る事にした。


上京雑記。

2023-11-22 20:09:00 | 日記
よく分からないまま歩いていると元の道に戻った。頭上に見える線路を横目に歩いてゆき、高架の向こう側を見ると、沢山の人が駅から出てくるのが見えた。

無事に新大久保駅へ到着。

時間は午後9時15分。本日の冒険は終了である。切符を買い改札をくぐるとコスプレをした人たちをすれ違う。ここでもコスプレをした人たちとすれ違う。どこが拠点になっていたのだろう。
渋谷から流れてきたのか、それとも多発的に行われているのか。定かではないけれど、お祭り騒ぎをした人が沢山いることには間違いないようである。

「ハロウィーンて、何を祝う行事だったかな?」と頭をよぎるも、楽しんでいる人達を観ているうちに考える事がばかばかしくなった。

人生、楽しまなくては。

午後9時台の電車に乗るのは前回の古本祭り以来である。日常ならば、すでにパジャマを着て、テレビや動画や本を見てウトウトしている時間である。
ほぼ満員の電車に揺られ、外の景色を眺める。
明りに照らされた駅や、道路を行き交う人々を見ていると、この街の人は眠らないのではないだろうかとさえ思えてくる。

ホテルに向かう途中の繁華街の夜の姿は日が沈む前と違い、沢山の人々が語らいながら、また、ある人は一人で孤独をかみ締めるように飲食をしていた。
住めば都なのだろうな・・・・・・。一度は住んでみたいなと思うも、楽しむための対価はどうすると考えだしたら、芽生え始めていた憧れは、再び萎んでいった。

カプセルホテル特有の大きなお風呂で疲れを洗い流し、カプセルへIN。どっと疲れが出たのか、すぐに寝落ちしてしまう。
時々若者たちが大声で叫んでいるのが聞こえてきて、その度に目が覚めるが、「そうかぁ、今、東京にいるんだなぁ」と思い、再び眠りにつく。
それが、夜が明けるまで続いていた。

本日も快晴。11月だというのに日差しがまぶしい。時刻は午前8時半過ぎ。6時半に起床し、時間を気にせずもたもたと過ごす。これも旅のだいご味の一つである。快適な時間を過ごせたカプセルホテルに感謝し、また池袋駅へ向かう。
飲食店から酔っぱらった若者が、呂律がまわらない言葉で、お店の奥の誰かに話しながら出てくるのに出くわす。

お疲れ様。楽しい夜だったのだろうなぁ。

上京雑記。

2023-11-21 18:43:58 | 日記
土地勘がないので、とりあえず怪しげな道をどんどん歩いてゆくと、動画で観た病院が表れ、その先の公園では食べ物のイベントが行われていた。とりあえず公園を一周して状況を観察してみる。

受容があれば供給がある。効率よく対価を得るためには、何かを犠牲にせねばならない。
しかし、人によってはその行為を犠牲とは思っていないかもしれない。生きる術だと思っているのかもしれない。ただ時間を持て余しているだけなのかもしれない。
淋しさを紛らわすためなのかもしれない。誰かに存在を認めてもらいたいと思っているのかもしれない。欲望を満たそうと一瞬の快楽にすがっているだけなのかもしれない。
交渉の間には、心がないかもしれないし、互いに相手を見下し合っているのかもしれないし、かつてない感情が芽生えているのかもしれない。
それを一期一会というのかもしれない。
そして、そのトレード行為は新資本主義という思想を歓迎した者達が産み落とした事象といえるかもしれない。
人口密度が過密になると必然的に生じてしまう事象なのかもしれない。

そんなことを考えながら、動画が事実である事に衝撃を受けつつ通りに出た。もう、どこをどう歩いているのか分からなくなっていたが、周りをよく見て、線路がある方向を確かめる。
線路沿いを歩いて行けばたどり着けるだろうと考え、ゆっくりと歩きながらうす暗い高架を潜り抜ける。
列車が通ると、ゴゴン、ゴゴンという鈍い金属音が響く。都会の鉄道の高架下と言えば、いきなり後ろから刺されるというテレビドラマのイメージが強いので、そんな事はありえないのはわかるけれども、なぜかドキドキする。
そして、暗くて細い路地を歩きながら駅を目指し、なんとか到着した駅にたどり着いたが、切符を買うために池袋の文字を探したとき、事の異変に気付く。

「路線が違う」

たどり着いたのは中央本線の大久保駅であった。これに乗ってしまえば池袋には到達しない。
記憶の曖昧さに呆れながら、再びスマホを起動し、現在地を確認すると、新大久保駅は最初に潜り抜けてきた線路の先であった。

仕方なしと、方向をしっかりと確認し、うす暗い路地を歩いていくと、小さな飲み屋さんが軒を連ねている通りに出た。歩きながら店を除く手、皆が凄く楽しそうにお酒を酌み交わしている。歌声も聞こえてくる。楽しんでいることが伝わってくる。
誰とでもフレンドリーに話せる人なら、毎日が楽しい街なんだろうなと思った。

上京雑記。

2023-11-20 21:41:39 | 日記
スマホを立ち上げて目的地を確認。再びその道程にある目印となる建物を順番に覚えておき、とりあえずスタートしてみる。
時間は午後8時半。ハロウィーン当日である。日常が非日常と思える新宿なのに、コスプレをした人が普通に歩道を歩いているので、気持ちが付いてゆかない。
なるべくキョロキョロしない様に意識して、少し速足で歩く。それでも、前を歩いている人を追い越す事が無い。むしろ抜いてゆく人がいる。街の人は歩くのが実に速い。

よく分からないまま大通りを左に曲がり、さくら通りという名の道を目指す。外国人と仕事帰りの人と、これから遊びに行こうとしている若者たちが、ぞろぞろと歩いていて信号待ちをしている間でも怖さを覚える。壁を背にして信号が変わるのを待つ。
ネオンがとても明るく、人工的な明るさに成れていないのか目がチカチカしてくる。

信号が変わり、わらわらと歩きだす人に紛れるように渡り、さくら通りに入ったが、道幅が狭くなっているにも拘らず人が密集していた。
見た目でヤバいと分かる人がゴロゴロいる。緊張がさらに高まる。ここはおたおたするよりも、道の真ん中を歩いた方がよいと判断。ただし、すれ違う人と肩がぶつからないように細心の注意を払いながら歩かねばならない。(この状態が常時では感染症予防対策は困難を極めたであろうことは想像に難しくない)

そして、エロな気持ちを増幅させるお嬢さんや、その手の看板が次から次へと目に入る。誘惑に負けてはいけないと、ずんずん歩いてゆく。
どこまでも続く歓楽街と人の波。この区画内の一夜で動くお金は、いったいどれくらいになるのだろうかと考えるも、まったく想像がつかない。
しかし、だからこそ、人生をかけて勝負出ようとする人が集まる街なのだろうと思った。

気が付くと、T字路になっていてしばし立ち止まる。
スマホを取り出そうかと思ったが、それも危険だと思い、勘にまかせて左に曲がり、また右に曲がった。

人通りは少なくなったが、目につくのは大きなホストクラブの看板。歩けど歩けど次々にイケメンの姿を観る事が出来る。看板を背負う男たちは確かにカッコいい人たちである。

しかし、すべてのお店が稼働し続けているという実情から考えると、それだけ女性が、彼らにお金を落としているという事であり、手段は様々であるが、それだけ女性がお金を稼げているという事の表れでもある。
男性だけが歓楽街で遊ぶという感覚はもう古い考え方なのだなと思う。
しかし、これだけ人が沢山いる地域でも、サービスに頼らなければ心の隙間を埋められないという事実が、このような物理的な形となって現れているのかもしれないと思った。
そして、男性が水商売の女性にハマり身を崩してゆく事象は、いまや女性にも見られるようになったのかなと思った。