硝子戸の外へ。

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体罰は是か非か。 その3

2013-01-16 09:11:59 | 日記
その処遇をめぐり、橋本市長は同校の一部の入試枠を中止する事の検討を公の場で発表した。

此処でもそうであるが、一番の被害を被っているのは子供たちであるという事。

なぜ、子供たちの気持ちを迂回して物事を考えてゆくのだろうか。

たしかに、体制が整わないまま何事もなかったように物事を例年どおりに推し進める事は責任を放棄したことになる。少年の命が亡くなっている事を重んじていればそんな事があってはならないと考えるのは自然である。

しかし、体制が崩れていたとしても立て直しつつ前に進む事が、熟練者の持ち味ではなかろうか。

失敗は誰にでもある。熟練者にだってあるはずだから、熟練者にも伸びしろはあるはずである。

大人であるならば、そこをよくよく考えなければならないと思う。

なぜならば、熟練者であるが故に陥る落とし穴もあるからである。

それは、自身の保身のために、失敗を失敗と捉えない事。問題を問題として捉えない事である。

そうなると、致命的である。自身自ら伸びしろ断ち切ってしまう行為は、同じ過ちを繰り返すことにつながる。

悲しい出来事が、未来に向かって繰り返されてゆくのである。

だから、当事者たちが、当事者たちの手によって、そこを断ち切る事が重要なのであって、人を変えれば解決という易しいものでは問題の根本を解決したことにはならないと思う。

したがって、部活の顧問をされていた方は、教員を辞めてはならないと思う。自身の襟を正し体罰という手法を抜きにして信頼を得ていくことが彼が出来る亡くなった少年への罪滅ぼしなのではないかと思うのです。