「館長庵野秀明 特撮博物館」を観に行って色々思った事を呟いておこうと思います。
会場には平日にもかかわらず沢山の人が詰め掛けていました。鑑賞者は年齢は若者もいたけれどやや高め。中には展覧物の前で同志と知識の好感をされるほどコアな方もいらっしゃりなかなか熱い会場でした。
僕も特撮を観てきた世代であるので、ほとんどの展示物についておぼろげに覚えているけれども、どこか後ろめたい気持ちが付きまとっていました。それはゴジラもウルトラマンも好きであったけれど、ある時期を境に「これは子供の観るものだ。」と決めつけ断ち切ってしまったからです。
なぜ、そう思ったのかは、記憶の断崖に落ちてしまっていて回収する事が出来ませんが。でも、断ち切ってしまったという気持ちだけは残っているので、ノスタルジーに浸るという気分にはなりませんでした。
しかし、博物館としては十二分に楽しめました。それは、特撮におけるすべての造形の実物を自身の目で直接見る事は美術館で芸術作品を鑑賞する事と変わらない事であると共に、それが仕事として積み重ねてきたものであり、それが結果として芸術の域に達しているのだと感じたからです。
また、改めて思ったのは、巨人達が創造し続けて来た物語にはテーゼや普遍性があったのに、それに気づかず「断ち切ってしまった」己の稚拙さに恥じいるばかりでした。
そして特撮博物館のおまけである「巨神兵 東京に現る」では、「ナウシカ」で、不完全な巨神兵が登場する場面の原画やそれに対する宮崎駿さんの落書きが展示してありました。その落書きを観ると宮崎駿さんは当時から庵野さんの才能に一目置いていた事が伺えます。また、メイキングを含めて大きなサイズで「巨神兵~」を観て見ると、その仕事のすごさに圧倒されます。
宮崎さんや庵野さんのように、だれしもが好きな事をやり続ける情熱を持ち、それが結果に繋がるわけではないけれど、突き抜けないと観えない事も多いのかなと思いながら博物館を後にしたのでした。
会場には平日にもかかわらず沢山の人が詰め掛けていました。鑑賞者は年齢は若者もいたけれどやや高め。中には展覧物の前で同志と知識の好感をされるほどコアな方もいらっしゃりなかなか熱い会場でした。
僕も特撮を観てきた世代であるので、ほとんどの展示物についておぼろげに覚えているけれども、どこか後ろめたい気持ちが付きまとっていました。それはゴジラもウルトラマンも好きであったけれど、ある時期を境に「これは子供の観るものだ。」と決めつけ断ち切ってしまったからです。
なぜ、そう思ったのかは、記憶の断崖に落ちてしまっていて回収する事が出来ませんが。でも、断ち切ってしまったという気持ちだけは残っているので、ノスタルジーに浸るという気分にはなりませんでした。
しかし、博物館としては十二分に楽しめました。それは、特撮におけるすべての造形の実物を自身の目で直接見る事は美術館で芸術作品を鑑賞する事と変わらない事であると共に、それが仕事として積み重ねてきたものであり、それが結果として芸術の域に達しているのだと感じたからです。
また、改めて思ったのは、巨人達が創造し続けて来た物語にはテーゼや普遍性があったのに、それに気づかず「断ち切ってしまった」己の稚拙さに恥じいるばかりでした。
そして特撮博物館のおまけである「巨神兵 東京に現る」では、「ナウシカ」で、不完全な巨神兵が登場する場面の原画やそれに対する宮崎駿さんの落書きが展示してありました。その落書きを観ると宮崎駿さんは当時から庵野さんの才能に一目置いていた事が伺えます。また、メイキングを含めて大きなサイズで「巨神兵~」を観て見ると、その仕事のすごさに圧倒されます。
宮崎さんや庵野さんのように、だれしもが好きな事をやり続ける情熱を持ち、それが結果に繋がるわけではないけれど、突き抜けないと観えない事も多いのかなと思いながら博物館を後にしたのでした。