続報の記事を読む。「生きていても意味がない」と父親に漏らしていたという。
その言葉にドキリとした。
生きる意味を見出せず、苦悩し、自暴自棄になってしまう気持ちはわからないでもない。
多くの人達が同じ思い想いをし、苦悩していても、踏みとどまっているのは、他者の気持ちや、自身の未来を考えるからであるが、どこかで、他者から自身の存在を認めてほしいという欲望があるからではないかと思ったとき、「自分の為に生きてはいない」のではと、人は苦悩するのではないかと思う。
見返りを求めず他者の為に生きることは「愛」であるが、聖人や賢者でもない限り、自己の欲望との葛藤からは抜け出すことが出来ない。
自身を優先したい。しかし他者を無視するわけにもいかない。そのようなどっち付かずな態度は、双方にもやもや感を残してしまう。
そして、どちらかに振り切れたら楽なのにと、もやもやするのである。
しかし、彼は「生きている意味がない」ことを理由に、ためらいを棄て、振り切ってしまった。
「生きている意味がない」という結論に到達した過程には何があったのだろうか。
もし、誰も信用できなくなり、誰からも信用されなくなったときに、「生きている意味を失う」のだとすれば、彼の身の上に何かがあったのだろうとは思うけれども、振り切ってしまった後では、擁護する余地はない。
この事件は、彼自身の感情を彼自身が持て余してしまった結果であるから、彼の証言は曖昧さを含んでしまうだろう。したがって、情報は日々更新されてゆくけれど、真実には到達できないような気がするのです。
その言葉にドキリとした。
生きる意味を見出せず、苦悩し、自暴自棄になってしまう気持ちはわからないでもない。
多くの人達が同じ思い想いをし、苦悩していても、踏みとどまっているのは、他者の気持ちや、自身の未来を考えるからであるが、どこかで、他者から自身の存在を認めてほしいという欲望があるからではないかと思ったとき、「自分の為に生きてはいない」のではと、人は苦悩するのではないかと思う。
見返りを求めず他者の為に生きることは「愛」であるが、聖人や賢者でもない限り、自己の欲望との葛藤からは抜け出すことが出来ない。
自身を優先したい。しかし他者を無視するわけにもいかない。そのようなどっち付かずな態度は、双方にもやもや感を残してしまう。
そして、どちらかに振り切れたら楽なのにと、もやもやするのである。
しかし、彼は「生きている意味がない」ことを理由に、ためらいを棄て、振り切ってしまった。
「生きている意味がない」という結論に到達した過程には何があったのだろうか。
もし、誰も信用できなくなり、誰からも信用されなくなったときに、「生きている意味を失う」のだとすれば、彼の身の上に何かがあったのだろうとは思うけれども、振り切ってしまった後では、擁護する余地はない。
この事件は、彼自身の感情を彼自身が持て余してしまった結果であるから、彼の証言は曖昧さを含んでしまうだろう。したがって、情報は日々更新されてゆくけれど、真実には到達できないような気がするのです。