硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

どうすることもできないけれど。

2021-12-12 22:10:59 | 日記
職場で人員削減、業務の見直し、効率化のうわさが立ち、個々に価値観が異なるので、従業員のメンバーが喧々諤々とした話を机上で繰り広げていた。
僕は直感的に関わりたくないなぁと思ったので、距離を取って傍観する姿勢を摂り、質問されても、ぼんやりとした回答を述べた。
しかし、問題は問題である。
議論にはかかわらずとも、しばらく頭の中で寝かしこんでおいて、いつか整理をつけておいた方がいいだろうと思い数日後、思考の糸口が見えてきたので場を借りて、思ったこと整理しておきたいと思う。

流動的で振り幅のある仕事と、利益追求至上主義というのは相性が悪いと思う。

仕事量の振り幅が大きい仕事であると、仕事量の多いポイントで仕事が回るように設定すると、仕事量が減少したときに、あらゆる面で無駄が生じる。
それは、振り幅がピークに達したときにストレスなく熟すことを前提としておきたいので、ある程度の無駄は許容しておくことがベターだと思わ得るからであるが、これは、かつて日本の多くの企業が採用してきた終身雇用型の形態であるように思う。

終身雇用は無駄を許容しておく事、余白を作っておく事で、安定したコミュニティーを形成できたと思うが、その反面、年功序列にする事で、個人のスキルを埋没させたり、不正の横行を助長させるデメリットがあったので効率が悪かったのであるが、共生社会としてはなんとなく成り立っていた。
しかし、近年では外資系企業も増え、このままではダメになるだろうと雇用形態も時代に合わせて変化させてきた。

一方、利益追求至上主義は、あらゆる無駄をそぎ落としておきたい事が前提である。
したがって、非正規雇用形態で人材を確保し、仕事が増えれば雇い、仕事が減れば雇用をカットする形態をとるが、どうしても偏りが生じてしまう。ネームバリューのある会社であれば、人材が流動的であっても、エントリーしてくる人は途切れないであろうけれども、そうでない企業が利益追求型を押し通してしまうと人材は流出し続け、人で不足に陥るが、その状態であっても廉価で労働力を確保しようとなると、その人材は、社会になじめなかった人や、移民という人たちに向けられて、労働環境は悪くなるように思う。

しかし、利益追求至上主義は、仕事の余白を嫌うものなので、仕事量が減少したときには雇用をカットするのがルールである以上、そのしわ寄せは反論しづらい言語の壁がある移民の人たちの可能性が高くなり、彼らの人権が希薄になる。

また、そう言った立場であるので、突然解雇される可能性もある。
普通の生活ができなくなった彼らは、それでも、生きていかねばならない。追い詰められれば、犯罪もいとわなくなり、ルールを重んじてきた地域においても、治安の悪化は避けられなくなるが、もし、職場に余白があれば、彼らも路頭に迷わないで済むのだと思うし、犯罪に手を染めないで済むのではないかと思う。
つまり、仕事の余白の必要性は、損をして得を取るということに他ならない。

さらに、鳥俯瞰で見てみると、斎藤幸平さんが述べられているように、先進国が発展途上国から人材と資源を安価で搾取し続けている間は、発展途上国の治安と環境の悪化を内包しつつ経済成長はすると思うが、地球上における二酸化炭素の排出量は増加し続けるということになるのではないかと思う。

話はずいぶんと大きくなってしまったけれど、余白を切ってしまうと、強力な独裁主義か原理主義的思想で統率してゆかなければ存続してゆけないのではないかと思ったりするけれど、それだと内輪で争いが絶えなくなるし、上位者に屈すれば、上位者だけが満足するコミニュティへと変貌してしまう。

どうすることもできないけれど、穏やかに働けなくなるのは嫌だなぁ。