ウクライナ戦争関連のSNSでは、相変わらず、親露派、親宇派と論調が分かれていて分断が起きていて同一する兆しもない。
これだけ情報が溢れているのになぜだろうか?
ロシアが国境を越えて軍事侵攻したとき、日本のメディアはこぞってそこに至る理由を報じることなくロシアが攻め入ったと報道した。
その結果、世論はウクライナ支持に傾倒したのであるが、日本のメディアは明治時代から国の発展と共に成長し、当初は正義もあったが、次第に軍に寄り添うようになり、戦後はアメリカと共に発展してきました。
つまり、大きな出来事などの都合の悪い真実は隠蔽し虚偽を伝えるといった手法が今もなお継続されているといえます。
しかし、現在ではネットという情報網があり、多方面からの情報がアップされるために、次第にメディアとの報道に齟齬が生じ始めました。
検索すれば、真実に近いところまで調べられることもあるようですが、それでも、人にはなぜか「自分が信じたいものを信じたい」という思考性がある為に容易に考え方を転換できません。
それによって、分断が生じてしまっているのだと思う。
また、戦争の善悪は容易に語れないはずであるのに、安易に善悪を決めつけてしまう傾向も見られます。
大東亜戦争においても、何故開戦に踏み切ったのか、なぜあれほどの犠牲を出しながらも戦い続け敗戦してしまったのかが、未だに明らかになっていません。
もし仮に、戦争が都市伝説的な謎の組織によって作り出されているとしたら、その組織が公に認められ、当事者の口から真実が語られなければ、善悪を決める事すらできません。
戦争は、殺し合いであり、侵略行為が始まりといえます。
そこには、思想的な正しさや、国や誰かを護る為に戦っている者もいれば、戦争にかこつけて私利私欲の為に非人道的行為を働く者もいるでしょうし、様々な側面から戦争が語られれば、善悪同じ分だけ語ることができてしまうでしょう。
正義と悪が混在している。それが戦争の事象なのだと思う。
ウクライナ戦争においては現在進行形であり、メディアやネットを通してリアルタイムに情報を受けとる事が出来ていますが、それでも論調が割れるという事象は、戦争の善悪を決めることは難しいといえるのではないかと思う。
そこを踏まえた上で、戦場から遠く離れた日本で暮らす私達は、これからどうすべきかを考えてゆかなければ、日本もいずれ戦禍に巻き込まれてしまうのではないかと思う。
これだけ情報が溢れているのになぜだろうか?
ロシアが国境を越えて軍事侵攻したとき、日本のメディアはこぞってそこに至る理由を報じることなくロシアが攻め入ったと報道した。
その結果、世論はウクライナ支持に傾倒したのであるが、日本のメディアは明治時代から国の発展と共に成長し、当初は正義もあったが、次第に軍に寄り添うようになり、戦後はアメリカと共に発展してきました。
つまり、大きな出来事などの都合の悪い真実は隠蔽し虚偽を伝えるといった手法が今もなお継続されているといえます。
しかし、現在ではネットという情報網があり、多方面からの情報がアップされるために、次第にメディアとの報道に齟齬が生じ始めました。
検索すれば、真実に近いところまで調べられることもあるようですが、それでも、人にはなぜか「自分が信じたいものを信じたい」という思考性がある為に容易に考え方を転換できません。
それによって、分断が生じてしまっているのだと思う。
また、戦争の善悪は容易に語れないはずであるのに、安易に善悪を決めつけてしまう傾向も見られます。
大東亜戦争においても、何故開戦に踏み切ったのか、なぜあれほどの犠牲を出しながらも戦い続け敗戦してしまったのかが、未だに明らかになっていません。
もし仮に、戦争が都市伝説的な謎の組織によって作り出されているとしたら、その組織が公に認められ、当事者の口から真実が語られなければ、善悪を決める事すらできません。
戦争は、殺し合いであり、侵略行為が始まりといえます。
そこには、思想的な正しさや、国や誰かを護る為に戦っている者もいれば、戦争にかこつけて私利私欲の為に非人道的行為を働く者もいるでしょうし、様々な側面から戦争が語られれば、善悪同じ分だけ語ることができてしまうでしょう。
正義と悪が混在している。それが戦争の事象なのだと思う。
ウクライナ戦争においては現在進行形であり、メディアやネットを通してリアルタイムに情報を受けとる事が出来ていますが、それでも論調が割れるという事象は、戦争の善悪を決めることは難しいといえるのではないかと思う。
そこを踏まえた上で、戦場から遠く離れた日本で暮らす私達は、これからどうすべきかを考えてゆかなければ、日本もいずれ戦禍に巻き込まれてしまうのではないかと思う。