和紙を作る家に嫁いだ嫁のブログ

親子五代に渡り受け継がれた和紙作りの伝統を守るべく今日も奮闘する『和紙を作る家』に嫁いだ嫁のブログ

母の入所費が上がりました((T_T))

2021-10-16 18:42:20 | 母のこと
『介護保険負担限度額認定』

この制度、
定められた条件を満たすことで、介護保険施設を利用する際に、支払う住居費 食費が軽減される制度です。

特養に入所する私の母親にとっても、住居費、食費を軽減してもらえるとっても良い制度だったのですが、

この8月から内容が少し変わり、負担がグンと増えました((T_T))




これまで一日650円に軽減してもらっていた食費が、8月から1350円!!

なんと2倍以上に!!

これまでひと月10万円ちょっとだった入所費が、


2万円も上がりました。

年間にすると24万円!!

これだけ急に上がるとちょっとシンドいですよね(;´д`)

この国の官僚さんや国会議員さんは、高齢者や私たち庶民の暮らしをどれだけ把握して下さっているんでしょう…

介護保険制度を維持させる為には仕方のない事なのかもしれませんが、
もう少し弱者に寄り添った改革をして欲しいです。

あ、話は変わりますが、
昨日、我が家の敷地内で、白昼堂々と(不倫現場目撃でもあるまいし)


鹿が侵入してきて何かを食べておりました。

夜は、もうそこらじゅうにウヨウヨと居ますが、昼間は初めてです。

うわっ!こっち見とる~~(o゚Д゚ノ)ノ


山には、よほど食べ物がないのでしょうか…

こわ~~


母の聴いていたCD

2021-06-07 08:21:53 | 母のこと
母の使っていたタンスを持って帰ってきました。



デイサービスに行き始めた頃買ったタンス。
もう母は使わないので、貰って帰ってきました。

デイサービスへの送り出しを訪問ヘルパーさんにお願いしていたので、

朝、着せてもらう衣類が分かりやすい様、このタンスに整理し直していました。

タンスを持って帰って、中に私が作ってプレゼントした和箱がひとつ…

そして、その和箱の中にはCDが一枚と歌詞をコピーした紙が一枚入っていました。
『手紙』という曲。

???
アンジェラ・アキさんかと思っていたら、

よく見ると樋口了一さんと言われる方の曲のようでした。

歌詞を読んで…





泣けました。

母は……

このCDどうしたのでしょう?

誰かに貰ったのでしょうか?

どんな思いで聴いていたのでしょうか?

認知症になり始めた頃の母の不安だった気持ちを思うと、
切なくて、涙が止まりませんでした。

『あなたと話す時、同じ話を何度も何度も繰り返しても、
その結末をどうか遮らずにうなずいてほしい…』

『私の姿を見て悲しんだり、自分が無力だと思わないでほしい』

『あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように、私の人生の終わりに少しだけ付き添ってほしい』

CDを流してみて、樋口了一さんの優しい歌声にも涙が出ました。

今までは、
もう絶対あの頃には戻りたくない!
そう思っていました。

認知症介護、本当に大変で毎日泣いて怒って…の繰り返し、
疲れ果てて私の方が壊れそうになっていました。

でも…

このCDを聴いて、やっぱりもう一度あの頃に戻ってやり直してみたいと思いました。

ありのままの母を受け入れ、もっともっと優しい気持ちで、母との貴重な時間を過ごせるかもしれない…と思いました。



母のうた

2021-03-29 11:44:38 | 母のこと
3月上旬、
母がお世話になっている特養から手紙が届きました。



最近の母の様子が詳しく書かれた手紙と写真、

コロナウイルスのせいで、長いこと面会が出来ないでいる家族への、施設からのご配慮です。

箸を持って自分で食事を摂る事が難しくなってきた…など、少しずつ身体の機能は落ちてきているようですが、

ユニットごとの行事にも参加し、

よく食べ、元気に楽しく日々を過ごしているようです。

三人官女さん…かな?(笑)



若い頃、美人でシッカリ者だった母の面影はありません。

今の母には、
娘の顔や名前も分からなければ、
お雛さんなんて、なんの興味もないですよね。


でも、今の母の姿を
美しいと感じます。
愛おしいと思います。

二人組のアーティスト『吉田山田』さんの曲に、

『母のうた』というのがあります↓

白髪が少し増えたね 
皺もきっと増えたでしょうね
だけどこんなにも美しく 笑える人を私は知りません

あなたがもしもいつか私を忘れてしまっても
私が覚えている 私はずっとあなたのワガママな子

幸せでいてください それが私の倖せ
そんな風に思えるほど 私も少し大人になりました
嬉しそうに笑ってる あなたの歌

このフレーズを聴くとホント泣けてきます。

『おかあさ~~ん!』と、

背中をさすってあげたり、
頬ずりをしたり、

そんなことがまた普通に出来る日が、一日も早く来てほしいなと思います。

母と長く会えない日々に、少し感傷に浸ってしまった娘でした。














想いが溢れる…

2021-03-06 00:20:14 | 母のこと
母の衣類を施設に届けに…。
今はまだ面会が禁止されているので、事務所の方に託してきました。

少し前、
母担当の職員さんから、

『みゆきさん!次に洋服を買い足して頂く時は、伸びる素材のものでLかLLサイズをお願いします!』

と連絡がありました。

前の施設で、

入れ歯を失くし、

大腿骨を骨折をし、

何ヵ月も続く発熱の原因をなかなかつきとめさせて貰えず、

ガリガリに痩せてしまった母でしたが、
(アカンアカン…また前の施設での嫌な出来事を語り始めよるやん)

今の施設に移り、

食欲も増し、見違えるほどふくよかになりました。

今あるMサイズの服が、どれも窮屈になってきたそうです。

半年ほどの期間に、要介護2から要介護5まで、要介護度が上がってしまうほど、なに一つ自分では出来なくなってしまった母が、

今の施設に移ってきたその日に、昼食を自らの手で箸を握って口に運ぼうとしている姿に、本当に驚きました。

↑その時の母です。

周りの環境や関わり方で、認知症の症状の進行が早まったり、  緩まったりすることを実感しました。

最近、弟がよく言います。

『姉ちゃん…俺ら、今やったら、おやじもおふくろも、家で看てやれてたかもしれんなぁ…、俺、後悔ばっかりやわ。』と。

あの頃は弟、まだ息子が高校生で、高校野球の試合や遠征やと息子に付きっきりで走り回っていた頃でした。

私は私で、あの頃はまだ義両親に気を遣いながら実家に通っていたので、
充分に…、思ったように親を看てやることは出来ませんでした。

それが苦しくて、何度 主人に離婚して~~!と頼んだことか。

今では笑って話せるけど、あの頃

『自分の親のことで、この家に迷惑をかけるのはイヤ!私の残りの人生は、親の為に捧げたい!』
真剣思ってましたもんね~~

弟が言うように、
今だったら……。

考え出すと止まらなくなりますが、
弟も私も、その時その時、出来ることを精一杯して、

母にとって、その時その時、一番良い選択をしてきた…と思いたいです。



子供の為や、まわりの人たちの為に一生懸命してきた母なので、

美味しい物をいっぱい食べて、可愛い服を着て、これからも穏やかな毎日を送ってもらいたいです。

あ、
先日…

施設から
『今、みゆきさん、家に居られますか?』と電話がありました。

『今から、かよ子さん(母)を車に乗せて出掛けるのですが、みゆきさんの家の前を通るので、一瞬でもお顔を見てもらえたらな…と思って』

との事でした。

ちょうど外で仕事をしていました。



ドア越しですが、何ヵ月ぶりに見る母の顔…

なかなか会えないので、久しぶりに母の顔を見ると、

想いが溢れて涙が出てしまいました。

『お母さん!元気にしとった?』

娘の事すら覚えていない母から返事はありませんでしたが、

別れ際、母は穏やかな笑顔を見せてくれました。

このあと注文しているお寿司を取りに行かれると言われていました。

その日は、誕生会か何か催しがあったのでしょうか…

親切で優しい職員さん方に囲まれて、やっぱり今、母は絶対幸せに暮らせていますよね…








母の誕生日

2021-01-27 00:53:52 | 母のこと
先日、母、誕生日を迎え、施設の皆さんにお祝いして頂きました。
大切にして頂いていて、ホント有り難いです。


79歳…

そう…母まだ79歳なんです。

70代前半で認知症を発症した母。
認知症にさえなっていなければ、
しっかり者の母のこと、
まだ一人で生活も出来ていただろうし、
まだまだ友達と元気に遊びまわってもいたと思います。

アルツハイマー、
進行が早いです。

昨年の誕生日には、こんな良い笑顔をしていた母なのに↓



最近では、表情や言葉もどんどん乏しくなってきています。


もういつから母に会えていないでしょうか…

何かあってもすぐに飛んでいける距離に施設があることと、

職員さんが皆さん親切で、母にも家族にも良くして下さり、

常に近況を知らせて下さるので、

会えない不安はないのですが…


↑年末のお餅つきの様子
杵を握らせてもらいながらも、
やはり母の目はなかなか開かなかったようです…


先日、弟が、リモートで母に面会をした時も…



目を閉じたまま、やっぱり反応はイマイチ…

これまで、直接会って、
『お母さん!!』と呼んで会話したり、
食事の介助をしたり、

手を握り、背中を撫でたりしていたことは、

脳への刺激にもなっていたのだと思います。

コロナのせいで、それも出来なくなって、

今年の母の誕生日は、ちょっと複雑な誕生日でした。