和紙を作る家に嫁いだ嫁のブログ

親子五代に渡り受け継がれた和紙作りの伝統を守るべく今日も奮闘する『和紙を作る家』に嫁いだ嫁のブログ

マグロの夫婦

2023-02-25 23:04:33 | みゆきの日記
なかなか更新出来ません💦
義父のお葬式以降、臨時休業の看板をさげている事が多い我が家、

『あれ?田中さんとこがお休みって珍しい…』

『臨時休業の看板が下がってたから、お葬式疲れでゆっくり休んでおられるのだと思ってました。』

色々とお声を掛けて頂くのですが、

お店の玄関は閉めていますが、完全休業している訳ではなく…。

非日常的な仏事と、
超超超繁忙期の仕事との狭間を

マッハで泳ぎまくっているマグロの夫婦です。

前の更新で感傷に浸っていたのもつかの間…
今は、とにかく時間とカラダが足りない!!💦

お葬式のあと、
初七日から始まり、一週間ごとの法要、
二七日(二逮夜)、三七日(三逮夜)……

ようやく四七日(四逮夜)まで無事に終えました。


お義父さん、天国までの道のりを頑張って進んでおられるでしょうか。

五七日には、閻魔さまの裁きを受けられると聞きますが、

和紙一筋、仕事一筋、真面目に歩んでこられたお義父さんの人生だったので、良い裁きを受けて良い方へ進んで行かれますよね…

お義父さんの戒名

『澄水軒透晃承伝居士(ちょうすいけん とうこうでんしょうこじ)』

一文字一文字がお義父さんの人生を表した有難い戒名を頂きました。

今、仕事と並行して、
墓石とお位牌に、戒名を彫刻して貰う手配、
四十九日の段取りと、お返し物の手配を進めています。

仕事の方も超超超多忙なりです
(;´д`)

遅れていた楮の刈り取り。

4月の終わりには新芽を出す楮ですから、

早く刈り取って、株を休ませてあげなくては!!


また、市内の小学校から依頼があり出前授業にも。

体育館で小学生に話をさせてもらう主人、

娘が助手でお邪魔しました。

娘の旦那さんが、
『パパさんと良子(⬅️娘)が出前授業に行っている間、ママさんは何をしてはるの?』と。

ママさん一人でもする仕事は有るの?と、
娘の旦那さんから素朴な質問…

はい!はい!はい!!
ママさんを何者と心得る!!

オールラウンダー(パソコンも使えんクセに自意識過剰か!😅)のママさんは、受け持ちの仕事を山ほど抱えておるのでありますよ(笑)

出前授業で留守番している間も、
主人が定期通院で病院行きしていた日にも、
一人で楮の刈り取りに精を出しておりました。

今年は、例年より1~2ヵ月も冬場の作業が遅れています。

例年なら今頃は、工房前に建てられた稲木に、楮の皮がなびいている頃なのですが、

今年は仕方ありません。

この歳になると特に、一人で二人前の仕事をこなすのは無理になってきました。

焦らず少しずつ取り戻していくしかないですね。

最近、会う人、会う人に、
『みゆきさん!痩せた?』
と言われます。

アハハ…嬉しい。
けど実際は痩せてないから、疲れで顔がやつれているんでしょう。
目のまわりもシワシワ(-_-)

これだけ忙しいと、寝る時間と食べる時間を削るしかないのがマジで現実です
┐('~`;)┌

そんな私たちの生活を案じてか、

大阪のYさんから美味しそうな頂きもの!








嬉しい!!
美味しそうなお鍋をチンするだけで食すことが出来るなんて✨

ありがとうございます!!!

バレンタインにも、大好物をたくさん頂きました!











幸せだ~(*^o^)/\(^-^*)

皆さんの優しいお心遣いが、疲れた心とカラダにホント沁み渡ります。







ありがとうございました。

2023-02-10 09:00:00 | みゆきの日記
厳しい寒さは残るものの、暦のうえでは春を迎えました。

一日一日、日も長くなってきて、少~~しずつ春が近づいてきているようにも感じます。

10年に一度と言われた1月終わりの寒波、
我が家にとっては忘れられない最強寒波となりました。

昨秋より体調を崩していた義父が、
一月終わりの大雪の中、旅立ちました。

クリスマスには一緒にケーキを食べて、



お正月には お屠蘇とお雑煮で一緒にお祝いもしましたし、

人生初、デイサービスにも通い始めたところでした。


デイサービスでは、
懐かしい友と出会えたようで、

『◯◯さんに出会えた!』
『◯◯さんも来とった!』
『大きいお風呂は気持ち良かった~!もう少し入っとりたかったわ』
帰ってきてから義父の口は、しばらく止まりませんでした。

このまま元気になってくれるものと思っていたのに。

この先に義父の死が待っているとは誰も夢にも思っていませんでした。

今年に入って2回目のデイサービスに行った日、

『お風呂に入るのもシンドイと言われ、昼食もほとんど摂られませんでした…』

職員さんから連絡があり、主人が迎えに行って早退して帰ってきました。


その後、口から水分や食事が入りにくくなり、脱水、低体温状態。
かかりつけのお医者さんに毎日往診に来て頂き、また24時間ずっと点滴をしてもらっていたのですが、
家での治療が難しくなり、
救急車で運ばれ緊急入院しました。

救急搬送され、病棟のベッドの準備が出来るまでの時間、

主人と私は、義父の手を握りながら三人で貴重な時間を過ごしました。

『お義父さん、よう頑張ったねぇ』
『しんどかったねぇ、助けてあげれんでごめんよぉ…』
『元気になったらすぐ迎えに来ますから…』

義父の目からは涙が流れていました。

お医者さんが最善を尽くして治療して下さいましたが、救急搬送されて6日目の朝、義父は息をひきとりました。

駆けつけた義母、主人、私をちゃんと待っていてくれて、
主人の『ありがとうな』の言葉を聞きながら静かに眠るように旅立ちました。89歳でした。


嫁に来てから31年、
義父からは、怒られたりイヤミを言われてばかりで、良い言葉は一度も掛けてもらったことはなく、

言葉は悪いですが、本当に言葉が悪過ぎますが、私は義父のことをずっとくそジジイと思っていました。

でも、最後の一ヶ月、
義父はこんな口と態度の悪い嫁を頼り、自分ではどうにもならなくなってしまった自分の身を、私に委ねてくるようになっていました。

『ありがとう、ありがとう』と、世話をしたり、声を掛けたあとには、いつも感謝の気持ちを言葉や身振りで表してくれていました。
ありがとうと手を合わせる義父の姿は、本当に仏さんのようでした。

義父の気持ちに寄り添い、自分の出来る精一杯のお世話をしよう…

最後の一ヶ月は、ずっとそう思い過ごしました。


義父が亡くなる日の朝早く、
夢の中に私の母親が出てきました。

母は、黒い着物を着て、今暮らしている施設の方から私に手を振りながら歩いてきました。

今の母じゃなく若くて綺麗な頃の母でした。

『お母さん!ここはお母さんの来るところじゃない!』

お嫁に来た頃、この家の家風になかなか馴染めなかった私
家を飛び出たり…と、良い嫁ではなかったので、いつも母が義両親に頭を下げてくれていました。

お母さん!早く施設に帰って!義父と義母に見つかったら、またイヤな顔をされてしまう!

母に駆け寄ろうとすると、

母の視線の先には義父がニコニコして座っていて、

母にお辞儀してくれていました。

母も深々とお辞儀していていました。

そこで目が覚め、ビックリして主人を起こしました。

義父の入院する病院から、血圧が低下しています。危ないのですぐ来て下さい!の電話があったのは、このあとすぐでした。

前の夜には、仕事を終えたあと、主人が『雪かきをしておこか!』と言うので、暗い中、投光器をつけて二人で雪かき。

そのお陰で、
車庫から車をスッと出すことが出来て、
義父の最後に間に合い、色んな事が繋がりました。


元気になったら、義父を家に連れて帰ってあげたかった。

叶わなかったけど、
義父が私の夢の中に出てきてくれたのは、義父が私を田中家の嫁としてようやく認めてくれたのかな?と勝手に思っている私です。

母は、
『娘がお世話になりました。』と、義父の最後を見送りに来てくれたのでしょうか…

ほんとくそジジイで、好きじゃなかったけど、

弱っていく姿を見て、
頼ってこられて、

自分の気持ちがどんどん変わっていくのが本当に不思議でした。

大雪の中のお葬式、

甥っ子や私の弟が雪かきの手伝いに来てくれて、家のまわりを広くしてくれました。




たくさんの孫たちに棺を運んでもらい、
家族葬にも関わらず、たくさんの方にお見送りに来て頂きました。

生前からの御厚誼に加え、
たくさんの方からお心のこもったお見送りをして頂き、さぞかし義父は喜んでいた事と思います。
本当にありがとうございました。


まだまだ未熟な私ですが、

義父の想いを継いで、
自分の出来る精一杯の事をして、
この家と家業をこれからも守っていこうと思います。

お義父さん、長い間、本当にありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいです。