インフルエンザの猛威もおさまり、ようやく春本番ですね。
これからは、私の苦手な花粉の季節の到来です
二月の終わりごろ、母の施設からも面会制限が解かれる旨の通知が届いていました。
なのに…風邪をひき、咳がしつこく続いていた私は、なかなか面会に行けず…
先日、ようやく母の顔を見に行くことが出来ました。
久しぶりに会う母は、
私のことが娘と わからなくても、私の顔が見えた瞬間からニコニコと終始 笑顔で、とても穏やかで良い表情をしていました。
これまでの無表情な母と違って、会話の内容こそ成り立ちませんが、
少し会わないうちに、言葉のやりとりが出来るようになっていました。
今の施設に移ってきてからは、職員の皆さんが、
母の 人としての尊厳をとても大切にして介護にあたって下さっている事が、母の変わりようから感じて取れました。
先月、ケアマネージャーさんや担当の介護士さん、看護師さん、作業療法士さん方との会議がありました。
母の施設での様子、今後のケアプランなどについても詳しく説明して下さり、
その中でも、
『長期的な目標として、○○さんのご体調の良い時を見て、福井県のご生家にも一度お連れしたいと思っています。』
と、仰って下さったことには、私も驚き、そんなことまで考えて下さっているのか!と、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
若くで認知症を発症してしまった母の事を、私は、これまでなかなか受け入れる事が出来ませんでした。
あんなにシッカリしていた母なのに…
自分の事よりも、子供の事や、まわりの人の事をいつも思いやってきた母なのに、なんで母が?…
前の施設では、入れ歯が失くなり、骨折をし、そして発熱を繰り返し、何かが起こるたびにどんどん落ちていく母の姿を目の当たりにし、
認知症になってしまったら、人が人らしく過ごす事の出来る尊厳などなくなってしまうのか…と、
母のことが可哀想でみじめで仕方ありませんでした。
そして、私は、その施設の事が許せずにいました。
そんな、私の心の中を見透かされたんでしょうね、作業療法士さんが仰いました。
『前の施設で骨折をされていなくても、お母さんは元々パニック障害を発症されているので、不安から筋緊張が起こり、足の拘縮は起こっていたかもしれません。
今、お母さんは、とても良い顔をして毎日過ごされていますよ。
娘さんからしたら「私の顔や名前も忘れてしまって…」とお辛いでしょうから、こんな事を言うのは申し訳ないのですが、
ご自分の事や娘さんの事がまだ分かられた頃は、逆に不安や寂しさも感じておられて、お母さん自身 お辛かったと思います。
でも、今はなんの不安を感じることもなく、お母さんはお幸せと思いますよ。それが表情に出ておられるんです。』
と。
そうか…。
なんか、胸に溜まっていた何かがスーっと流れて行く感じがしました。
そりゃ、認知症になんてならずに、ずっと元気で居てくれる事に越したことはないです。
でも、なってしまった事は仕方ない…
だから、あの時こうだったから、ああだったから…と、うしろばかりを振り返るのは、もうやめました。
今、母は幸せなんですもんね。
人生の長い 短い、認知症になる ならない、人それぞれ色んな違いはあったとしても、これはたぶん誰もが行く道なんです。
これからは、残された母と時間を大切に、前を向いて進んで行こうと思います。