ようこそ、卯月です。
昨日のカウンセリングの帰りの薬局で受け取った、調布に住む義姉からのメールに「明日、食事行きませんか?」とあって、そんな急な、と思ったのだけど、仕事のない日曜はまたいつになるかわからないので、「いいですよ」と返信。
家に着いたら、今度は町田に住む義姉(調布の義姉の妹)からメールで「明日のYちゃんのお疲れさま会、私も行きます。Yちゃんはもちろん、H(息子)も来れるかな?」と。
は?
これはなんだ。と思わず声に出して言ってしまった。
「お疲れさま会」だなんて聞いてない。「いいですよ」と言ったのは私の都合で、Yのことじゃない。
っていうか、受験の話をお正月にしたので、結果報告はしたのだったけど、それなら最初から「Yちゃんのお疲れさま会をやりたいのだけど都合は?」と言ってくれれば「そっとしておいてほしい」とか対応のしようがあったのに。
もっと言えば、「そっとしておいてあげたほうがいいかな」という発想はないのか。
ひとり憤慨していると、娘Yが「いいよ、私行くよ」と言う。
友達と約束があるという息子Hは渋谷に出かけることになって、Yと私は義姉二人と今日のお昼前に、小田急沿線の街で待ち合わせることになった。
Yと話してたのだけど、世の中には、落ち込んでる人を見ると「元気出せよ、パーッとやろう」と言う人と、そっとしておいてあげようと考える人がいると思うのだけど、なんだか私の周り(おもに親戚筋)は前者が多い気がしてならない。
ちなみに私、Y、Hともに後者。
そして私は強く出られないので、たいがいこういう時、相手のペースにのまれて断れない。
カンベンしてくれよと思いつつ付き合うのは、断るより失礼だと思うのに、言えない。
そんな自分に苛立ちながらYを連れて食事に行って、それなりににこやかに義姉たちとやりとりをし、和食のコースをご馳走になって、Hにとお土産までもらって、「貴重な休日、Yと私のためにお金と時間とエネルギーを使ってくれたんだ、Yのためにしてくれたんだ、ありがたい」とは思ったのだけど、イライラ、もやもやが消えなくて。
2時前に義姉と別れて、その後途中で買い物があるという娘と別れて、一人になったら抑えてた感情が噴き出して、頭が混乱して苦しくて、頓服を飲みながら帰ったのだけど、家に着いたら何が何だかわからなくなって、貼ってた絆創膏をはがして、また手首を切ってしまった。
私を支配している苛立ちと怒りは、何に、誰に対するものなのか、わからない。
それを私はすべて自分にぶつけているから、こんなに苦しいのだろうと思う。
手首を切っても感情の高ぶりがおさまらず、もらってた頓服の残りを飲みきってしまっても眠ることもできず、泣いた。
再び絆創膏を貼って、今、ようやく少し落ち着いてきたところ。
Yも帰ってきた。
このところの自分の感情の乱れに、ついていくのが大変だ。
穏やかに過ごしたいのに爆発してしまう。自分の中にモンスターを飼ってるみたいだ、と思う。
疲れた。こんな私いらないよ。きらいだよ。