ようこそ、卯月です。
何を書いたらいいのかな。
お友達がお友達を亡くして、悲しみの中にいる。
私は去年の1月にタイムスリップしている。
大切な人を失うことが、失い続けることが、生きていくということなのなら、命なんていらないと思った。
見送る側のつらさを味わうなら、見送られる側になりたいと思った。
それでも1年、私は生きた。今も生きている。
見送る者が私だけではないと、悲しいのは私だけではないと、1年のあいだに思うようになった。
独りではない。
大切な誰かのために、今日いままさにこの瞬間、涙にくれている人がいる。
悲しみは海よりも深いけれど、独りきりで抱えなくてもいい。残された人たちの立場も思いもさまざまだけど、亡き人を思うとき、通じ合うものがそこにきっとある。
悲しみの海は共有できるんだと信じたい。
それができることが、生きているということなのだ、多分。
生きている限り、私たちは独りではない。
そう思う。思いたい。