共感されるのもされないのもこわい気分なので、ブログを書くのもなんだか恐る恐るなのだけど、最近になって強く意識に上ってきてる感覚があるので、それについて書いておこうかと思う。
「これじゃない」という感覚だ。
はっきりと意識したのは最近のことだけど、もう多分何十年という昔から、この感覚はあったと思う。
むしろ、何もかもが「これじゃない」、そのことがずうっとずうっと私を苛立たせ悲しませ絶望させてきたのだ。
明らかに違う、あるいは蓋を開けたら違っていた。そんな積み重ねがあったのだろうか。具体的な記憶はない。
ただ、ぼんやりと「違う、これじゃない」という思いが、口にできないままに心の奥深くにいつもいつもあった。
買い物依存にしたってそうなのだ。強迫的なほどに心惹かれて買って帰る。安心する。そして、すぐに気づくのだ。これじゃない、と。
買っても買っても終わらないのだ。終わるはずがないのだ。
だって、「これじゃない」のだ。
世界が自分中心に回っているわけではないということは百も承知。
欲しいものが何でも手に入ると思っているわけでもない。
水が飲みたい時に目の前にジュースが湧くほどあって「幸せね」「贅沢」と言われてる、そんな「何かがずれている」という感覚を、子ども時代にうっすら抱いたことがある。
実際にジュースがあったわけではないが。
違う、と言えたら、どんなによかっただろう。
「これじゃない」と言って泣いて駄々をこねられたら、どんなによかっただろう。
今となってはもう、わからないのだ。
これじゃない。
でも、じゃあ、どれだよ?
何があればこの苛立ちがおさまるのか、寂しさが癒えるのか、絶望から救われて温かい安全な場所で暮らせるのか、もう私にはわからないのだ。
どれなんだよ。何を探してるの。
教えてよ。
「これじゃない」という感覚だ。
はっきりと意識したのは最近のことだけど、もう多分何十年という昔から、この感覚はあったと思う。
むしろ、何もかもが「これじゃない」、そのことがずうっとずうっと私を苛立たせ悲しませ絶望させてきたのだ。
明らかに違う、あるいは蓋を開けたら違っていた。そんな積み重ねがあったのだろうか。具体的な記憶はない。
ただ、ぼんやりと「違う、これじゃない」という思いが、口にできないままに心の奥深くにいつもいつもあった。
買い物依存にしたってそうなのだ。強迫的なほどに心惹かれて買って帰る。安心する。そして、すぐに気づくのだ。これじゃない、と。
買っても買っても終わらないのだ。終わるはずがないのだ。
だって、「これじゃない」のだ。
世界が自分中心に回っているわけではないということは百も承知。
欲しいものが何でも手に入ると思っているわけでもない。
水が飲みたい時に目の前にジュースが湧くほどあって「幸せね」「贅沢」と言われてる、そんな「何かがずれている」という感覚を、子ども時代にうっすら抱いたことがある。
実際にジュースがあったわけではないが。
違う、と言えたら、どんなによかっただろう。
「これじゃない」と言って泣いて駄々をこねられたら、どんなによかっただろう。
今となってはもう、わからないのだ。
これじゃない。
でも、じゃあ、どれだよ?
何があればこの苛立ちがおさまるのか、寂しさが癒えるのか、絶望から救われて温かい安全な場所で暮らせるのか、もう私にはわからないのだ。
どれなんだよ。何を探してるの。
教えてよ。