とりあえず、合宿を終えて、山中湖から帰ってきた。
富士山がうつくしかった。
去年は合宿のあと、1週間ぐらい寝込んだ覚えがある。
今年は多分、もう少し回復が早いかな、と思っている。
去年、たくさんの仲間からたからものをもらったので、今年はそれをちょっとずつ配るほうに回りたかった。でも、そんなに簡単にはいかないものだ。
配る、っていう表現が少しふさわしくないかもしれない。
自分がもらって温かくうれしかったように、そんなふうに感じてくれる人がいてくれたらと思ったのだけど、それは意図してすることではないのかもしれない。
まだまだ未熟で足りないところだらけの自分を見た。
相手の話の、何が中心なのかに気づけない自分。
見当はずれのところにフォーカスして相手の話をそらしてしまう。
それって、聞いているって言えないんだ。
去年の合宿で私は、眠ることも食べることもできなかった。
今年は「夜は寝ること、三度のごはんは食べること」という目標を掲げていた。
1日目は眠れなかったけれど、2日目は4時間ほどは眠った。ごはんもちゃんと食べていた。
保健室に行くこともなかった。
目立った問題児だった去年に比べて、今年はみんなに心配かけることもなかった。
それだけで、進歩だ。
それなのに、私は欲張りだ。
もっとうまく、人の話を聞きたいと考えてしまう。
うまくって何だ。技術にこだわる時点でおかしいのに。
心で聴くものなのに。
心は、心でしか聴けないのに。
頭で聞こうとしてしまう。そして頭で反応して言葉を返してしまう。口先だけで言っているつもりはないけど、それはやっぱり結果的にはうわべだけの言葉になっている。
この合宿の目的であるベーシック・エンカウンター・グループというもののどこが、カウンセリングの勉強につながるのか、初めはさっぱりわからなかった。
ただそれぞれが自由にしゃべるだけじゃん、どこが勉強なんだろうって、思っていた。
でも、今、少しだけわかりかけている。
受け止めてもらったという体験。実感。それが、受け止めたい、分け持ちたい、という思いになる。
やりとりが生まれる。育っていく。
心で見つめあうことを覚えていく。
言葉という生ものを、大切に渡しあう。
落とさないように、こわさないように。
加工しないように受け取れたらいいな。どこに骨が通っているか感じ取れたらいいな。
「奥が深い」と言ってしまえばあまりに陳腐か。でも、浅くもなり深くもなる魔法の湖に入っていくようなものだと、今、感じている。
自分がどこにいてどこに向かっているのか、また、わからなくなりかけた。
でも多分、私は湖のそばを離れない。今はとりあえず、そんなところか。
濃い3日間を過ごしたので、何日かかけて薄めないと。
明日から少し、バランスをとっていこう。
おやすみなさい。