今日は息子が朝から友達と出かけてしまい、夜遅くまで帰ってこないので、私は家で一人。
ふだんならこんな日は、少し家の片づけなどするのだけど、今日はなんと丸一日、ほとんど寝ていました。
トイレに起きる、何かつまむ、寝る、という感じ。
よくもまあ、こんなに寝られるなあと呆れるぐらい。
まあ、先週、仕事が決まるまでは休まる暇もなかったし、先週末から4連続で出かける用事があって(そのうち1日は、結婚前のOL時代の同期の友達との女子会だったのだ! 何年振りだろう、すごーく懐かしく楽しい時間でした)、その後は都営住宅の申込書を書くのに苦心したりしていたので、それらが終わって気のゆるみがだらーっと来ちゃったんでしょう。
なかなか実家の母に、仕事が決まったことが言えなかったのだけど、今日の昼間、ようやく電話で報告。
「あらそう、で、どんな仕事なの?」と言う母に、「うつ病とか統合失調症とかの心の病のある人の、社会復帰へ向けての練習を積んでいく、寮みたいなのがあってね、そこでいろいろな相談を受ける仕事だよ」と、わかりやすく説明したつもりだったのだけど、関心がないのかイメージできないのか、理解するのを投げている空気が伝わってきた。
「まあ、あんたも歳だし、仕事があるだけよかったじゃない」と母は言った。
うーん。
「仕事があるだけ」という言い方には、言外に「そんな仕事でも」という彼女の思いが含まれている。
母は、障害のある人に対してもだけど、福祉の仕事に対しても、理解がない。下に見ているところがある。
何年も前に、姉が勤めていた施設でいじめられて介護福祉士を辞めて今の仕事(ブティックの店員)に変わった時、母はあからさまに福祉の仕事に携わる人たちを貶めるようなことを言ったものだ。
多分、母は、「そんなにがんばって勉強してるのに、そんなところで働くの?」と私に言いたいのだろうと思う。
母には、私が今回のグループホームの仕事に巡り合えてどんなにうれしいか、誇らしいか、わからないのだ。
一緒に喜んでくれるとは思っていなかったけど、やっぱりどこかでほんの少し、期待があった。
だから、わかっていたけど、がっかりする私もいる。
母には「相談を受ける仕事は、私のやりたかったことだから」とだけ言って、あとはもう期待しないことにした。
けど、ちょっと凹んでいる。
仕事、9月からでもいいですよ、と施設長さんは打ち合わせの時に言ってくださったのだけど、カウンセリング・スクールの後期と同時に始まるのもちょっと大変そうだし、採用からあんまり間が空くと初出勤までにどんどん不安が膨らみそうだからということで26日からにしてもらったのだった。
今、予想通り、その不安がどんどん膨らんできているところ。
付け焼刃(泥縄かも?)と思いつつも、相談面接に関する本や福祉関係の心構えの本などを読んでいる。
ああ、少しずつ仕事にも職場にも慣れていけますように。
ではまたね。
おやすみなさい。