今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

ずいぶんな一日だけど。

2015-02-03 23:43:39 | タラの日記
元気出してがんばろう、と思って仕事に行ったんだけど、施設長さんから、先週の金曜日の先輩とのやりとりと、その後、休みを取ってた施設長さんに電話で指示を仰いだことについて、注意を受ける。

あるメンバーさんに私が、いいように使われている、と施設長さんから言われたのと、先輩から先日「メンバーさんに嫌われるのが怖いんですか」と言われたことについて、「そんなつもりはないです。嫌われるのが怖いと思ってはいません。ただ、私はメンバーさんに一番いいようにと考えて対応しているつもりです。いいように使われているように見えるのか、と思うと少し残念です」と言ったら、「見えるんじゃなくて事実そうです」と言われ、「卯月さんは一対一の支援をやりたいんですよね。ここはそれをできる場所ではありません。うちはカウンセラーは雇っていません。欲しいのはソーシャルワークのできる人です」と言われた。

え、これって私に辞めろってことかい?とも思ったんだけど、はい、と聞いていたら話は終わって、いつもどおりの話し方で仕事に入ったので、単にクギを刺されたということなのかな、と思い直した。

でも、さすがにクビにはならないにしても、私がここに求められている人材ではないということ、がんばってるつもりが裏目に出まくってることに、少なからずショックを受ける。

なんだかなあ。

なんとか平静を装い仕事を終わらせたけど、帰る道みち、例えようもない脱力感に襲われる。

私だってカウンセラーのつもりで仕事したことなんて一度としてないよ(素人の自覚あるし)。
求められている、チームワークをきちんと取れる人をいつも意識して、日々やっているつもりなんだけど。

いろいろな思いが込み上げてきて、家に着いたらどう爆発するかと心配になりながら帰った。

家に着いて、なんだかいろんな感情を噛み殺してキッチンで夕飯を作っていて、ふと息子を見た。
なんか、その時たまたま、息子が一人で思い出し笑いみたいな感じで、にまっとした。

それを見ていたら、なんかもう総てがどうでもいいような気分になった。
これは、投げやりというのではなく、心の中に渦巻く感情が、「別にいいか」と、なんか悩んでいるのがバカバカしくなる、そんな感じ。
一緒に笑ってしまった方が、自分にとっておトク、みたいな。

眉間にシワを寄せた顔でメンバーさんの話を聞いても、暗くなるばかりで害にしかならない、みたいなことも言われたんだけど、「それってどうよ」と思ってたけど、今は、「確かに表情も大切かな。自分が暗い顔でいるって自覚なかったから、指摘してもらえてよかったかな」とも思う。

あと、今、読んでる本の中に、「愚痴をひたすら聴き続けるだけでは変化は得られない」というようなことが書かれていて、「愚痴をただ聞くのではなく、クライエントの言葉を手がかりに、クライエントが現在置かれている立場や望んでいることを理解し、クライエントの現実の生活の中で何ができるのか可能性を探りなさい」という言葉が出てくるのを、昨夜、興味深く読んでメモしたのも、なんか、つながってるなあと思ったり(最相葉月著『セラピスト』の中の、村瀬嘉代子さんの言葉)。
ただ暗い話を延々聞くのが相手のためと思いがちな自分というものに気づけてよかったなと。

そんなわけで、なんだかずいぶんな言われようで、ずいぶんなショックで、ずいぶんな気分にもなったのだけど、その中に、役に立つ部分も確かにあって。
いい一日、というには悲しかったけど、まあ、転んでもただは起きない私なのかもと思った。
気づきがあるというのは、とてもいいことよ。そう思う。

私の最終的にやりたいのは、やっぱりカウンセリングなんだけど、今の仕事も自分の糧になると思ってるから、しばらくがんばってみるよ。

ではまた。おやすみなさい。