今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

温度。

2019-06-02 00:00:41 | タラの日記
ようやく6月に入った。
苦しい1週間、いや、2週間ぐらい、だったか。
もっとかもしれない。
本当は私はいつも、苦しいのかもしれない。

こんな風に思ってしまうのは、少し疲れているからかな。

夫の命日も息子の誕生日も、なんとかやり過ごした。

母の用事で外出もした。

昨日は、久しぶりに仕事に行った。

6月に入れば、いつも気分が晴れるのだけど。

まだ少し、頭の中がごちゃごちゃしている。

決して忘れてはいけない、そして決して忘れられないはずの記憶が、欠落している。
それはね、思い出したら心が壊れてしまうから、自分を守るために、生きるために、自動的にそういう風になっているのだと、そう習ったし、想像してもそうなのだろうとわかる。

人間て、よくできている。

でもね、忘れていることの罪に、押し潰されそうになるのね。

思い出せる時が来たら、思い出しても大丈夫になったら、思い出せると、今日、クリニックで主治医の先生は言ってくれた。

死ぬまでこのままかも、と、私は言った。

夫と暮らしていた時の思い出が、今、私からごっそり落ちている。

落ちている、というより、うーん、どこか、心の中にあるとしても、見えない触れられないところに、大きな重たい鍵がかかった状態で、置かれているのかな。

月日が流れて、傷は癒えるものと思っていた。
でも、もしかして、鍵はこのまま錆びてしまうの。

苦しいとか悲しいとか、言葉はあまりにも陳腐。

大切な時計が壊れて止まってしまった。
そして、別の時間を生き始めた。
前の時計がまぼろしなのか、今の時計がまぼろしなのか、私にはよくわからない。

まぼろしを生きる私に、人生いろいろあるよね、と言う人もいる。
そうだね。

でも、今日、私に、「忘れなければ1秒だって生きていられなかった」「どれだけ必死で生きてきたかって事だろうと思う」と言ってくれた友達がいた。

自分も悩み満載の友達なんだけどね。

誰にもわからない、私にさえわからない、だから誰かに気持ちをわかってもらおうと期待など、はなからしたことはなかった。

ただ、彼女が、静かに、慎重に、精一杯のやり方で私に、このままの私に、寄り添おうと模索してくれていることが、救いだった。
同じ温度に身を置く、感じ。

あなたを知りたい。
という言葉を、前に使った友達もいる。

わからない。
でも、わかりたい。知りたい。
それって、愛っていうんだと思う。

雪解けは来るの?
その前に雪崩で私は壊れてしまうのかな。
今、この手を伸ばす力が、まだあるかな。